会場を出たのが6時過ぎ、
帰りの電車内で、
今回のコンクール応募の自身の目的を考えてみた。
何のために、こんなに時間とお金をかけてコンクールに出たのだろうか?
…と。
結果に満足だったら、普通はそんなことは考えない。
酷評は、まさに私の歌に対してだった…
(−_−;)
審査員でもあるシャンソン歌手のNさんから
『この歌は悲しい歌です、戦争で帰ってこない恋人を待っている歌です、それを楽しく唄うのは…』
と、全否定されてしまったのだ。
もちろんフランス語の歌詞の意味も
単語1つ1つを調べて、それなりに歌ったつもりだった…
《待ちましょう》は悲しい歌詞ではあるが、
帰って来るか来ないか分からない戦地に行った愛する人を待つ…
そんな気持ちを歌った曲である。
前日、ウクライナ国内で戦地に行った夫や恋人を帰すよう抗議をしていた女性たちのニュースを見た。
79年前は、広島に原爆が落とされた。
平和を願う気持ち、大切な人が帰って来るよう願う気持ち…
それを歌ったつもりだったが、
単に楽しく歌っただけ…と吐き捨てられたのは、
私の技量が足りなかったせいだろう…
キーが半音上がったのも、明るく感じられた要因かもしれない。
しかも伴奏はスイングジャズ風である。
(^◇^;)
これを、どう悲しく唄えば良いのだろう…
誰か教えて欲しい。
(~_~;)
私の講評の後で
客席の後ろの方に座った男性がスーッと席を立って出て行ったのが見えた。
自衛官時代にお世話になった大先輩だった。
わざわざ聴きに来てくださったのに…
講評を聞いて不愉快になってしまったかな?
空席の目立つ席が、ますます閑散としている。
だけど、収穫も多かった。
グランプリ受賞者の中国人留学生の歌は素晴らしかった!
韓国から参加した優秀賞の歌手の方の歌も私は好きだ。
彼女たちのフランス語の発音の美しさにうっとりと聴き入ってしまった。
その彼女たちに、
『今度は日本語で歌ってほしい、そのほうが伝わるから…』
と、コンクールの最後に審査員や主催者は結んだ。
私は問いたい。
美しいフランス語で歌うシャンソンは日本人に伝わらないのですか?
カンツォーネはイタリア語で歌うより日本語のほうが伝わりますか?
シャンソンやカンツォーネを歌う人の裾野を拡げるには、
《日本語で歌う》事が基本なのかもしれないが…
原語で歌ってこそ、素晴らしいと思える歌も多いのが事実だ。
【愛の讃歌】なんて、
まさにそうではないだろうか…
違いますか?
トップ画像は、
自衛官時代の大先輩の差し入れ。
可愛いバッグの中には、のど飴がギッシリ入っていた。
いつも、ありがとうございます!