.......みなさま 今日はすばらしい青空です。朝方4時か5時に寝る生活をしていたのが、朝の4時5時に目覚める生活にとつぜん変わってしまいました。今日は贈り物のようにうつくしい富士山とはるかなやまなみを見ることができました。
つらつら、幻想の系譜のこと、それからマイケル・ジャクソンのことを考えていました。二年前の理事会でNPO法人として語り手たちの会がなにを目的としてゆくか相談したのです。そのひとつの柱が芸術としての語り事業でした。そのとき、芸術とはなんだろう....と微かに思ったのですが、その問題は討議されないままでした。
わたしが、語り手たちの会で得たのはふたつ、片岡先生の(なにかのだれかの)”代弁して語る”ということばでした。そして、もうひとつ”それでは(自分の)癒しで終わってしまう”ということばです。パーソナルストーリーは語り手自らを癒し聴き手を癒す力を持つものですが、どなたかの「自分が癒されればいいのでは」ということばに応じておっしゃったのです。このふたつは長いことわたしの主要なテーマのなかにあります。
以下にあるのはmimiさんのブログからお借りしたマイケルの2001年英国オックスフォード大学スピーチの一部です。
『みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?』
『わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか?
コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじまるのです。世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。』
まず自分を癒すことからはじまる。マイケルは自らの父親との葛藤から自分を癒そうとし 父を許し愛そうとしました。そしてすべての子どもたちに手をさしのべようとし、子どもたちを癒すことで 世界を癒し救おうとしました。......歌の力によって......。
マイケル・ジャクソン!? やつのポップスやムーンウォークが芸術だって!? というひとがいるかもしれません。しかし 彼のうたはたしかにひとの心を打つのです、涙であらいながす力を持っています。
亡くなる前に撮影したフィルムが映画になって公開されています。マイケルのうしろに控えるバックダンサーたちはまだ10代、20代.......けれども50歳のマイケルのオーラは若い青年たちを圧倒し凌駕しているとか........。マイケルの意思、マイケルの魂が子どもたちを愛し、ひとびとを癒し、本気で世界を救おうととしていたからではないでしょうか。
癒しとはなにか、波立つ心をしずめ、生きる力を取り戻すこと、魂本来の輝きを取り戻させること。.....傷痕を持たないひとはいません。自らを癒しながらそのあと、歌い手であれ 語り手であれ 芸人であれ 役者であれ、ひとを癒し、涙を流させ、微笑ませ、さぁ生きてゆこうと立ち上がらせる.....芸術を希求するならそれこそが芸術の姿ではなかろうかと思うのです。
mimiさんのブログにマイケルのことが載っています。きのうのリンクをごらんください。mimiさん 今日とあしたの2日間 マイケルの講演をあげさせてください。
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