町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

軽量ステンレス車体のパイオニア・元東急8090系改め秩父鉄道7500系

2025年02月03日 | 関東地方の中小私鉄

秩父鉄道では吊り掛け駆動方式の旧性能車を置き換える為、日本国有鉄道(1987年3月よりJR東日本)より1986年から1989年に掛けて101系電車の譲渡を受け1000系として運用していました。国鉄が製造したカルダン駆動方式の通勤型電車が譲渡されるのは比較的珍しい事例で、3両編成12本を組成するため36両が渡り秩父鉄道の主力車両として運用されましたが2000年代末期になると車齢が40年を超え老朽化が目立つようになり、東急電鉄で廃車が始まった8090系により置き換えを進めることになりました。いずれも大井町線で運用されていた5両編成の内、1・4・5号車で構成される3両編成7本が7500系として導入され、新たな主力車両になっています。

東急時代の赤い帯から側面を緑帯、正面を緑と黄色のグラデーション帯に改めて印象が変わった8090改め7500系。本形式は航空機の強度解析で使用される有限要素法を用いたコンピューターによる設計で、車体強度を保ちながら1両当たりの重量を約2トンも軽量化しており、日本が独自開発した初の量産軽量ステンレス車とされる画期的な車両です。東急時代の1980年〜1988年頃までは東横線急行用に使用され、その後みなとみらい線直通を見据えた電動車比率向上の為に先頭車を非常用貫通扉を備える電動車化するためデハ8590が登場し編成組み換えが発生、非貫通正面の8090系は5両編成に統一され大井町線に集約されました。その大井町線にも副都心線直通を控えATOに対応できなくなった9000系が東横線より続々と転入し8090系の廃車が開始、秩父鉄道入りが実現することになりました。

長らく通常の緑帯仕様で運用が続きましたが、現在は沿線の観光資源PRのため3両編成7本のうち5本がフルラッピングされており、写真のオリジナル緑帯を見る機会は少なくなっています。写真の7506Fは1982年製造の8095Fは8000系13次車に当たる編成をベースにしており、前照灯の位置が低くなっているのが特徴です。

東急で運用されていた頃の面影が色濃く残る車内。連結面は三峰口寄りに両開き扉を備えた広幅貫通路を備えていますが、風の吹き抜けを防止するため羽生寄りにも片開きの狭幅貫通扉を追加で設置しています。

ドア上にはLEDスクロール式の車内案内表示器とチャイム、扉開閉表示灯を設置している他、寒冷地を走行するため車内保温対策として半自動機能も追加されました。

ついこの間来たような感覚が抜けませんが、秩父鉄道に来てから既に14年の歳月が経過してしまいました。本家の東急からは既に8000系列は全て引退し、部品の枯渇が問題になり始めている事や長野電鉄もメカニズムが殆ど同じ元東急田園都市線の8500系置き換えを表明、伊豆急行も8000系に代わる車両の導入を示していることから本形式も安泰とは言えず、近いうちに代替が表明されるか注目ですね。

※2024年6月の記事を修正・写真差し替え

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秩父路に転じた元都営車・秩父鉄道5000系(東京都交通局6000形)

2025年02月01日 | 関東地方の中小私鉄

都営地下鉄三田線は、1968年に都営6号線として開業以来6000形電車により運転されており1993年6月22日より2代目車両の6300形の導入で初期の非冷房車より置き換え廃車が発生するまで主力車両として運用が続きました。一方で冷房化改造・車体修繕を実施した車両については更に改造を施して継続使用することが検討され一時的に置き換えが停止するも1990年に制定された「相互直通運転における東急目黒線・南北線・三田線・埼玉高速鉄道線との車両申し合わせ事項」にて三田線もホームドア設置の上でATOによるワンマン運転実施が決定し、6000形についてはこれに伴う改修費用が6300形新造に匹敵することが判明したため1999年で全面置き換えとなり同年11月に引退となりました。引退後は熊本電気鉄道、秩父鉄道とODAの一環でインドネシアのPT Kereta Api Indonesia(現在は現.PT Kereta Commuter Indonesiaに譲渡されますが、熊本電気鉄道では廃車が進行し2両1編成を残すのみ(2024年12月時点)となり、インドネシア譲渡分は保存車両1両を残し全廃となっていますが、秩父鉄道譲渡分は現在も3両編成3本のが都営地下鉄時代の面影を残しながら活躍しています。

秩父鉄道に譲渡された6000形は、形式を新たに5000系とされ1999年当時に在籍していた元東急7000系の2000系置き換え用として入線し、3両編成4本の12両が広瀬川原車両基地に配属(車籍無しの部品供給用中間車2両も同時に譲渡)されました。いずれも1972年の三田・日比谷延伸で増備されたグループで、アルナ工機で製造されています。なお5004編成については2011年11月1日に樋口〜野上間の踏切でダンプカーと衝突する事故に遭ってしまい、デハ5004が大破したことから復旧されることなく廃車となってしまいました。

秩父鉄道入りに当たっては、3両編成を組成し三峰口側の1両を制御車化、ATS・無線装置交換、側面に社紋設置、ワンマン運転対応機器設置、ドア半自動機能追加と手掛け増設、中間車となるデハ5100へパンタグラフ増設が実施されました。外観は三田線時代の青帯を踏襲しているので、三田線時代とあまり変わらない姿で運用が続いています。

都営三田線といえば、現在は東急目黒線・新横浜線と相互直通運転を実施していますが、かつては高島平から東武鉄道の支線(高島平線)に接続し和光市(計画時の名称は大和町)より東上線と直通、更に泉岳寺〜桐ヶ谷間の未成線である東急泉岳寺線を介して大井町線方面に直通する計画が存在していました。しかし東急は銀座線方面との直通に突如計画を変更(後に半蔵門線へ更に変更)、東武鉄道側が営団地下鉄(現在の東京メトロ)有楽町線に直通先を変更したため何れも頓挫したことが有名ですが、秩父鉄道に移籍したことにより寄居駅で東武東上線と並ぶことになりました。また、この5000系により置き換えられた元東急7000系の2000系は東急目黒線の前身である目蒲線で運用されていた車両で大井町線に配置された時期もあるなど、偶然とはいえ因縁めいた顔合わせが実現したのは興味深いところです。

車内設備も暖房が強められた以外はほとんど変化しておらず、三田線から引退した当時のままとなっています。ドア部分には都営地下鉄時代の旧デザインのステッカーが広告部分を切り取り半円で残されたのが面白いですね。

登場から50年以上が経過しており、他社譲渡分は全廃ないし1編成を残すのみとなりましたが、この秩父鉄道の5000系は果たしていつまで活躍できるのか、また置き換えられるとしたらどんな車両がやって来るのか興味が尽きないですね。

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富士山の麓へ現れた忍者列車、富士急行6000系6702編成・NARUTO×BORUTO TRAIN

2025年01月05日 | 関東地方の中小私鉄

JR東日本から譲渡の205系を6000系として導入する富士急行では、JR在籍当時に山手線から八高線・川越線に先頭車化改造を施工して転用した前頭部形状が全く異なる3000番台車を6000系6700番台を2019年度増備分としました。この2編成はどちらも特別仕様とされ、6701編成は路線開通90周年記念として金色基調の富士山のラッピングとされ、6702編成は富士急ハイランドの新テーマパークである「NARUTO×BORUTO 富士 木ノ葉隠れの里」のがオープンすることにより、NARUTO×BORUTO TRAINとして運転されることになりました。営業運転開始はパークのオープン初日と同じく2019年7月26日のことで、世界的人気を誇る漫画作品のフルラッピング編成として注目も集めています。

外観はNARUTO・BORUTOの登場人物が車体に描かれ、富士山寄りのクモハ6702からピンク、ブルー、オレンジ、グリーン、パープル、レッドとカラーを変える非常に人目を引く仕様になっています。本編成が営業入りする直前の7月19日からは富士急シティバスに高速バスがラッピングされて登場しました。期間を定めない常設型テーマパークということもあってか、ラッピングの多い富士急行線の車両でも気合いの入った装いです。

大月寄り先頭車は赤い全面で、編成両側で大分印象が違います。最早説明不要だと思いますが、「NARUTO -ナルト-」は超常的能力を駆使して忍者同士が戦いを繰り広げるバトルアクション漫画で、「BORUTO -ボルト- NARUTO NEXT GENERATIONS」は主人公・うずまきナルトの息子ボルトの活躍を描いた続編ですが、NARUTOは長らく平成中期の週刊少年ジャンプを代表する作品でコミックスの売り上げは全世界で2億5000万部(2019年時点)を突破し、Newsweekの2006年10月18日版では「世界が尊敬する日本人100」に唯一架空の人物として、うずまきナルトが選出されるなど海外人気・知名度が非常に高いことでも知られており、インバウンドの外国人観光客から特に好評のようです。

車内設備もしっかりNARUTO・BORUTO仕様で、広告は自社と木の葉隠れの里関連で統一され各ドア部にカラフルな登場人物のラッピングが施されている他、座席も緑系のオリジナルのモケットが用いられています。

車内案内表示装置はトーマスランド号、開通90周年記念編成と同じくLCD仕様になりました。今後予定されている増備車にもこのタイプが設置されると思われます。

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観光輸送向けに大変身を遂げた富士急行1000系・富士登山電車

2025年01月03日 | 関東地方の中小私鉄

昨年12月15日で定期運用を終了した元京王5000系の富士急行1000系ですが、2009年8日8日より富士登山電車として大規模な改造を受け観光用列車に変身した1201編成については定期運用こそないものの、団体列車やツアー列車などでの運用で残留することになりました。デザインはJR九州で実績のある水戸岡鋭治氏が手掛けており、路線開通時の車両であるモ1号車をイメージしたという錆び朱色塗装にレトロモダン調のデザインで、日本一豊かな登山電車をコンセプトに掲げています。定期運用から離脱していましたが、1001号編成引退時の特別ダイヤによる運転では連結して運用され注目を集めました。今年2025年1月1日には、事前応募制の迎春富士山号として、久しぶりに2両編成で運転されています。

元日の晴れた空の下を招待客を乗せて健在ぶりをアピールした1201編成。1号車モハ1205には「赤富士」、2号車モハ1305には「青富士」の愛称が付けられ、定期運用が設定されていた頃は1号車が指定席とされてきました。運転開始後はしばらくは普通列車として一般仕様の1000系に併結される形で運転されますが、2010年3月13日以降は2両ともに座席指定制の快速として用いられていました。

2020年3月14日には運転体系見直しで再び普通列車運用に戻りますが、新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛の影響もあり、同年4月25日で期限を定めない運休とされ以降は定期列車からは離脱している状態でした。1001編成引退に伴い併結可能な車両として復帰を果たし華を添えただけでなく、晩年期の最後の頑張りといった様子でした。

大改造で2ドアに改められ1号車「赤富士」車内。濃い茶色と赤い色調が中心で、大型4人掛けボックスの他に展望カウンターなども備え、ライブラリーコーナーと称して書棚が設けられているのも斬新なところです。

2号車「青富士」車内。展望ベンチの他に休止こそしていますがグッズや飲食物を販売するカウンターが車端部に設置されていました。1000系引退時のダイヤではどちらも特別料金一切無しで利用できていたので、乗り得列車でもありました。

他の1000系が引退する中で、唯一生き残れた1201編成ですが、老朽化などもあり既に部品確保も困難になっている中で果たしていつまで活躍する姿を見れるのやら、動向を見守りたいですね。

 

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富士急行1000系1001編成(元・京王5000系)引退へ

2024年12月15日 | 関東地方の中小私鉄

本日12月15日は富士急行(富士山麓電気鉄道)1000系が31年に渡る活躍に終止符を打ちました。本形式は1993年より、小田急電鉄から譲受した5700形と自社発注の3100形を置き換えるために京王帝都電鉄(当時)より初代5000系の譲渡を受け、2両ユニット化と営団3000系の廃車発生品の台車を組み合わせる改造を施し登場した形式で最盛期は2両編成9本の18両が在籍し、主力車両として運用され、老朽化と6000系導入により2011年から廃車が開始されていました。晩年期に入ると様々な塗装バリエーションが登場しカラフルな装いでファンを楽しませていましたが、最後に残ったのは京王時代のカラーに戻された1001編成でした。

種車となった初代京王5000系が2013年で登場50年を迎えることから、その記念企画で2012年10月28日より京王線在籍当時のカラーにされた1000系モハ1001+モハ1101。京王時代の番号であるデハ5113(モハ1001)とクハ5863(モハ1101)を原寸大の切り文字で車体に再現するなど近年のリバイバル塗装車にしては非常に凝った仕様でした。

車体カラーを5000系時代に戻してからは、他編成の廃車が進行しながらも生き残り京王線当時のヘッドマークを掲出しての運転や撮影会の実施など度々イベントに登用され注目の編成でしたが、元JR東日本の205系の6000系増備後は平日に不定期に運用されるのみになった他、全く運用に入らない日も多くなっていました。

2021年度の撮影会で「迎光」のマークを掲出した1001編成。定期運用最後の2日間と最終日の臨時列車では「高尾」「迎光」と、さよならヘッドマークが掲出され、幕引きに花を添えました。

車内は京王時代からのロングシート仕様ですが、譲渡時には室内更新も行われているため化粧板や床材仕上げ、座席モケットなどが新しくなった他、袖仕切りも新設されたためイメージが変化しました。なお、観光需要が高い路線ということもありロングシートを維持していた編成は少数派で、ドア間を固定クロス+転換クロスシートとし1200形として区別される編成が多数を占めていました。

京王時代は5113Fとして1966年に新製され、26年に渡り運用された後1992年の廃車後に富士急行に譲渡され京王時代より長い31年間も在籍し、その活躍は57年余りに及びました。老朽化も大分進んでいたと思いますが、ここまで長く運用され無事に勇退を迎えたことに先ずは敬意をを表したいですね。

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