巨大な花崗岩に入った小さな割れ目。
それを突き破って育ち、花を咲かせた桜。
巨石を割って咲いたことから石割桜と命名され、1923年には国の天然記念物に指定されている。
樹齢360年超。風雪に耐え、今も枯れることなく花咲かせている様は見事と言うしかない。
眺めて「立派だな」「きれいだね」と言うのもいい。
だが、咲いている場所は盛岡地方裁判所の構内である。
なんとも暗示的ではないか。
「真実は岩をも穿つほど強い」
「どんなに隠そうとしても真実は必ず現れる」
「裁判所ですら真実を明らかにするのは岩をも穿つ信念と力がいる」
「真実を、正義を貫こうとする場合、常にそれを塞ごうとする巨石のような力が働く」等々。
様々な言い方ができるかもしれない。
しかし、裁判官は本当に正義の味方か、公平な裁きを行っているのか。
司法の独立、公平な裁判が行われるというのは実は幻想ではないのか。
裁判は常に時の権力によって左右され、裁判官は検察官と共に権力の側に立っている。
冤罪の大半は検察と裁判官の共同作業によって生まれているのだ。
真実を、正義を貫き、真実が、正義が生き残るためには多くの人が長年に渡って支えてきたからで、
そういう支えこそが必要ということをこの写真は教えてくれている。
岩手県盛岡市、盛岡地方裁判所構内の石割桜
一番上の写真の後ろに見えるのが盛岡地方裁判所の建物である。