恐れ多くもツェッペリンの話です。
ツェッペリンを語らせたら止まらない方々も多く、
以前、ラジオ番組でご一緒したスタレビの根本要さんも、
来日したツェッペリンのLiveに行った時の印象を熱く語っていらっしゃいました。
私も生ジョン・ボーナム…
聴いてみたかった…。(。-_-。)
遡れば移民の歌…がオールナイト・ニッポンで流れたのが中学生の頃、あの時の感動は忘れません。
以降この曲がかかる度に
ロバート・プラントのハイトーンの歌声につられて
夜中だと言うのに、ついイヤホーンをつけたまま
♪ アアア~アア!…と唄ってしまい、
ボンゾのドラムに合わせて
♪ドンドコ ドドンド ドンドコドドンド…と脚でリズムを刻んでしまい…
一階で寝ていた祖母を起こしてしまった事が何度かありました。
エンディングも斬新でした。
「あれ⁉ 今ので終わり?」
呆気なさと、さり気なさ…というより、いきなりプツンと途切れたC.Oのような曲の終わり方に、
それまで、
「さぁ、ここで終わりですよ」
というお定まりのcodaがある音楽ばかりを聴き慣れていた私にとって、
その概念を覆すべく、意表を突くエンディングは、とても新鮮でした。
以降、すっかりツェッペリンに魅せられ数十年。
いつだったか、
都内で一人暮らしをしている長男
が
「オレ、なぜかカラオケで“天国への階段”が歌えるんだよなぁ…」
と呟いていたのを聞き、
はたと思い当たった事があります。
長男がお腹にいるときも、ずっと聴いていたのです。
胎教と言えばモーツァルトをまず勧められますが、
一人目の時はロックばかり聴きたくて…、
きっと、現状にガマンできず
“早く、この狭い所から出たい”
“早く、出して身軽になりたい”
という、母子共通の思いが働いたのでしょう。
…まさにロック魂です。
(。-_-。)
ロックでの胎教が、その後の人格形成にどういう影響を与えるのかは定かではありませんが、
長男は小学生の頃から、おとなしそうな見た目とは裏腹に、硬派で頑固で自己主張をしたがるタイプ…。
ちなみに、次男の時は女の子だと思い込み、あえてモーツァルトばかり聴いていたせいか、
長男とは逆でシャイで控えめな性格になってしまいました。
なんだか…話が逸れてしまいましたが、
兎にも角にも、
私にとってロックの原点となった「移民の歌」を聴くと、
深夜放送にどっぷり浸かりながら過ごした、中学の頃と
「いい加減にしんさい!うるさいよ!」
と言って、“二階への階段”を上がってきた今は亡き祖母のコワイ顔を思い出すのです。(^_^;)
清水由美