紀行文はひとやすみして、メモしておきたいことがあります。今 部屋の掃除をしています。捨てるものは捨ててしまおう!!と決心しながらなかなか捨てられません。語り手たちの会の研究セミナー関係を処分しようとして見つけたものがありました。それは 7年前のわたしの8つの課題でした。
心に響くものがたりを掘り起こす。うちにあるものがたりをカタチにする。からはじまって”心をひらく””場を掴む””声を磨く””出だしと〆を決める”そして ”ものがたりを生きる”
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これは会に提出する課題ですからスピリチュアリティについては言及してありません。それについては十二分にあって、差し出すためのノウハウが課題だと考えていたのかもしれません。
7年前と今では課題はどう変わったでしょう。3つの柱、ものがたり、声、ものがたりを生きることは変わってはいないのです。。では、どこが変わったのかな? 2年まえ気がついたことはひとの心に響く声のためにまた、ものがたりを生きるために身体性が重要である....ということでした。
わたしはなんにでもメモをとるクセがあります。ノートが手元にないときはレジュメ、散らし、広告、その大量のメモの山を前に辟易しながらヘビののたくったような字を読んでいるうち、4枚のメモに共通することが書いてあって、たいへん驚きました。うかがった方はそれぞれ違い誰に聞いたのかさえ定かでないのもあるのですが...。聞いてメモをしたとき、わたしはその重要性を理解していなかったのでした。
それは「音を意識する」ということです。たとえば、自分の声を「音」として聴くこと.....あるいは他の音の響きを聴くこと。それは自分の中を変えることにつながります。中がかわらなければひとの心に響かせるのはむつかしい。もっと先に進めるとトランス状態によって即興性は引起される....その経路、きっかけに『音』がなる。トランス状態....神懸かりとまでいかなくても、なにか自分以上の力がはたらく、そこには音の響きが介在する.....そして身体の動きがそれを加速すると気づいたのでした。
もし、何か不測の事態が起きたらこの部屋からなにを持ち出そうか....パソコンは無理、本、ビウエラ?ネックレスとか?いいえ...メモ? いいえ 分厚いファイル5冊分のものがたりです。語ったものがたりはカキコミで汚れています。語るたびにかわってゆくからです。未だ真っ白な語っていないものがたりが1/3あります。これをほんとうの意味でカタチにして、たまゆらの命を響かせねばなりません。聴く人の心に共鳴したとき、はじめてものがたりはいのちを持つのでしょう。
共鳴....これこそが鍵かもしれない。共鳴する身体、共鳴する魂、生命のエナジーが声になり....おとたま....意味づけされたことばが.....ことたまになる。......共鳴する身体によって倍音が生まれゆたかな声になる.....心だけでなく実は語り手と聴き手の身体そのものが共鳴している......
そのために身体をゆるませる。自分自身を知ることが必要なのだと思います。
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