米映画『いまを生きる』(原題: Dead Poets Society)は、
英国の名門高校で寮生活を送る少年たちの物語りだが、
客観的にみると、
教師や親たち大人の言葉が、多感な時期の少年たちに与える影響を如実に表した映画だと思う。
ロビン・ウィリアムズ扮する変わり者の教師が少年たちの抑圧された日々に大きな変革をもたらす…
それは一見、輝かしい未来への一歩のようだが、
実は大きなリスクを伴う…
感動的な映画だと評されているし、
脚本もアカデミー賞を獲っている秀逸な映画だとは思うが…、
この映画のテーマは重く、そして我々のような大人に問いかけてくる…
大人は…何をすべきか。
無責任な言葉で少年たちを煽ってはいけないのだ。
我々大人は言葉に責任を持たなくてはいけないのだ。
埼玉の高校で起きた事故は、誰の責任か…が問われている。
少なくとも軽自動車の車内にキーを置きっぱなしにし、
誰でも乗れる状態にしていた学校側の管理責任は免れないと思う…
残念な事故だが、キーさえきちんと管理できていれば防げたはずだ。
こんなに当たり前の事が、なぜできていなかったのか不思議でならない。
高校生に責任がないとは思わないが、
16、17のエネルギーが有り余っている少年たちがハメを外したくなるのは世の常だ。
ましてや名門スポーツ強豪校で寮生活となれば、
あれこれ制限される事も多かっただろう…
亡くなった生徒は本当に気の毒だが、
危険な事をやってスリルを味わい発散したくなる年齢でもあるのだ…
彼らを責める内容のSNSを見るにつけ、
これを自己責任と言い放つ書き込みが多いことに愕然とする。
擁護するわけではないが、酷だと思う。
運転していた少年や同乗していた少年たちは、
これから悲しみと苦しみを抱えていく事になる…
亡くなった少年の将来は喪われてしまったが、
一緒にいた少年たちの将来に今回のことがどれだけ影響するのか…
大人は何をすべきか…が
今、問われている。