声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

大和ミュージアム

2012-08-25 23:45:28 | 旅の楽しみ
呉の大和ミュージアムは以前から
行きたいと思っていた場所です。

呉の海軍工廠には戦時中、日本全国
から10代半ばの少女達が女子挺身隊や
動員学徒として働いていました。
母もその一人です。

「大和が呉を出航するのをみんなで
見送ったんよ。」

大和ミュージアムに行けば、その頃の
母達の生活が記録として残されている
かもしれない…。

そんな期待感をもちながら訪れたミュージアムには、
動員学徒に関する資料はごく僅かでしたが、
4階のライブラリーで母の所属する
水雷部に関する資料を見つけました。


『動員数207名:
入寮月日 昭和19年10月7日
海軍式布団のたたみ方、整頓も
いちいち検問があった。
…(中略) 寮母さんの計らいで大部屋に集まり各校から有志が出て
童謡・唱歌・歌曲を唄ったり即興のゲームをしたこともあった。…』

(母が楽しそうに話していたのは
この事だったんだ…。)

16歳のオカッパ頭の母の顔を思い
浮かべ、嬉しくなりました。

館内では、大和や武蔵など当時の最新鋭の軍艦に関する資料をはじめ、
遺品や遺書などを含めると展示品は相当数に及び、屋外展示物まで見て回る
と半日以上かかりそうですが、
そこにあるのは"平和の尊さ"を訴えるメッセージです。

「武士(もののふ)は死ぬるものとは
思ふ身の征く朝のみは 晴れよ濃霧」

第二艦隊司令部付軍医 岩佐尚 大尉の
辞世の句です。

"人間魚雷"の資料展示前では
実物大の構造図が足元に描かれ
ています。
その上に立つと、恐怖心を忘れるため自らを奮い立たせて乗り込んだ20歳そこそこの青年達の士気に高揚した表情が想像できます。
彼らに与えられた時間は48時間、
その狭い閉ざされた空間で
いったい何を思ったか…。

現在は海上自衛隊になっている
"アレイからすこじま"の水雷部が
あった場所に立つと穏やかな波間に
黒く浮かぶ潜水艦が見えました。

多くの軍艦を造り、送り出した呉の
今の様子は、67年前当時とは比べもの
にならないほど様変わりしましたが

多くの若者達が死を覚悟して
ここから出航し、そして二度と帰って
くる事が無かった事実を、私たちは
決して忘れてはいけないと思うのです。








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