これ 読売の記事なんですよね。このごろ 病院で延命するかしないか訊かれる...というか 強引に判押させられるんですが....延命すると家族がたいへんですよって お医者様に言われたときは あなたに言われたくはないわと思いました。気持ちがわるい。延命とは胃ろうだけではないはずです。 どこまでの延命か 基準をつくるべきではと....。この記事は怖いな....延長すると どこかの政治家が老人はこうなる前に死ねとかいうことにつながると思います。
自分にとって どういう状態が死なのか.... まず考えること 質の高い生について考えること 医療に依存しない生を考えること。依存しないで 自分の意志で決めることだと思いますし 命への可能性は捨ててはいけないとも思います。
食べられないこと しゃべれないこと 五官の機能がなくなること 自分のことができなくなること 脳波の停止 心臓停止 わたしにとっての死はなんだろう...
→ こちら
「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。
以上