遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

たわごとです。

 

ケムトレイル   台風などの気象操作には  深い意味がある。

目的も  さることながら   これらが   世界的な言語のように

地球規模で行われていること。多くの国の中枢が   悪しき

連携をむすんでいること。

神を恐れぬ所業であり   ひとの命を斟酌しない  行いである

ことを告げている。

そして   わたしたちが  そうした 容赦ない巨大な悪の膝下に

あることも ………。

さて 如何にして  身を守るか………。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

??こちらもあり得ないことが起きています。

地方の 中央政権への 遅ればせながらの   叛乱です。

しごく 真っ当な 提案です。

アメリカ その裏のディープステートに支配されている日本国の

小さな けれども 確かな 一歩です。

 
知事会、地位協定の改定要求へ 全会一致で初の提言
2018728 06:45 琉球新報
 
 
【札幌市で島袋良太】全国知事会(会長・上田清司埼玉県知事)は27日、札幌市で開いた本年度の全国知事会議で、日米地位協定の抜本改定を含む「米軍基地負担に関する提言」を全会一致で採択した。沖縄県の翁長雄志知事の要望を受け、全国知事会が約2年前に設けた「全国知事会米軍基地負担に関する研究会」の調査結果を踏まえた内容。全国知事会が日米地位協定の改定を提言するのは初めて。 
 
 全国知事会の提言は(1)米軍の低空飛行訓練ルートや訓練を行う時期の速やかな事前情報提供(2)日米地位を抜本的に見直し、航空法や環境法令などの国内法を原則として適用させること(3)事件・事故時の自治体職員による迅速で円滑な基地立ち入りの保障(4)騒音規制措置の実効性ある運用(5)米軍基地の整理・縮小・返還の促進―を求める内容。
 
 知事会議で沖縄県からは当初出席を予定していた翁長知事の代理で謝花喜一郎副知事が出席し、発言した。謝花氏は基地から派生する事件・事故や環境汚染の防止には日米地位協定の改定が必要だと強調した。米軍基地を抱える15都道府県で構成する渉外知事会の会長を務める黒岩祐治神奈川県知事も「米軍基地のない自治体も一緒になったもので、非常に意義深い。渉外知事会としても連携したい」と発言し、提言案は全会一致で採択された。
 
 知事会議の終了後、謝花氏は取材に「基地問題は日本全国の問題、主権の問題でもあると認識してもらうことが、基地負担の軽減にもつながる。基地がない自治体もある全国知事会で提言が採択され、基地問題が一歩でも前進できればありがたい」と話した。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

砂の器が忘れられません。その加藤剛さんにこんなものがたりがあったとは…

加藤剛が「安倍政権は憲法違反の政権」
 
亡くなった俳優の加藤剛が「安倍政権は憲法違反の政権」!生前繰り返し語った戦争への危機感と憲法への思い
 
2018.07.11 Litera
 
 
加藤の出演した『この子を残して』(DVD版)
 
今月9日、俳優の加藤剛氏が亡くなっていたことがわかった。80歳だった。
 
加藤剛氏といえば、30年近くにわたって続いた『大岡越前』(TBS)での大岡忠相役が印象的だが、もうひとつ知られている側面が、戦争を知る世代として、「俳優」の仕事を通して、平和への思いを伝え続けてきた姿だ。
 
 加藤氏は1962年にテレビドラマ版『人間の條件』(TBS)で本格的なデビューをしている。『人間の條件』では、第二次世界大戦中の満州を舞台に、激化する戦争のなかにおいても、自らの正義を貫き通す役を演じた。デビュー作が『人間の條件』であったということは、加藤氏の俳優としてのキャリアの方向性を決定づけたようだ。2015412日付しんぶん赤旗日曜版で彼はこのように語っている。
 
「「人間の條件」で、平和な世の中をつくり、戦争に反対することが、僕の俳優という仕事の基本になりました。以来、どの作品に出ても、平和のために自分は何ができるかと考えてきました」
 
その後、加藤氏は『大岡越前』や、映画『砂の器』といった作品をヒットに導く一方で、「戦争」を題材にした作品にも多く出演している。木下恵介監督作品『この子を残して』では長崎で原爆により被爆した放射線医学の永井隆博士を演じ、また、舞台『コルチャック先生』ではユダヤ人孤児院の院長でナチスの弾圧のもとガス室におくられたヤヌシュ・コルチャックを演じた。2014年の読売新聞のインタビューでも、「僕は戦争反対の一心で俳優を続けてきましたから、観客の心に平和への思い、弱い人への思いやりをこれからも与え続けられるよう、仕事を続けたい」(読売新聞201469日夕刊)と語り、その俳優人生をかけて戦争反対の思いを貫いてきたことを明かしている。
 
加藤氏のこうした反戦への強い思いは、加藤氏自身の生い立ちと無縁ではないだろう。
加藤氏は1938年に静岡で生まれた。東京方面に向かうB29から焼夷弾が落とされることも珍しくない環境で育つ。加藤氏はこの戦争で身内を二人も亡くしている。
 
ひとりは、実の兄のように慕っていた義兄。軍医だった義兄は北マリアナ諸島のテニアン島で頭部を撃たれて即死した。また、二番目の姉は結核を患っており、戦後の厳しい食糧難と物資不足のなかでまともな医療を受けられなかったことが災いして亡くなってしまった。まだ28歳の若さだった。
 
そんな加藤氏にとって、近年の日本の状況は看過できるものではなかった。特に、第二次安倍晋三政権以降の動きには、直接的な表現を用いて痛罵している。
 
「今の政権は、憲法違反の政権です。アメリカの戦争に協力するため、勝手に憲法の解釈を変えて、戦争法を通してしまった。
 安倍首相は、「国民に理解されていないから反対されている」などと言いますが、私たちは戦争への道を開くことになる法律だとよく理解しているから反対しているんです」(20151129日付しんぶん赤旗日曜版)
 
戦争が終わったことで、「もう枕元に防空頭巾を置いて寝なくていいんだ」(15412日付しんぶん赤旗日曜版)と心からの安堵を抱いた経験をもつ世代として、日本国憲法、特に9条は何ものにも代え難い希望だった。加藤氏は日本国憲法を「戦争で命を奪われた人たちの夢の形見」とまで呼んでいる。
 
「私は、憲法は、戦争で命を奪われた人たちの夢の形見だと思っています。多くの犠牲の上に、今の平和な世の中がある。だから私たちには、子どもたちのために憲法を守る使命があると思います」



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

http://tropic.ssec.wisc.edu/real-time/mimic-tpw/wpac/main.html

 

動画の保存がわからない???



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 あら  動画になっていない!?

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

ありえない 角度!!



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )