そういえば、
平成最後の「春休み」である。
6才で幼稚園に入園して来、
55年間も学校を離れたことがないので、
55回目の春休みではある。
春・夏・冬と
スリー・シーズンの学休期間に
すっかり骨身まで馴染んでいるので、
人様がせっせと平日働いていても
平気の平左である。
そういや、
大学と院の時だけ、
前期試験後の「秋休み」も
あったなぁ・・・。
一年のうち二ヶ月近くは
ロンバケだったわけで、
それを55回も経験してきたわけだから、
暇潰しの名人級なわけである。
本来、「定年」を迎えたので、
毎日が日曜日でもいいのだが、
幸いにして、まだ、
週二日の学校勤務と
定期的な自宅でのカウンセリングと
ギター・レッスンがある。
少しく働いて、
大いに余暇を満喫している。
年老いたら、
茶人趣味、文人趣味に生きたいなぁ・・・と、
若い頃から漠然と思っていたので、
今、それを自己実現しようと
暮らしに「風流」「風雅」を
取り入れるべく、
積極的に努めている。
貧乏をすれど
我が家に風情あり
質の流れに
借金の山
昨日も
庭に積もった春雪を
端渓の『梅硯』という
銘硯に採って、
松煙墨という銘古墨を用いて
書を楽しんだ。
『ギャラリーフェイク』というアート漫画で、
元メトロポリタンのキュレーター(学芸員)が
「日本の書の歴史上、最高峰の一品」
と讃えた副島種臣(そえじまたねおみ)の
奇天烈で楽しい書が出てきたので、
それを臨書してみた。
臨書には、
手本を模倣する「形臨」、
作者の気持ちになって書く「意臨」、
手本を記憶して書く「背臨」があるが、
いずれも、独自の書風を会得するのに
必要な模写である。
先のコミックに拠れば、
副島は、明治時代の
郵政大臣/外務大臣で、
幕末の志士でもあり、
和漢洋の学問を修めた
博覧強記の人物であるそうな。
「特に、書には秀で、その存在感は
凡百の書家の顔色なからしむほど!」
だそうだ。
晩年は、
大胆な作風を創作し、
ついには書でも抽象画でもない
漢字の本家の中国人ですら
想像もしなかった到達点を
見出したという。
「日本・・・いや、
アジア史上最高の書・・・」
とフジタ(主人公)は
作品の中で絶賛している。
彼の多くの書を
画像検索でググッてみると、
それは、現代でも
新鮮で深遠であり、
斬新でオモシロイ。
なので、
この機会にいろいろと
臨書してみようと思っている。
特に傑作とされる
「野富 烟霞色 天縦花 柳春」
「野は烟霞(えんか)の色に富み、
天は花柳(かりゅう)の春を
縦(ほしいまま)にす」
を背臨してみた。
本番まで
もう十日あまりというのに、
まだ編曲の手入れをしている。
練習をしていると、
どーしてもしっくりいかなかったり、
面白い響きや効果のアイディアが浮かび
ついつい手直しをしている。
昨晩は、
『死んだ男の残したものは』の
6番の伴奏を
「コードの静かな弾き下ろしで・・・」
という歌い手の要望を
アドリブでやっていたが、
それでは心許ないので
“カキリブ”に変更した。
そしたら、
インテルメッツォ(間奏部)の
別バージョンのアイディアも湧いて
ワルツ風と流麗なアルペジオ(分散和音)の
二通りが創作できた。
編曲は演奏とは違った楽しみがあるが、
これもコンサート・シーズンの
有意義な送り方ではある。
きっと、
本番直前まで手入れして、
ブラッシュ・アップするんだろうなぁ。
京都「西谷堂」の
「丁稚(でっち)羊羹」が好物なので、
ダイソーで「漉し餡」と
「粒餡」を買ってきて、
メリケン粉や片栗粉、餅粉との
配合を変えて火入れし、
いろいろな食感のものを拵えてみた。
「でっち羊羹」そのもの風
と迄はいかなかったが、
モクモクした歯応えの羊羹が
簡単に家庭でも作れた。
しかも、材料費は
餡子ふた袋で216円である。
平成最後の「春休み」である。
6才で幼稚園に入園して来、
55年間も学校を離れたことがないので、
55回目の春休みではある。
春・夏・冬と
スリー・シーズンの学休期間に
すっかり骨身まで馴染んでいるので、
人様がせっせと平日働いていても
平気の平左である。
そういや、
大学と院の時だけ、
前期試験後の「秋休み」も
あったなぁ・・・。
一年のうち二ヶ月近くは
ロンバケだったわけで、
それを55回も経験してきたわけだから、
暇潰しの名人級なわけである。
本来、「定年」を迎えたので、
毎日が日曜日でもいいのだが、
幸いにして、まだ、
週二日の学校勤務と
定期的な自宅でのカウンセリングと
ギター・レッスンがある。
少しく働いて、
大いに余暇を満喫している。
年老いたら、
茶人趣味、文人趣味に生きたいなぁ・・・と、
若い頃から漠然と思っていたので、
今、それを自己実現しようと
暮らしに「風流」「風雅」を
取り入れるべく、
積極的に努めている。
貧乏をすれど
我が家に風情あり
質の流れに
借金の山
昨日も
庭に積もった春雪を
端渓の『梅硯』という
銘硯に採って、
松煙墨という銘古墨を用いて
書を楽しんだ。
『ギャラリーフェイク』というアート漫画で、
元メトロポリタンのキュレーター(学芸員)が
「日本の書の歴史上、最高峰の一品」
と讃えた副島種臣(そえじまたねおみ)の
奇天烈で楽しい書が出てきたので、
それを臨書してみた。
臨書には、
手本を模倣する「形臨」、
作者の気持ちになって書く「意臨」、
手本を記憶して書く「背臨」があるが、
いずれも、独自の書風を会得するのに
必要な模写である。
先のコミックに拠れば、
副島は、明治時代の
郵政大臣/外務大臣で、
幕末の志士でもあり、
和漢洋の学問を修めた
博覧強記の人物であるそうな。
「特に、書には秀で、その存在感は
凡百の書家の顔色なからしむほど!」
だそうだ。
晩年は、
大胆な作風を創作し、
ついには書でも抽象画でもない
漢字の本家の中国人ですら
想像もしなかった到達点を
見出したという。
「日本・・・いや、
アジア史上最高の書・・・」
とフジタ(主人公)は
作品の中で絶賛している。
彼の多くの書を
画像検索でググッてみると、
それは、現代でも
新鮮で深遠であり、
斬新でオモシロイ。
なので、
この機会にいろいろと
臨書してみようと思っている。
特に傑作とされる
「野富 烟霞色 天縦花 柳春」
「野は烟霞(えんか)の色に富み、
天は花柳(かりゅう)の春を
縦(ほしいまま)にす」
を背臨してみた。
本番まで
もう十日あまりというのに、
まだ編曲の手入れをしている。
練習をしていると、
どーしてもしっくりいかなかったり、
面白い響きや効果のアイディアが浮かび
ついつい手直しをしている。
昨晩は、
『死んだ男の残したものは』の
6番の伴奏を
「コードの静かな弾き下ろしで・・・」
という歌い手の要望を
アドリブでやっていたが、
それでは心許ないので
“カキリブ”に変更した。
そしたら、
インテルメッツォ(間奏部)の
別バージョンのアイディアも湧いて
ワルツ風と流麗なアルペジオ(分散和音)の
二通りが創作できた。
編曲は演奏とは違った楽しみがあるが、
これもコンサート・シーズンの
有意義な送り方ではある。
きっと、
本番直前まで手入れして、
ブラッシュ・アップするんだろうなぁ。
京都「西谷堂」の
「丁稚(でっち)羊羹」が好物なので、
ダイソーで「漉し餡」と
「粒餡」を買ってきて、
メリケン粉や片栗粉、餅粉との
配合を変えて火入れし、
いろいろな食感のものを拵えてみた。
「でっち羊羹」そのもの風
と迄はいかなかったが、
モクモクした歯応えの羊羹が
簡単に家庭でも作れた。
しかも、材料費は
餡子ふた袋で216円である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます