怪鳥からいただいたお菓子、「ソフトバター」は蔵前の老舗和菓子屋、「菓匠 榮久堂」さんのお菓子である。白い包みにハートの窓。パッケージもとてもかわいらしい。
その「榮久堂」さん、創業1887年という老舗のお店なのだが、この「ソフトバター」はどう見ても洋菓子。きっと時代が求めたんだと思う。だから、発売から半世紀以上経って、「ソフトバター」もすっかりレトロモダンに変化した。
その「ソフトバター」 . . . 本文を読む
7月30日(日)ネスカフェ エクセラとヴィド・フランス(文京区茗荷谷)の「優煌(ゆきら)」/ゴーヤーチャンプルー
こんにちは。
行きつけのスーパーマーケット、「ジャパンミート」が突然、セルフレジをやめて、全て有人レジになりました。やっぱり有人の方がいいという判断だったのでしょうか。見ていると、いろいろ問題がある感じですね。高齢者が店員さんを呼んで、「代わりにやってよ」というシーンを何度もみ . . . 本文を読む
「ニュータンタンメン」が首都圏を席巻している。以前、鶴見の店舗に行ったのだが、酒のラインナップが少なかった。怪鳥に訊くと、酒場型店舗はまだ少ないらしい。東京23区近隣なら、門前仲町が酒場型店舗らしく、そこでリベンジすることになった。
門前仲町店は小さい店舗で狭かった。通路が狭いために、通路側の席はかなり椅子をひいて座らなければならない状況で、大柄な怪鳥はしんどそうだった。
まずは「生ビール」( . . . 本文を読む
我が家にはカレーが嫌いな女子がいる。さらに、中辛のカレーを「辛い」という男子もいる。これが我が家のカレー文化だ。
自分が子どもの頃、カレーはご馳走だったし、給食でも人気のメニューだったものだが。
こんな我が家でカレーが食卓に出るのは2カ月に一回。結構、貴重だったりする。フリーランスになり、外で昼ごはんを食べなくなったこともあって、カレーを食べる機会が激減している。だからなのか、家で食べるカレー . . . 本文を読む
久しぶりに「サイゼリヤ」に行くと、いろいろ変化があることに気づく。メニューの改訂は頻繁だし、調味料も時々変わる。とりわけショックだったのが、タバスコが廃止されて、自家製と思しきチリソースに変わったこと。現在置いてあるチリソースって、ちっとも辛くないのだ。全然、タバスコの代役が務まらないレベル。この変更はちょっとショッキングだった。
そしたら今回、粉チーズが有料化されるのだという。「サイゼリヤ」は . . . 本文を読む
今年2度目の田町は13時からの取材。昼ご飯は終わってから食べることにして、ちょっと物色しようと駅前の新しい建物を覗いてみた。噂によると、三菱自動車のショールームに「デリカカレー」というお店があるらしい。ちょっと見てみるかと軽い気持ちで建物に入って驚いた。ものすごい数の飲食店があって、近隣のオフィスワーカーで賑わっていた。その中でも特に行列を作っていたのが、わんたん麺専門店の「広州市場」。ゆうに10 . . . 本文を読む
ジャンさんとは大船駅で別れた。自分は翌日、取引先に持参するお土産として「鳩サブレー」を買おうと思ったのだが、改札外にそれを売る店がなく、ちょっと駅周辺を散策してみようと思った。しばらく歩いているうち、「立ちのみ」と書かれた看板を見つけた。
やっぱ立ち飲み屋があったか。
近づいてみると、狭いながらも店内は賑わっていた。混んでいたから、お店に入るのを躊躇したのだが、店奥のテレビがDeNAベイスター . . . 本文を読む
7月23日(日)ネスカフェ エクセラとPasco の「超熟 イングリッシュマフィン」/スンドゥブ煮込みハンバーグとチョレギサラダ
おはようございます。
娘の時はコロナで思うように訪問できなかった高校受験の学校訪問。今年は何の制約もないので、学校側も生徒も積極的のようです。昨日、かみさんと息子はM治学院を訪問し、きれいな校舎と自由そうな校風に興奮してました。持ち帰ったパンフレットを開くと、ほ . . . 本文を読む
あの時、自分はまだティーネイジャーだった。電車を降りて、金網をよじ登り、尾崎豊「17歳の地図」のジャケットみたいに、ひらりフェンスを飛び越えた。あの頃、何も怖いものがなかった。馬鹿だったから。
それ以来、33年ぶりに大船駅に来た。駅が巨大になっていて驚いた。
改札の外にジャンさんが待っていた。目指すはジャンさん行きつけの店、「との山」。ジャンさんが毎回うまいものを食べている、あのお店である。
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コロナのため、ことごとく学校行事(体育祭や文化祭は開催されたが)がなかった娘が、高校3年生になり、ようやく行事が正常化した。
5月に初めて宿泊の行事が行われたが、宿泊に慣れていない娘は、「お風呂入るのが嫌だな」と言っていた。これも学生生活をコロナ禍で過ごした若者の弊害なのだと思う。娘が行った先は、石巻市だった。震災遺構の大川小学校への研修旅行だった。
東日本大震災時、保育園に通っていた娘は、震 . . . 本文を読む