遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

話す        (想いを ものがたりを 自分から)放す  離す       

語る          カツが古語   魂に響かせる

 

語りで陥入りやすいのが  独り芝居になってしまう    つくってしまうこと

もうひとつが  暗記の朗読

 

では どのような 語りが心を  打つのでしょう。耳を澄ませて 聴く  そして 感想を読むと見えてくる。

つくった それっぽい 息遣い   句読点に忠実な息遣い  の語りは  こころに響かない。

息遣いとは 呼吸 です。そのものがたりの呼吸    登場人物の呼吸   で  語るのです。

戦争体験は 文字通り  体験を語るのですが   過去の体験を 今まさに起きている こととして語るのです。語り部が70数年前にタイムスリップした状態で  目の前に焼け野原を見る  B29の轟音を聴く   湿った暑いジャングル  目の前の戦友の屍  腐臭   つまり  五感を語るあいだ 明け渡す。見る  聴く  嗅ぐ   味わう   感じる  。

すると  脈拍は早まる   動悸がする    恐怖    苦痛     悲しみが押し寄せる   魂が震える。

その心身の状態で発する息遣い   声の振動が  聴き手の心身に伝わる。共振  共感が起こる。それが  語り  です。映像よりリアル  その時代にいるようだった  気持ちがよくわかった   と感想にある所以です。毎回  号泣される方がおります。

センテンス 句読点  は 読むための  書くための   文章とはおのずから  異なる。

そこに 一気に到達するのが  巫女のように  戦時に生きたひとを引き寄せて語る ことなのですが   それをできるひとは稀   メンバーにはおりません。わたしにその資質はありますが  いつもできるわけではなく   できたときは至福もあるがリスクも伴う。消耗し戻ってくるのが難しいときもある。

しかし別に巫女ではなくとも  エクササイズとテキストを読み解くことで  集中することでなり切ることは可能です。浅いパフォーマンスではない。軸を持つと同時に客観性を持ち続けることが肝要です。

つづく



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今日はエピソードをトークのなかに追加しました。それは徴用された軍用犬と軍馬の運命です。犬は毛皮にされただけではなかった。神風特攻  兵器として使われました。馬も兵器でした。物として扱われ 死んでいった 犬たち 馬たちのことを思うと忍びない思いがあふれます。今日の感想にあったように 戦争は 狂気の為せるものであり  狂気をうむのです。

https://wanchan.jp/osusume/detail/3844

 

戦争の風化   そんな中で忘れ去られてしまったもう一つの悲劇があります。
それは大日本帝国軍部の愚かな考えから、戦争に駆り出され動物兵器として利用された犬達の悲劇です。
犬達は調教に当たった兵士から褒めてもらたい一心で散って逝きました。
軍用犬イメージ

 

犬は第一次世界大戦時から、優れた嗅覚と聴覚を見込まれて戦場に駆り出されて行きました。
所謂それが軍用犬です。

当初軍用犬は警戒・捜索・伝令・運搬などの任務を支援するためのもので、戦闘するためのものではありませんでした。
しかし軍部が兵士達に『犬さえも勇敢に働くのに、まして我々人間は更に頑張らねばならねば』という気持ちを抱かせるため、動物兵器として使用したのです。

その数は日本本土から5万頭、満州を含めると約10万頭の犬が動物兵器として戦場に動員され、それは敗戦に至るまで配備され続けたそうです。

戦況が悪化すると犬の神風特別攻撃隊が組織され、多くの犬達が【物言わぬ悲劇の兵士】として戦場で散りました。

私は当時の軍部の考えが理解できません。
正気の沙汰ではないと思います。
数えきれない程の人間と、何も知らない犬達までも犠牲にしているのですから・・・

https://ameblo.jp/zipang-analyzing/entry-11635390890.html

 

旧日本軍では、馬は大切な装備でした。
補給品の運搬はもちろん、騎兵用乗馬や砲兵用輓馬(ばんば)、重機関銃の運搬などにも活用され、「戦場の活兵器」と呼ばれることもあります。

 日中戦争から太平洋戦争にかけての日本軍の戦没者は230万人と言われていますが、人間だけでなく従軍した馬も、約100万頭近い犠牲が出ています。第二次大戦時、すべての部隊を自動車化に移行させた米軍に対し、日本陸軍は経済的、技術的に機動力・輸送力を馬編成から自動車へと転換できなかったのが原因でした。

 馬の犠牲が大きかった理由として、見境ない軍馬徴用により馬が無用に増えたため、馬の扱いが粗雑になったことがあります。またそれを扱う要員の訓練が行き届かず、愛馬精神に欠けるなど、馬の管理上の問題がありました。

 梅津馬政課々員(31期、のちの少将)は上海の出張先で、「馬は痩せて紙の如く、一枚、二枚と数えている」という光景を目にしています。

 

さらに馬の無用な犠牲を出した原因として、南方作戦において、熱帯雨林や珊瑚礁の中にあるような小島に馬を連れて行ったことがあります。熱帯雨林といえば道なきジャングルですから、輸送力としての馬も役に立たないことはおぼろげながら想像はつきます。

 しかし陸軍では仮想敵国が従来ロシア(ソ連)であったため、大陸での戦争は作戦準備していても、太平洋戦線は想定外であったため、南方での戦いにも具体的に何をどうするという作戦規定がありませんでした。

 
 一例として、大卒の予備士官が陸士出の士官に、南方ではどのように戦うのかと尋ねた際の逸話が残っています。

「中條大尉殿(陸士出の士官)は、本職の軍人ですから、仮想敵国の範囲に密林があるところがあって、密林の研究は、十二分に承知していると思いましたから、密林内の戦闘とは、どういう戦闘方法なのか、と質問しました。

 中條大尉の返事は、甘い蜜が出るような森だから、それに気を取られて戦闘精神を失うな、ということだと言われました。中條大尉殿は、密林の密を、蜜蜂の蜜だと思っているんです。

 

僕は一人で考えました。考えたというのは――僕達は第二中隊です。輓馬(ばんば)で弾薬、糧秣を輸送する兵科です。密林と言えば、恐らく樹が茂りに茂っている森だと思うんですね。そして、輜重(しちょう)車とか荷車を引いた馬が、物を運ぶなんてこと出来るわけがないでしょう」

  そして予備士官は中条大尉に、馬を現在駐屯している中国大陸へ置いて行ったらどうかと進言しますが怒鳴られて却下され、結局は馬を南方へ連れて行く羽目になります。しかし馬を赴任先のフィリピンへ輸送中、米潜水艦に攻撃されて輸送船は沈没し、多くの将兵は助かったものの、船倉につながれた69頭の馬は船と一緒に溺死してしまいました。

 開戦直前の日本での馬の総数は約150万頭でした。陸軍ではそれを根こそぎ徴収したため、それは寄せ集めの集団でした。ちなみに1945年度の機動師団の歩兵大隊長の乗馬には、人間でいえば60~70歳に相当する15歳の老馬があてがわれました。 馬は兵器備品の扱いで、日本各地から集められて戦地へと連れて行かれ、死ぬまで使われ戦後一頭も日本に還ってくることはありませんでした。

 将兵の糧食輸送も不可能となった場所では馬の馬糧に真っ先にしわ寄せがいき、馬の餓死は当たり前となりました。さらに食糧事情が悪化すると、馬を食糧として食べてしまう所も出てきました。

 

 

 

 

 



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