
暖簾をくぐり、店に入った。
客は誰もいない。ボクにとっては好都合だった。
厨房も暗い。
しばらくすると、中から店主と思われるおじいさんが現れ、厨房に電気を点けた。
夜も9時を回り、もう客も来ないと思って、奥に引っ込んだのだろう。
厨房に電気が点ると、客の部屋に来て、エアコンとテレビを点けた。
ボクは「テレビは消してもらえませんか」とお願いをした。老人は黙ってテレビを消した。
何故、おふくろは誰にも看取られず、ひとりで旅立っていくことを選んだのだろうか。
仕事場でおふくろの訃報を聞いたとき、まずボクの頭の中に浮かんだ問いである。
親父は1日おふくろに付き添っていなかった。だから、ボクは数日前にそれを巡って親父と口論した。
その親子喧嘩におふくろは抗議したのか。
ボクと父親は常に反目し続けた。
おふくろは相当なストレスだっただろうと思う。
もしかしたら、そうした馬鹿な野郎どもにあえてさよならを言わなかったのかもしれない。
ビールを注いだコップをボクは一息に飲み干し、また注いでは一気に2杯飲んだ。
おふくろへの涙は25年前に流し尽くした。
25年間、不自由な躰で過ごしたおふくろの闘いは終わったのだろうか。
病に倒れて死線をさまよい、その後臨死体験を語ったおふくろは、「鳥越観音の猿が出てきて、ここにくるのはまだ5年早い」と言われたという。その後、猿の予言は的中せず、生き抜いたおふくろは、果たしてこれで満足だったのだろうか。
瓶ビール(550円)を飲み干し、麦焼酎の水割りと「ハムエッグ」を追加しながらボクは静かな店内で考えた。
考えても答えに辿り着くはずもない。
だが、考えてしまう。
せめて、あと3時間、ボクが会社を終わり病院に着くまで待っていてほしかった。
自分が会社に行っているとき、旅立ってしまうことも想定していた。けれど、本当にそうなってしまうと、「何故?」と自問してしまう。
この10日間、ずっとボクはあなたに付き添っていたではないかと。
おふくろへの涙は流し尽くした。
でも、本当にそうなのだろうか。
ボクはおふくろが家でリハビリをしてきとき、ほとんど何もしてこなかった。
狼藉を働いてきた親父がおふくろの世話をするべきという言い訳でボクはなにもしてこなかったに過ぎない。
そんな自分をおふくろはどう見ていたのだろうか。
焼酎を3杯飲んで、「玉子丼」をいただいた。
ボクはその夜、久しぶりに自宅に戻った。
眠っているような、おふくろの安らかな顔だけがせめてもの救いだった。
私と息子の年の差は熊猫さんとお母さんと同じくらい。将来一人ぼっちになってしまうのではないか…そんな思いで次男をもうけました。
熊猫さんが今家族に囲まれているのが、お母さんには一番の幸せであり、安心して安らかな気持ちになれたと思います。ご冥福をお祈り致します。
お久しぶりです。
随分と昔から、ずっとずっと昔から、優しい言葉をかけてくれて、本当にありがとうございます。
子どもから親にそして置いていく立場を順繰りに経験する中で、人はその立場からしか見えない風景があり、そこに立って初めて、その人のその時の気持ちが分かる。人は多分それを最後に分かって旅立っていく存在なのかもしれません。
だから、離れてしまった人を想うことこそ重要なのだと今は思うようになりました。
ありがとうございます。