
我が家の場合、
今年は気分的にお正月どころではないな、
と思う…
夫は「な〜んだ、椎名林檎が出ないんじゃ紅白は見る気しないな」
と言うし、
私は私で、
従弟の急死、それにHalの病気で気分が重く、
おめでたい紅白は見る気にならない。
夫は、そんな私に
「遅かれ早かれ別れは来るんだから、どこかで吹っ切らないとダメだ」と言う。
理屈ではわかっているが、感情ではなかなか理解できない…
今日は、ふとその理由を考えてみた。
まず、
従弟にしろ、Halにしろ、自分にとって嫌な思い出が全くない…。
比較するのは申し訳ないが、
3年前に92歳で死去した実父は脳血管障害による認知症で人格が変わってしまったせいで、
悲しみの感情が湧いてこなかった。
10年前に検査入院の翌朝、83歳で死去した実母の場合もアルツハイマーを患っていて娘の私のこともわからなくなっていた。
悲しくはあったが、死を受け入れるのに時間はかからなかった。
まさに《呆け》は親との別れの悲しさを軽減させてくれる神様からのプレゼントであった…。
どこかで別れの準備ができていた場合と、
そうでない場合の違いなのかもしれない。
…で、
どう自分を納得させるかだが、
従弟の場合は、多分もう少し時間がかかる。
Halに関しては、最期までとことん介護をやり切ることだと思う。
これは里親として引き取った以上、自分に課した仕事でもある。
Halが最期に、ここに来てよかったと思ってくれる事が何よりなのだ。
(自己満足かもしれないが…)
実は今朝、
私はガラにもなく、一瞬取り乱してしまった…
散歩中に胃液を吐いたHalが、その直後、いきなりパタンと倒れて痙攣を起こしたのだ。
すぐに身体をさすってやって抱き起こし
重い身体をハーネスで支えてやりながら30メートルほどの距離をゆっくり歩いて連れ帰ったが、
道端でそのまま死んでしまうのではないかと思って動揺した。
いよいよ尿毒症か…とも思ったが、
そのあとは、いつものように窓際で日向ぼっこをして、昼過ぎまでよく眠り
午後からはいつものようにドライブ散歩に行って気分転換ができたせいか、
少なめの量ではあるがドライフードを食べ、水も飲んでいる。
好物の擦りリンゴとお粥も喜んで食べた。
今日は深夜1時に、ちゃんと起きて庭先で大小ともに排泄してきた。
なんとか今日も無事に過ごせた。
まだ、大丈夫そうだ。
夕方、息子から電話あり、
年末年始は休みなのに家で仕事すると言う。
スタッフが辞めたせいで仕事が間に合わない…と言いながら、
カチャカチャとPCで作業しながら話す。
本人いわく
「リモートワークでは間に合わない仕事もある」らしい。
「もともとリモワになって以来、毎日が休みのような感覚もあるから正月休みと言われてもなぁ…仕事終わんなきゃ休めないし」とも…。
どこもかしこも
《らしくない》年末だ。
