
いつしか、バスは停車し、乗客がゾロゾロと下車していく。どうやら大理に着いたらしい。
ついつい、寝入ってしまった。隣で寝ているウナと朴さんを起こして、我々もバスを降りた。
すると一緒に降りてきた若者の西洋人に声をかけられた。
「君たちは恋人なのか?頬を寄せて寝てたぜ」。この男は昆明や麗江でよく見かけたヨーロピアンだった。
その言葉を聞いてわたしとウナはお互い顔を見合わせ、ウナはややはにかんだ。
麗江を出て、我々は再び大理へやってきた。
旅の復路である。
前にも書いたが、麗江はノーマルなバックパッカーにとって、いわば雲南省における終着点であった。そこから先はヒマラヤへの入口。
インドシナ半島へ回るためには、麗江から折り返し、元来た道を戻るのが手っ取り早い。こうして、我々はまた大理へとやってきたのである。
ヨーロピアンのその一言を境にわたしはウナを強く意識するようになった。
そして、少しずつウナと別れ難い気持ちになってきた。わたしは、翌日には大理を発ってヴェトナムへいそがなければならない。だが、ウナと過ごす時間はとても楽しく何事にも代え難かい気持ちになってきた。
次の日、本来なら昆明に向け、出発することにしていたが、わたしはそのまま大理にとどまった。行こうか、行くまいか悩んでいるうちについついそのタイミングを逸してしまった。ウナと離れたくない。そんな気持ちが決断を鈍らせた。そして、その思いは1秒毎に募っていくようだった。
結局、その日はウナと朴さんと大理古城から十数キロ離れた少数民族の朝市に出掛けたりして過ごした。
しかし、果たしてこのままでいいのか。
ヴェトナムの入国まで期限はあと3日。
昆明までの道のりが10時間。そして、昆明からヴェトナム国境の町、河口まで火車で12時間かかることを考えると、やはり明日には出発しなければ間に合わない。
ウナを誘って一緒に行くか。
いや、それなら単なるピクニックと同じだ。
そもそも、それでは朴さんの気持ちを踏みにじってしまうではないか。
結局、わたしの気持ちは煮えきらないまま、翌日大理を出発することにした。ウナのことを本当に好きになってしまう前に、旅立つのが懸命だ。
その晩、3人で摂った最後の夕食はやはり楽しいものだった。
招待所近くの安料理屋。珍しく、我々はビールを頼んで少し陽気になった。
「ウナはこれからどこへ行くんだい?」
わたしは尋ねた。
「分からないわ。風の向くまま、気の向くまま」
それは、どういう意味なのか。
或いは、わたしが「一緒に行かないか」と口にするのを待っているのか。
「ウナ、一緒に行こう」
その言葉が喉元まで出掛かった。
だが、わたしが発した言葉は、「明日、昆明に戻るよ」だった。
三度ウナが「わたしも一緒に行く」とはもう言わなかった。
ウナとの別れは神妙だった。
翌早朝4時に起き、昆明行きの汽車に乗るつもりで、わたしは部屋からそ~っと出ようとした。
別れの言葉は前の晩に交わしていたのだった。
支度を終えて、部屋を出ようとしたそのとき、ウナがベッドから静かに起き上がった。
「行くのね」。
ウナの言葉にわたしは頷いた。
そして、お互い何も言わずに長い抱擁をした。
「グッドラック」
ウナの言葉は掠れそうな声だった。
昆明行きのバスの車中、流れる景色を見つめながら、ずっとウナのことを考えていた。
果たして、これで本当によかったのか、と。
バスは昆明へ向かう途中、故障のため4時間も立ち往生した。
朝4時半に大理を出たにも関わらず、バスが昆明に着いたのは夜の9時だった。
■写真は大理の北31kmにある少数民族ペー族の村「沙坪」の市場にて熊猫刑事(人民解放軍のズボン着用)
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
ついつい、寝入ってしまった。隣で寝ているウナと朴さんを起こして、我々もバスを降りた。
すると一緒に降りてきた若者の西洋人に声をかけられた。
「君たちは恋人なのか?頬を寄せて寝てたぜ」。この男は昆明や麗江でよく見かけたヨーロピアンだった。
その言葉を聞いてわたしとウナはお互い顔を見合わせ、ウナはややはにかんだ。
麗江を出て、我々は再び大理へやってきた。
旅の復路である。
前にも書いたが、麗江はノーマルなバックパッカーにとって、いわば雲南省における終着点であった。そこから先はヒマラヤへの入口。
インドシナ半島へ回るためには、麗江から折り返し、元来た道を戻るのが手っ取り早い。こうして、我々はまた大理へとやってきたのである。
ヨーロピアンのその一言を境にわたしはウナを強く意識するようになった。
そして、少しずつウナと別れ難い気持ちになってきた。わたしは、翌日には大理を発ってヴェトナムへいそがなければならない。だが、ウナと過ごす時間はとても楽しく何事にも代え難かい気持ちになってきた。
次の日、本来なら昆明に向け、出発することにしていたが、わたしはそのまま大理にとどまった。行こうか、行くまいか悩んでいるうちについついそのタイミングを逸してしまった。ウナと離れたくない。そんな気持ちが決断を鈍らせた。そして、その思いは1秒毎に募っていくようだった。
結局、その日はウナと朴さんと大理古城から十数キロ離れた少数民族の朝市に出掛けたりして過ごした。
しかし、果たしてこのままでいいのか。
ヴェトナムの入国まで期限はあと3日。
昆明までの道のりが10時間。そして、昆明からヴェトナム国境の町、河口まで火車で12時間かかることを考えると、やはり明日には出発しなければ間に合わない。
ウナを誘って一緒に行くか。
いや、それなら単なるピクニックと同じだ。
そもそも、それでは朴さんの気持ちを踏みにじってしまうではないか。
結局、わたしの気持ちは煮えきらないまま、翌日大理を出発することにした。ウナのことを本当に好きになってしまう前に、旅立つのが懸命だ。
その晩、3人で摂った最後の夕食はやはり楽しいものだった。
招待所近くの安料理屋。珍しく、我々はビールを頼んで少し陽気になった。
「ウナはこれからどこへ行くんだい?」
わたしは尋ねた。
「分からないわ。風の向くまま、気の向くまま」
それは、どういう意味なのか。
或いは、わたしが「一緒に行かないか」と口にするのを待っているのか。
「ウナ、一緒に行こう」
その言葉が喉元まで出掛かった。
だが、わたしが発した言葉は、「明日、昆明に戻るよ」だった。
三度ウナが「わたしも一緒に行く」とはもう言わなかった。
ウナとの別れは神妙だった。
翌早朝4時に起き、昆明行きの汽車に乗るつもりで、わたしは部屋からそ~っと出ようとした。
別れの言葉は前の晩に交わしていたのだった。
支度を終えて、部屋を出ようとしたそのとき、ウナがベッドから静かに起き上がった。
「行くのね」。
ウナの言葉にわたしは頷いた。
そして、お互い何も言わずに長い抱擁をした。
「グッドラック」
ウナの言葉は掠れそうな声だった。
昆明行きのバスの車中、流れる景色を見つめながら、ずっとウナのことを考えていた。
果たして、これで本当によかったのか、と。
バスは昆明へ向かう途中、故障のため4時間も立ち往生した。
朝4時半に大理を出たにも関わらず、バスが昆明に着いたのは夜の9時だった。
■写真は大理の北31kmにある少数民族ペー族の村「沙坪」の市場にて熊猫刑事(人民解放軍のズボン着用)
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
アジアの王道ともいえるかのようなプラトニックぶり。
ほんで熊猫氏の王道ともいえる押しの弱さ。(笑)
そやけど、ええ話しすぎるんとちゃうん???
あるあるまでではないにしても若干捏造したりしてへんの?
いや、羨ましかったんで、ごねてみただけなんやけど・・・。(笑)
それにしても、この日の展開によっては、その後どうなったんやろとか、果たして師はその後彼女と交流はあったんやろかとか、色々想像させてくれる、切なくてそして美しい、青春の香りが一杯なエピソードやなあ。
けど、相変わらずここでもダサズボンはいとる訳で・・・。(笑)
捏造なしですよ。
しかし、旅の話しより恋バナのほうがメインていうのはど
うなのか、迷いながら書いてきたよ。
しかし、予想通りの結末でしょ。オレらしくて。
師も「ホーチミンでディスコ」ってなかったっけ?
大いに期待しているよ。
次回から、いよいよヴェトナム編だよ!