町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

伝統と革新の融合・相鉄20000系

2020年08月28日 | 相模鉄道

相鉄の長年の悲願であった都心直通プロジェクトとして、2019年11月19日に新横浜線の第一期区間である西谷〜羽沢横浜国大間が開通してJR東日本との直通運転を開始したことは記憶に新しい出来事ですが、今後は更に2022年の開通を目指して新横浜駅までの延伸と同時に東急・東京メトロ・東京都交通局への相互直通運転が控えており、また新たな一大ネットワークが形成されようとしています。

直通運転の決定を受けて登場したのがこの20000系で、相鉄ブランドアッププロジェクト発足後の新造車になった為、YOKOHAMA NAVYBLUE塗装で新製された初の車両になりました。また、本形式は日立製作所のA-train規格で製造されており、相鉄では8000系の最終増備編成以来となる久々の日立製作所の車両でもあります。相鉄と日立製作所の関係は深く初の自社開発による高性能電車5000系を発注したことから始まり、初の大型4扉車の6000系ではモハ6021をアルミ試作車とし、その実績を踏まえて後に増備される形式も全て日立製作所製になり、エレベーターやエスカレーター、蛍光灯などもほぼ日立の製品で統一されていた時期もある程でした。なお、8000系と交互に増備されていた9000系が当時の東急車輌に発注されたのは廃車発生品を転用する為、部品を運ぶのに至近距離だったという事情だそうです。

正面はグリルのような飾りが目を引きますが、これは本系列のデザインに関わったアートディレクターの水野学氏が少年時代に見たブルートレインを牽引する機関車にヒントを得て、現代風にアレンジしたとの事です。2022年頃の開通になる東急直通対応車が何故JR直通用の12000系より先に登場したのかですが、JR直通車ではE233系と走行機器を共通化することが決まっていた為、慣らしも兼ねて全く新設計の東急直通車を量産先行車として先に導入する方針になったようです。この斬新なデザインや設備で鉄道友の会より2019年度ローレル賞を相鉄で初めて受賞していますが、都心直通用の新機軸を盛り込み初のローレル賞受賞車両がかつての伝統だった日立製アルミ車両とは不思議な縁ですね。

グレーを基調に高級感と落ち着きを感じさせるデザインに仕立てられた車内。袖仕切りや貫通扉にガラスを多用し、車体幅は2770mmと狭くなったものの開放感もある空間です。照明装置はLEDで時間帯により変化し朝〜日中は白色、夜間は暖色となり車両情報装置Synaptraより自動設定されます。優先席(写真左下に見える赤い座席)はユニバーサルデザインシートで、一般席より座面を若干高くし、手摺りを設置して立ち上がりを容易にしました。戸閉装置はナブテスコが2012年に新開発したROCK☆STARで、半自動機能を備えるこれまた初採用の設備です。新しい設備が目立つ一方で、窓にはカーテンが設置され、相鉄車の伝統だった鏡も復活するなど新旧の設備が入り混じっているのが面白いところ。

車内案内表示・動画広告用の液晶画面は21.5インチのワイドサイズを採用し、ドア上と天井に設置しました。量産車に当たる第2編成から天井のディスプレイは廃止され、代わりにドア上が2画面に変更されました。

今後は新横浜線全通までに10両編成6本、8両編成9本が増備され最終的にトップナンバーを加えた142両の陣容になるとのことで新7000系と8000系・9000系の未更新初期車が順次置き換えられて行きます。独自の色合いが非常に濃かった1980〜1990年代の車両が一部とは言え消えてしまうのは残念ですが、再来年以降大量増備された20000系列が都心を闊歩する日が来ることを楽しみに待ちたいと思います。

 

 

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近郊各停の主力を務めるもう一つのワイドドア、小田急2000形

2020年08月26日 | 小田急電鉄

大規模リニューアルや突然の編成単位での廃車などで話題性が尽きない1000形の影に隠れがちですが、近郊各停の主力として登場から今日に至るまで立ち位置を変えずに活躍しているワイドドアの形式が存在します。それが今回記事にする2000形で、1000形のワイドドア編成の使用実績を踏まえて着席定員を確保しつつドア幅の拡大で乗降時間の短縮を図るべく1.6メートル幅のドアを採用して1994年末に登場し、翌年の1995年3月から運転を開始しました。設計コンセプトには「環境にやさしい車両」「お客さまにやさしい車両」「乗務員・駅員にやさしい車両」「保守にやさしい車両」と、優しさをテーマに掲げていることが特徴です。

1000形と同じ正面マスクで側面デザインも共通性がありますが、IGBTによるVVVFインバータ制御装置やモノリンク式ボルスタレス台車など数々の新機軸を盛り込み、運転を開始した1995年には通産省(現在の経済産業省)よりグッドデザイン賞を受賞しました。当初の2051F・2052F・2053Fは輸送力増強の為の導入でしたが、2000年から増備の編成より2600形の置き換えを実施することになりました。2000年に入って最初の増備車2054Fは2600形のVVVF化改造車2666Fの制御装置・主電動機を再利用しており、近年では数少ない機器流用車となっています。

現在の主力3000形と並んだシーン。1000形のデザインをほぼそのまま踏襲する形で設計された2000形と、その後フラット外板で標準ガイドラインの流れを汲むようになった3000形との設計思想の違いが非常によく分かります。2051・2052Fが登場した1995年当時は急行・準急で通過標識灯を点灯させていた為、この2編成のみ1000形と同様の場所に設置しており1998年の廃止後も撤去跡が残存しています。登場時は新時代を予感させた2000形ですが、現在は残り少なくなったツーハンドル車で長年小田急車両で主流だった住友金属製台車を使用する最後の形式になるなど、旧来の伝統も受け継いでいる点が興味深いですね。

淡いピンクを基調にした化粧板が明るく穏やかな印象を与える車内。人数区分がされたバケットタイプのロングシートや、写真右側の車椅子用スペース設置は2000形が初採用で、これらは後に他編成にも波及しました。2054F以降は7人掛け座席にスタンションポールを標準装備していますが、後に座席袖仕切りを交換した際に2051・2052・2053Fも曲線のタイプを新設しました。車内放送は1081Fで採用の自動放送装置を本格採用し、現在は全編成が二か国語で駅ナンバリング対応に改修されています。

LEDスクロール式の車内案内表示は千鳥配置で、ドアチャイムは小田急オリジナルの1回のみ鳴動するタイプです。扉本体と窓の段差を無くす複層ガラスも2000形から始まりました。 

当初は千代田線への直通運転も想定し、基本設計は10両で計画されていましたが遂に中間車が増備されることは無く8両編成9本72両の陣容で今日まで活躍を続けています。その間に帯のインペリアルブルーへの貼り替え(2020年現在2059Fを除く)、行先表示器フルカラーLED化、VVVF制御装置ソフト変更など地味な改良が加えられており、しばらくは変わらず活躍すると思われますが各駅停車の10両化が進行している現状では、何らかの改造なども予想され注目すべき車両かも知れません。

 

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小田急8000形・後期更新車

2020年08月24日 | 小田急電鉄

2002年から開始された小田急8000形の更新工事ですが、全160両の更新が完了したのは2013年のことで実に11年の長期間に及びました。2003年度施行の8254Fより3000形3次車と同等の性能にするべく制御装置のVVVFインバーター制御化改造と運転台のワンハンドル化が施工されるようになりましたが、2008年からは更に踏み込んだ内容になり、前年に登場した4000形に合わせて全密閉式主電動機の採用と、車内へのユニバーサルデザインの導入が更新メニューに加わりました。

6両固定編成では一番最後に更新を受けた8265F。前回の更新車と比較すると、ブランドマーク制定後に工事を受けた為、OERの切り文字が撤去されているのが分かります。VVVF制御装置のソフトウェアも全密閉式主電動機に対応する為内容が変更され、磁励音が4000形と同一になりました。

3000形2次車と連結した10両編成で運用される8052F。普段連結している8252Fが単独運用に入った為このような編成を組みました。4両編成の更新も2008年度から8051Fを皮切りに開始され、分割併合を廃止したことからブレーキの読み替え装置の設置を省略し、変わりにモニタ装置へTIOS搭載車・非搭載車双方に対応できる機能を追加しています。単独での運用は想定されておらず、8000形同士で6両+4両で編成を組成するのが基本ですが前述の通りブレーキ読み替え装置が無い4両は界磁チョッパ制御で残存する8251・8255Fや1000形6両と連結不可の為、2013年から3000形初期車と連結しての運用を開始しました。これと前後して読み替え装置を搭載する6両も1000形4両編成、更にTIOSを搭載する3次車以降の3000形6両と8000形更新車4両による10両編成組成を解消・廃止し現在異形式との連結は3000形1・2次車のみに限定されており、本来組むべき6両が界磁チョッパ制御のままである8051・8055Fは必ず3000形1・2次車との連結しての運用になります。

かつては日常的に分割併合を実施しており当たり前のように見られたステンレスとアイボリーによる併結編成も今は3000形初期車との組み合わせしか見られなくなってしまいました。ちなみにこの編成以外に現在でも見られる6+4両の異形式の組み合わせは3000形1・2次車+未更新1000形、3000形3次車以降(TIOS搭載車)+1000形更新車と、非常に限定されたものになっています。

4000形の意匠を取り入れ、ドア付近の滑り止めが点字ブロックになり一般の長い座席には曲線の手すりを2本ずつ設置しています。優先席部分は床を青で区分し黄色の手摺りを設置して明確化しました。初期の更新車両と比べ、ソフトで一層華やかになった印象です。写真では分かりませんが、戸閉装置には戸閉力弱め制御機構が追加され、ドア開閉時の動作音が変化しました。

さて、2代目5000形により順次置き換えられて行くと思われた8000形ですが、1000形のリニューアル計画が大幅に変更され、同型式の未更新車を先に廃車にする方針になってしまいました。今後は6両と4両が別々に運用される機会も増えそうですが走行性能が3000形・4000形並みでサービス水準も問題無いこれらの編成は相当遅くまで残るのではないか?と予想されます。1000形が廃車にされるのは残念極まりないですが、本格的置き換えまで猶予が出来た8000形には1日でも長く走り続けて伝統の車体カラーを伝えて欲しいと切に思います・・・。

※本記事は2017年投稿の内容を改変しました。

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江ノ電初の高性能車・1500形を見る

2020年08月22日 | 小田急グループの鉄道・路線バス

1979年に就役した1000形は実に48年振りとなる機器流用ではない完全新造車として、冷房準備仕様の2次車1100形、新製冷房車の3次車1200形と細かく設計変更が行われ増備が続きました。それらの使用実績を踏まえて吊り掛け駆動から中空軸可撓継手による平行駆動装置に改められ形式を1500形としたグループが1986年から加わり旧型車が多数を占めていた当時大幅に旅客サービスを向上させました。

4次車に当たる1501編成。登場時はアイボリー地に赤とオレンジの帯が入るサンライン号として運用されていた時期がありました。2019年7月10日には、東京オリンピックのセーリング競技が江の島ヨットハーバーで開催されることになり、その周知を目的として日の丸セーラーズ号として運転されています。本来は2020年8月5日までの運用予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックが延期になった為、現在もラッピングは解除されないまま運用に就いています。海らしい爽やかなカラーが印象的ですが、オリンピック後もセーラーズの文言だけ消去して走らせてくれませんかね・・・。

一般的な標準塗装を纏う5次車の1502編成。1000形グループの一員なので外観からは判別しにくいですが、車体は潮風による塩害対策や軽量化の為ステンレスによる部材を増やし、強度は更に向上しています。

基本的には1000形の冷房改造後と大差無い車内(1551で撮影)ですが、乗降用の側扉が登場時から金属支持方式になり乗務員室出入口の扉と共にヘアライン仕上げからエッチング加工された模様入りに変更されています。

他編成同様、大規模リニューアル工事の際に設置された液晶画面による車内案内表示。表面が加工されているドアの様子も分かります。左側の画面には本来ならオリンピックの競技や鎌倉観光に纏わる情報が流されていましたが、時節柄コロナ対策の情報や注意喚起ばかりになってしまいました・・・。来年こそは無事開催されて、本来の役割を果たせるよう期待したいところです。

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最後の活躍が続く旧型車・箱根登山鉄道モハ1形

2020年08月20日 | 小田急グループの鉄道・路線バス

昨年の7月にモハ1形のうち、吊り掛け駆動のまま残存して人気を博していた103+107号車が引退して遂に残存する旧型車は駆動装置の高性能化改造を受けたモハ1形104+106とモハ2形108・109号車の4両のみとなってしまいました。本来ならこれらの車両は、新型車両3000形により置き換えられていたはずですが、台風19号による路線の被災で長期の復旧作業が続いたことに加え、新型コロナウイルスによる輸送量の減少も手伝い大幅な計画の変更を強いられている為、未だ残存し活躍を続けています。

現在は106が鋼体化直後の塗装に復元され2両が異なった塗装で運用中のモハ1形104+106。昨年引退の103+107(サンナナ)は1世紀余りの活躍に終止符を打ったことで注目を浴びましたが、この編成も前身は1919年のチキ1形の3号と6号で、1950年に複電圧対応化と鋼製車体への更新工事を受けて元番号に100を加え、1952年に形式をチキからモハへ改めています。現在の鋼製車体も既に新造から70年余りが経過しており、首都圏の鉄道車両としては最早骨董品の部類です。

2019年7月。長引く梅雨空の下、緑塗装の109号車を連結して運用されていた頃。全車が異なる塗装の3両編成は引退を控えたサンナナに劣らず注目の的でした。

小涌谷駅で行き違いの為に登場時のHiSE塗装に復元された2000形サン・モリッツ号との並び。箱根登山鉄道の旅客車は小田急ロマンスカーをモチーフにした塗装が長く続きましたが、現在は新たな塗装パターンが増えて見る機会も少なくなっており、少しだけ懐かしい場面が蘇りました。

車内設備。サンナナの時は寄木細工をモチーフにしたモケットでしたが、104+106では小田急1000形の未更新車でも見られる赤系のモケットになっており印象が異なります。甲高い吊り掛け音は高性能化で聴けなくなりましたが、旧型車らしい重厚な雰囲気は変わらないですね。

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