星野道夫さんの写真展が開催されていると聞いて、これは見逃してはいけないと思った。
気候変動、海洋のマイクロプラスチックの問題、侵略戦争。世界は今、20世紀の世紀末よりも深刻な状況を迎えている。もし、星野さんが生きていたら。彼はどんなメッセージを我々に投げかけるのだろうか。時々、そんなことを思ったりする。
或いは、自分の内面のこと。毎日忙しなく生きている自分と星野さんが生きた時間の流れは、常に一 . . . 本文を読む
ちひろ美術館・東京の開館40周年記念として、2016年に逝去した井上洋介の企画展と、いわさきちひろの詩情感を感じさせる作品を集めた展示が8月24日(木)より開催されている。 幼い頃の情景に語りかけてくる数珠の作品はうつろう季節の中で、心に沁みわたる。開催はちひろ美術館・東京、11月5日(日)まで。 . . . 本文を読む
「首都ブラジリアで生まれ育ち、リオ・デ・ジャネイロで活動するホジェル・メロは、1964 年から1983 年の軍事政権下で自由を求めて表現したさまざまなアーティストに触発されました。また彼は、ブラジル国内はもとより世界各地を旅し、多様な文化への寛容、敬意を絵本にあらわしています」(「ちひろ美術館・東京」ホームページより引用)。 . . . 本文を読む
インドのバックパッカーは、寺を観光して日々を過ごす。
だが、長く滞在していると、だんだん寺を巡るのも億劫になってくる。
ボクの場合もそうだった。寺に行ったのは、最初の数週間だけだ。
歴史背景も知らず、知識がないと、何を見ても同じなのである。
だから、カジュラホにも興味はなかったし、アジャンタにも関心がなかった。
もし、インドの宗教にちょっとした知識を持っていたならば、寺巡りはもちろん、イ . . . 本文を読む
これはひとつの奇跡である。そこに辿りつく日本の絵本がどのような道筋を辿ってきたのか。それを知りうることも今回の企画展の目的ではあるが、それよりもそのプロセスのマイルストーン的な作家が垣間見せる心象風景がどのように作品に表出されているのか。さらにはその風景を今も見る者の心の中に仕舞われているか、それを確かめるという意味で、意義の深いものといえるのではないだろうか。 . . . 本文を読む
それはただ単に情報量の違いからくるものだろうか。 J.Jギブソンの直接知覚論ではないが、その肌理の違いによる知覚に拠るものなのだろうか。いや、そもそもこれが、しばしばアンディ・ウォーホルの周囲にいわれる弁別的知覚論の最たるものではないだろうか。 . . . 本文を読む
東日本大震災から3年が経ち、なんとなく東京に住む大勢の人たちは通り過ぎてしまった過去のように感じている。だが、本当にわたしたちは記録したのだろうか。ただ単に記憶にのみ留めたのではないだろうか。そのために、わたしたちはいつも被災地に目を向けていなければいけない。だって、被災地を見つめる視点も、被災地から見つめる視点も、わたしたち自身なのだから。 . . . 本文を読む
憧れの人と邂逅。
その初々しさが、この展示にあふれているのは何故だろう。
子どもの目線でしか見えない細い糸。それを手繰りよせた2人の引力。その優しい空気に包まれた企画展。
時を隔てた、その奇跡ともいえるWORKに出会えるのは多くはない。
共鳴しあう2人の創造にボクの心も震える。
例えば、初山の「海のなかの人魚姫」、いわさきの「王子を想う人魚姫」。
制作年はともに1967年。その繊細なタ . . . 本文を読む
植田がたどり着いた、永遠のアマチュアリズムと「写真で遊ぶ」という考え方は、「絶対」と凝り固まるプライドのような硬いものではなく、ファインダーを通した自然体の中に身をゆだねるプロセスとそこに写り込んだ様こそが、写真という結実であること を静かに教えてくれているようだ。 . . . 本文を読む