「かくて時は過ぎ行く」 時は容赦なく過ぎて行く。 忙しさや慌ただしさや近代化で 汚されていないニュー・ムーンでさえも 時はぐんぐん過ぎて行く。 流れが向いて来た時にそれに 乗るはずではないだろうか? ・・・ 【「エミリーはのぼる」 第24章】 |
昨日以上の寒さで明けた今朝。今日も快晴の空になりました。
早いもので新年も11日。今日は 「鏡開き」 ですね。
鏡とは勿論、「鏡餅」 の事。
おめでたい新年には割るとか切るなどの言葉はやめて
「開く」 という言葉を使った先人の心を思います。
言葉には 「言霊(ことだま)」 が宿ると
信じて疑わなかった・・。日本人ならではですね。
さて、あの秋の日の野の花が
こんな姿で蘇りました。
これまでもお茶時間の
背景などに一部、チラッと
登場した事もありますね。
わが家には壺だけは
そこら辺に、ゴロゴロ
転がっていますので、
よりどりみどり? なのです。
尤も野趣に溢れたそれは、
土物が一番合う気がします。
でも、こんな和陶器の壺
だって、(ススキは七宝の壺)
どうして、どうして。
そうそう、壺もいいですが
籠もいいですね。
その籠にも籐あり竹あり。
こんな国は日本だけでしょう。
特に竹籠に至っては日本では
需要がなくなりましたので、ほとんど輸出専用とか。(欧米)
それは大人気で、かなりの高値で取引されるという事を
ある雑誌で読んだ記憶があります。
同時に最近ではあまり食器にも拘らなくなったせいか、
と言いますか・・食事の多様化で、日本各地の窯元も衰退気味とか。
輸出もいいですが、これでは日本独自の文化が、
やがて衰退する気がして不安です。料理は器から・・。
素敵な器で食事・・美味しく感じられますね。