狛江営業所に在籍する“きゅんた号”08‐D9298号車(いすゞ自動車製PKG-LV234L2・2008年式)です。狛江営業所は管轄する地域が広い為、なかなか捉えるのが難しい同車ですが、この日は幸運にも狛01系統で運用されており狛江駅北口ロータリーでじっくり観察できました。筆者以外にもスマホのカメラを向けている人がおり、なかなか人気を集めているようです。
続いて多摩川住宅から戻ってきた昨年導入の三菱ふそう新型エアロスター(QKG-MP38FK・2015年式)、ライト回りが一新され、一層精悍な印象になりました。この型式の導入により2003年度導入車の除籍が進みましたが、この15-D6078号車は増発目的での導入となった為、代替の廃車は発生しませんでした。2015年はいすゞ自動車のエルガがモデルチェンジを控えていたため、久々に全営業所でいすゞ車の新規導入が行われなかった年になっています。
前置きが長くなりましたが本題です。前回は同市中和泉に鎮座する伊豆美神社の事を記事にしましたが、今回は元和泉1丁目の泉龍寺へ参拝して来ました。
北口を出て徒歩約2分のところに見える山門。この泉龍寺は曹洞宗に属する寺院で山号は雲松山を名乗り、福井県の永平寺・神奈川県の総持寺を大本山としています。伝承によれば奈良県の東大寺の初代別当を務め、雨降山大山寺を開基したことで知られる良弁僧正が765年にこの地で雨乞いを行い、法相宗・華厳宗兼学の寺院を創建したのが始まりとされています。その後949年には増賀聖の手で天台宗に改められ、本尊は聖観世音菩薩となりました。
泉龍寺で最大の特徴でもある、非常に珍しい二階建て構造になっている鐘楼門です。鐘の音が遠くまで響き渡るようにこのような構造で設営されたようですね。
本堂を正面から。現在は阿弥陀如来を御本尊としています。戦国時代には小さな観音堂のみになる程寂れてしまいましたが、泉祝和尚がこの地を訪れた際に霊感を受けたことから、修行の場として装いも新たに曹洞宗の寺院としてこの寺を復興させました。更なる転機が訪れるのは1590年の徳川家康の関東入国で、徳川家より石谷貞清が入間村(現在の調布市入間町)の内百五十石と和泉村(現在の狛江市元和泉)の内百石を与えられ、地頭として現在の狛江駅南側に陣屋を構え、下屋敷としました。貞清は中興開山である鉄叟瑞牛和尚に帰依し、寺域の整備に努めたことから中興開基と伝えられています。(泉龍寺HPより)
良弁僧正がこの地で雨乞いをした際に竜神が現れて水が湧き出たとされる弁財天池です。狛江市内の地名である「和泉」もこの池が由来とされており、霊泉として古くから信仰されて来ました。考古学的には縄文時代頃には湧いており、集落も周辺に存在したことが確認されています。この豊富な水源は灌漑用水に使用されていましたが、1972(昭和47)年11月に枯れてしまいました。翌年の1973(昭和48)年に狛江市の史跡第一号に指定され、復元工事が実施され現在は地下水を汲み上げ災害用水となっており、泉龍寺と共に静かに佇んでいます。