遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    10/11、会社の役員のお嬢さんの結婚式に参列したあと、青森縄文ツアーに合流するため東京駅に向かった。新幹線の最終に間に合わないため22:30夜行バスラフォーレで行くことにしたのだ。

    ところが、駅で駅員さんに呼び止められ電車に乗り損なう。次のJRだと2.3分遅れるかもしれない。すぐに高速バス(JR)にTELするが、「待つことはできない、定刻とおり出発」とにべもない返事、「チケットを解約したほうがよい」と言われる。だが、あきらめるのは早いと思い、つぎのJRに乗ると快速で22;20に東京に着いた。..よかった、間に合うと胸をなでおろす。....ところがなぜかわたしは降りなかったのである。有楽町で飛び降り、のぼりホームへの階段を駆け下りたが、目の前で扉は閉まる....次は22;26分、完全にアウトだ..だが、あきらめない、こんなに邪魔が入るのはなにかある(この旅に行くことで何かが起こる可能性がある)からに違いないと思う。絶対に行く。東京駅の端から端、八重洲南口までリュックを背負い、スーツケースを引き、ひとの波を縫って走る、走る、「青森行きの方いませんか!!」と叫ぶ声。「ここにいます!!」とあえぎつつ叫ぶ。ぴったり22:30だった。

    高速バスの旅は長い。ヨーロッパにエコノミークラスで行くくらい長い。JRは三列で他社よりはゆったりしているようであるが、それでもきつかった。片道10000円(新幹線だと15000くらい)が高いか安いかは考え方である。出発時間の関係でJRにしたが、他社は往復10000円くらいのようだ。

  バスの中から見た日の出


    8;00青森駅に着いた。


 
    しんみりした感じの町並みをJALホテルをめざして歩く。昨日の披露宴がすでに遠い。披露宴のあとなにも口にしていなかったので、ホテルで朝食をとることにしたら、満喜子先生とバッタリ会っていっしょにお食事した。先生のスケジュールは並ではない。舞台の合間を縫っての旅、このツアーはセミナーを兼ねているのだ。「ずいぶん変わりましたね、つよくなった。そのうちコラボしましょう」とおっしゃった。...そう、お会いしたのが6月、ほんとうに変わった気がする。....だが、コラボはまだまだ、わたしはまだ怖い、この恐れはなんだろうと思う。

    バスは30人のりくらいのデラックスカーである。こういう目的を持った旅の企画もいいなぁ。。。。語り手たちの会でもやってみればいいのに.....とふと思った。企画のOさんは魅力的な方だった。もしかしたら運命的出会いかもしれない。彼女の家は会津藩の出であり、流されたこの福島で生き延びた一族だった。....弥陀ヶ原心中で語ったあの世界....である。そのうえ、Oさんは会津のひとびと、青森でもゲダカ(毛虫)侍とさげすまれたひとびとのことを語りたくて書き溜めてきたのだという。Oさんはダンスとウタはするけれど語りはしたことがない。おたがいに見つけた!のだ。Oさんは夢をかなえる鍵のひとつを、わたしは同志を。

    ナビゲーターは地元にお住まいの一戸さん、彼は超古代史研究家で26才くらいかと思ったら、46歳、お母様との参加と思ったら、実はご夫妻なのだそうだ。このツアーはきのうからはじまっていて、三内丸山遺跡はすでに終わっている。わたしは14日、ひとりで三内にまわる予定だ。

    最初に行ったのは日本で最古のりんごの木があるりんご園。

 りんご園にはネコちゃんたちが棲みついていた。

  これがそのりんご

  これが最古の林檎の木

   このツアーは空と水と木々に出会う旅でもあった。

  ベンセ湿原 風吹きすさぶ荒涼とした湿原.....だれかがスコットランドの湿原に似てる...と言った。

  光たわむれるさざなみ

   十二湖、青池に向かう、小鳥たちが出迎えてくれた。



   ティンシャを鳴らして歩いてみた。青池の水の色はおどろくほどのインクブルー、最初に撮った写真にオーブ...たまゆらがふたつウツッテイル。オーブは磁場のよいところに出るそうだ。たまゆらのもともとの意味は勾玉がふれあったときのかそけき音、つかのまの...という意味もある。



  この色のほうが青池にちかい。湖面の銀杏の葉が金色だった。

   そのあと青池から戻る途中の森のなかでめいめいウタっていたような気がする。それぞれがお気に入りの木をみつけて....わたしも。

  十二湖の森で....



白神では意識を広げる突端に強い気がズーンと入ってくる。ここに来た目的のひとつをわたしは理解した。森とひとつになること、木とひとつになること、自分の枠から....自分をある意味でまもってくれ、ある意味で阻害していた枠から外に出ること。意識をひろげることを畏れないこと。自分の意志の力でトランス状態に入れるようにすること。


※ベンセの語源はアイヌ....縄文人の末裔のことばで上の方....という説がある。
白神はシラー・カムイではないかとどこかの大学の名誉教授が書かれていた。


※戊辰戦争のあと、会津藩の藩士とその家族は下北半島に流された。斗南藩は全くの不毛の地で米も野菜も満足に栽培できなかった。餓死を免れるために、海岸へ流れ着く昆布や若布を拾い集めて、乾燥させこれを棒で叩いて細かくしたものを粥に炊く。野山の雪を掻いてワラビや葛の根を掘って集め、叩き砕いて何度も水にさらし、澱粉をとり米糠に混ぜ塩を加えて、団子とし串に刺して火にあぶって喰うなど、ありとあらゆる工夫をした。

 馬に喰わせる大豆を食って、「斗南衆の鳩侍・そばに寄ると豆臭い」などと地元の者にあざ笑いされのはまだしも、雑草を食べ尽くし、「会津のゲダカ侍」と陰口された。(ゲダカとは地方の方言で毛虫のこと)無念にも犬や松の白皮さえも、剥いで喰った人々がいたという。結果 娘を遊女に売るものもあった。

 斗南...とはいつか南に帰るという願いをこめたものという、



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