kotoba日記                     小久保圭介

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その、細部を聞こう。

2022年08月14日 | 文学

         

 

母は1933年昭和8年生まれです

終戦は1945年昭和20年です

母が12歳で終戦をむかえました

実家は愛知県海部郡蟹江町です

長屋で6人兄弟の次女です

姉と弟が二人妹が二人

学校は名古屋まで出てきていました

通学は国鉄(現JR)関西線蟹江駅から名古屋駅まで

国鉄はいつ空襲にあうか判らないので

怖かったそうです

実家に帰ると

空襲警報が鳴ったといいます

B29が編隊できて

上空を通り過ぎるころは大丈夫だといいます

危ないのは戦闘機の前方で

水の張られた田んぼに

ピシュンピシュンと弾が撃たれたといいます

終戦末期の1945年昭和20年6月9日午前9時30分

名古屋市熱田区の愛知時計に空襲があったといいます

「たくさん死んだ。空襲警報が鳴って、みんな避難して空襲警報がね、解除になってまた工場に戻ったら、バババーンとやられた。蟹江からもたくさん行ってるから、『誰々さんちの誰々は大丈夫か!!』って声があって。学徒動員でね。2000人死んだ。愛知時計って時限爆弾の部品を作ってたから。大隈鉄鋼とか三菱重工とか狙われた」

「戦争が終わってもサツマイモしか食べてないから」

と母は笑う

いつも腹をへらしていたという

「戻ってくるでしょ? 兵隊が。それでね、まだ18歳ぐらいだったろうね、男の子がねえ、『何で自分だけ生きて帰ってきたんだ?』って悩んで、蟹江の駅前の電話ボックスで首をくくって死んだのよ」

今年89歳の母の世代に戦争の話を聞く

母の麻雀友達はみんな憲法九条を守るという人ばかり

「九条組ね」

母は言う

「時代が変わったんだから、変えてもいいと思う」

とも母は言う

それ以上聞くと、

「暗い話はもういい」

と遮られる

「これを読むといいよ」

と重ねる

それは大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』であったり。

母は文学を通じて、追体験してきたはずです

それをわたしたちの世代に読むといい

と言う

戦争文学というものが何であるか

または戦争賛歌をした志賀直哉の

自省の独居の建屋を見たこと

ーーー

戦争に限らず

何かのことをわたしが話すと

「そんなに簡単に言っていいの?」

と若いわたしはよく言われた

母は肝心なことは口にしない

いつもどうでもいいことは口にする

肝心なことはたいていシリアスで

思考途中のことも多いのだろう

そういうことにわたしを含めて

軽率な反応を誰かにされることが

我慢ならないのだと思う

わたしもだんだん

大事なことは

口にしないようになってきた

ーーー

国内外の旅行が大好きは母は

広島と沖縄と長崎には行かない

サイパンとかハワイとかたくさん死んだところは

観光で行くなどもってのほかだ、と言い切る

「そういう世代なの」

母は言う

明日は終戦記念日

母の麻雀友達も母と同じく90代前後

戦争の話を聞こう

わたしは九条を守る

だから

彼女たちに

明日、暇があったら

九条の話も聞きたい

彼女たちは

わたしが2月にウクライナ戦争が始まってすぐに

小さな、大きなデモに出かけ

LINEグループ(麻雀仲間のLINEグループを作ってほしいと頼まれ)で

短い文と写真を掲載したら

「わたしも行きたい」とすぐにリプがきた

90になる人たちが、そう言い切った。

ーーー

戦争の話を聞こう。

何故なら、その人しか知らない物語があるから。その細部を聞こう。

細部こそが、誰にも知られず、誰にも教えられず、ネットにもなく、

教科書にもちろん載っていないことだから。

『その人』をたくさん探して

聞くこと

その細部を書き留めること

脚色なく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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