両替えした中に2枚だけ北里さんが入っていた…
小学校で氏の偉業について取り上げた教科書を読んだのは遥か昔のことだ。
それよりも私には
我が故郷の偉人である森鴎外が書き残した北里柴三郎とのドイツ留学中のエピソードの方が印象に残っている。
小さくてわかりづらいが、
写真の後列右から2人目が北里柴三郎で
後列の左端が森鴎外だ。
北里柴三郎は森鴎外よりも10歳年上だが、
同時期にドイツに留学している。
共通点は、東大医学部(当時は東京医学校)予科入学時に2人とも年齢詐称をしている事だ。
入学資格に《14歳以上18歳以下》という規定があったが、
できたばかりの曖昧さもあって例外規定で『当分の間、数え20歳でも入学可』となっていたらしい…
当時、北里柴三郎はすでに23歳。
例外規定にも当てはまらなかったので
同郷の先輩である官僚が北里の年齢を4歳ずらしてくれたおかげで、入学資格を得たらしい。
一方の森鴎外は、
北里の逆で入学資格の14歳に達していなかったため、
2歳年齢を水増して願書を提出したと記されている。
当時は年齢を誤魔化すなんて、特に問題にもならないアバウトなご時世だったのだ。
そのアバウトさが、
偉人たちに学ぶ場を与えた…偉業を成し遂げるきっかけを作ったワケだ。
ドイツ留学で知り合った当時、
北里柴三郎は、すでに35歳、森鴎外は25歳。
森鴎外は、留学中のエピソードを記録した日記に、
北里柴三郎を『憚ることなき人』と記している。
考え方の違いや、留学生の立場を弁えない北里氏の行いが原因で、
森鴎外は、彼に良い印象を持っていなかった…
まぁ、森鴎外の視点で書かれた日記だから、何とも言えない…
お札になった北里柴三郎に、
お札になれない森鴎外は悔しがっているだろうか?
まぁ、愚痴ぐらいはこぼしているだろうなぁ。
(^^;;