町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

続々と勢力を拡大する東急2020系

2020年11月11日 | 東京急行電鉄

2018年3月28日より営業運転を開始し、田園都市線では実に16年振りとなる期待の新形式2020系ですが、長年主力だった8500系の在籍数を上回り新たな主力車両の地位を確立しました。同時期に登場した大井町線急行用の6020系に加えて2019年からは東急新横浜線開通を控え、8両編成化と相模鉄道直通が計画されている目黒線用に3020系も登場しバリエーションが増加しています。

LEDが切れてしまいましたが、各駅停車の南栗橋行きに充当される2020系。大方の予想通り東武鉄道非乗り入れ車の2000系3編成と8642F・8606F・8694F・8695Fが先に置き換えられ、長年の制約が解消し運用の効率化が図られました。外観は東急独自の個性が際立ちますが、主要な機器はより一層共通化が進み乗車しているとE235系に乗っているかのような感覚になってしまいますね。なお、このニンマリと笑っているようなブラックマスクはインドネシアのジャカルタに建設が進んでいるMRT車両のデザインをアレンジしたものだそうです。

登場から約半年間は正面に東武線非対応を示すサークルKマークを貼り付け、中央林間〜押上間限定運用でしたが2018年10月1日からは東武伊勢崎線・日光線への直通運転も開始されました。

車内設備はE235系をベースにし、扉上の17インチワイド液晶画面以外に座席間や妻面貫通扉上部にデジタルサイネージを設置しており共通性が見られる一方ハイバックシートやフローリング調の床で高級感を持たせ田園都市線の独自色を出しています。

2020系と6020系共通で搭載されている17インチワイド液晶画面。ドアチャイムも鳴動しますが、こちらは戸閉装置と共にE235系と共通仕様になりました。

今まで諸般の事情から置き換えが遅れてしまい、首都圏の路線としては見劣りする感があった田園都市線ですが2020系の導入でようやく水準が現代に見合ったものになるので今後の増備に期待すると共に、東横線向けの派生系列の登場にも期待が膨らみます。

 

※2018年の記事の修正版

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【訃報】相鉄新7000系全車引退、昭和世代の車両が全廃へ

2020年11月07日 | 相模鉄道

今年116日で相鉄新7000系が定期運用を終了し、1986年から34年に渡る活躍に幕を閉じました。これで相鉄が保有する旅客車両は全車両が平成〜令和に掛けて製造された車両になり、相鉄車の特徴だった日立式電磁直通ブレーキを搭載する車両が消滅します。

最後まで残存した7754FVVVF制御編成では一番最初に新塗装化されました。本日8日と明日9日、かしわ台車両基地内での公開が最後の晴れ姿となります。ゆめが丘駅では記念入場券や関連グッズの販売も実施され、新型コロナ禍ではありますが幕引きに華を添えました。

二俣川駅で、更新改造の対象から外れて8000系では最初の老朽廃車になってしまった8702Fと共に並ぶ7754F。両車共に、そこそこ新しいイメージですが、既に経年30年前後で丁度置き換え時期に達していることに嫌でも時間の流れを実感させられます・・・。

二俣川駅で、更新改造の対象から外れて8000系では最初の老朽廃車になってしまった8702Fと共に並ぶ7754F。両車共に、そこそこ新しいイメージですが、既に経年30年前後で丁度置き換え時期に達していることに嫌でも時間の流れを実感させられます・・・。

特徴的だった路線図式の車内案内表示は2014年の特急運転開始時に、そうにゃんイラストが入ったデザインに交換されましたが相鉄新横浜線開通に伴い羽沢横浜国大駅が開業すると再び更新されイラストが無くなりました。尚、羽沢横浜国大部分にはランプは無く印刷を追加したのみになっていました。

末期は他社と比較すると特殊な機構が多く運転操作などの扱いが大変だったのではないかと思いますが、35年の長期間に渡り良く活躍して来たな、と思います。独自色の濃さが際立つ車両がまた消えるのは残念ですが、まだまだ8000系後期車や9000系も引き続き活躍するので、今後の車両動向に注視したいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海沿いを行く横浜シーサイドライン2000形

2020年11月05日 | 首都圏のモノレール・新交通システム

2019年で開通30周年を迎えたシーサイドラインはJR根岸線の新杉田から、海沿いの工業地帯や横浜市大附属病院、八景島シーパラダイスなどの観光施設を経由して京浜急行の金沢八景駅に至る路線で、通勤通学や観光の足として親しまれています。現在はこの新杉田〜金沢八景の10.8キロを結ぶ1路線のみですが、2020110日の朝日新聞記事で相模鉄道の瀬谷駅を起点に、再開発が予定されている米軍より返還された上瀬谷通信施設跡を結ぶ交通機関に新交通システム(AGT)を敷設する計画が持ち上がり、事業主体は横浜シーサイドラインが行う構想が持ち上がっており、今注目の事業者と言えるでしょう。

そこで運用されているのがこの2000形で、初代車両の1000形の代替用に2011年から登場しました。正面と車体側面に配される三角形を組み合わせた幾何学模様が印象的ですが、これは沿線に広がる海と水面の煌き、船の帆と旗のはためきを7色で表しており沿線住民の懇談会で決定し多摩美術大学の客員教授が形にしたとのことです。2000形は東急車輌製造(→総合車両製作所)で製造され構体には初めてレーザー溶接を採用しており滑らかで美しい仕上がりが特徴ですが、1000形を長年見慣れた筆者は最初に2000形を実際に見たとき違和感を感じたものの、走り出したら沿線の海ともよく調和するデザインですね。現在は前照灯がLED化された為、登場当初とは印象が違います。

オールステンレス車体の他、VVVFインバーター制御もシーサイドラインでは初採用で、東洋電機製2レベルIGBTを搭載していますが、最近の電車にしては磁励音が大きく独特のサウンドを奏でます。

車内は中央方向に固定されたクロスシートとロングシートを点対象に配置しています。狭い車内なので流動性に配慮し、クロスシート部はドア付近を1人掛けシートで肘掛けを省略する路面電車にもありそうな座席です。液晶画面の車内案内表示器はドア脇に設置し、ブザーだった開閉時の注意喚起はチャイム(営団チャイムの音程違い)に変更されています。ドアはメーカー標準品の為、化粧板が省略され簡素な印象になりました。

車内案内表示は15インチ液晶画面で、初代1000形には案内表示自体備わっていなかったので大きなサービス向上になりました。2019年度増備車では17インチに拡大されています。

前述の上瀬谷地区のAGT路線は事業主体がシーサイドラインということで、将来的には若葉台地区を経由してJR十日市場駅や東急長津田駅方面への延伸構想もあり導入される車両が2000形の亜流になるのか、全く別の新設計車になるのか色々と想像が膨らみますが、今後に期待が掛かりますね。

※2016年の記事の全面改稿

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明暗を分けた小田急1000形、2種類の固定編成

2020年11月03日 | 小田急電鉄

1990年代に入ってからも、依然として小田急の急行列車は相模大野で分割併合を行う運転形態が続いていた為、2代目の千代田線直通車である1000形も6両と4両で増備が続けられました。しかし1992年に落成した1091Fからは初の先頭車が中間に入らない10両固定編成となり、1251F1061F1060F1059Fに代わり専ら千代田線直通専用車として運用を開始しました。1994年には近郊各停の輸送力増強用と2000形の先行試作車的要素がある1081Fも加わり、最終増備車の1094F登場から実に13年、3代目の千代田線直通車4000形が2007年に登場するまで10両固定編成の増備はありませんでしたが、分割併合を廃止した2010年代より小田急では固定編成を増備する方針に舵を切り、時代をかなり先取りした車両であることが伺えました。

2015年からリニューアル車も登場し、10両固定編成では唯一この1092Fが未更新車となり注目されるようになりました。この編成は2002年の多摩急行運転開始時に上り一番列車の唐木田始発綾瀬行きに充当され、ヘッドマークを付けて運転された実績があります。

近郊各停の輸送力増強用として唯一地上専用車8両固定編成で登場し、やや異端な存在だった1081F。小田急初の自動放送装置を搭載しており、登場当初の一時期英語放送も実施していましたが、日本人のアナウンサーが読み上げていたのか発音が悪く、肝心の外国人利用者には伝わっていなかったというエピソードがあります。その後(1995年頃?)に現在お馴染みの西村文江さんによる放送に更新され、英語放送も削除。2004年からはクリステル・チアリさんの英語放送を新規に開始するも、この編成のみ最後まで追加されることはありませんでした。経年の新しい編成であるにも関わらず、特殊な編成組成が災いし1255F+1055Fのリニューアルに伴う中間車化改造を省略する為に活用する付随車2両を残して2代目50005051Fと入れ替わりに廃車第一陣にされてしまいました。

今や唯一1000形でLED表示を備えている車内。1081FLED式と路線図式を交互に設置していましたが、種別の増加に伴い撤去され紙の広告枠にされてしまいました。2000年代からバケットタイプの座席に交換されますが、1081Fのみは長期間登場当初からの無地の赤い座席のまま残存していました。

LED表示は登場当初から長らく白枠の表示器でしたが、2008年頃に30003次車と同じ黒枠のものに交換されドアチャイムも若干高くなりました。LED表示の交換は1081Fにも施行されています。

2代目5000形の登場で、真っ先に廃車になるのは8000形の界磁チョッパ制御車だろうと思われていた中で、1081Fが突然廃車(最終運行日には車内に離脱を告げるメッセージが貼られました)になったことは衝撃的な出来事でしたが、汎用性が高く6両2編成以外は3000・4000形と同じレベルの性能になっている8000形と比較すると特殊な編成が存在し、未更新車はバリアフリーにも対応していないこと、また車齢を加味すると全編成をリニューアルより置き換えてしまう方が合理的ではあります。しかしながら、平成初期生まれの筆者にとってはそこそこ新しいイメージで、外観も群を抜いて素晴らしい1000形から大量の廃車が発生していることは残念でなりません。せめて先頭車だけでも何らかの形で活用(辻堂海浜公園や厚木消防学校の2600形の代替、前頭部を使った運転シュミレーターなど)して欲しいですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池上線に蘇った緑の電車・東急1000系1013F

2020年11月01日 | 東京急行電鉄

急電鉄では2017年から「池上線活性化プロジェクト」を実施していますが、その一環として1000系の1編成にかつて主力だった旧型車をイメージした緑色のラッピングを施し運用することになりました。池上線と共に旧目蒲線時代の多摩川線は非冷房・吊り掛け駆動の旧性能電車であるデハ3000系列が主力として長らく運用され、歌謡曲のモチーフにされる程古い電車が走る路線として知られており、ステンレス車両への完全置き換えが完了したのは1989年の事でした。今回のラッピング実施で、緑色の車体の電車が実に30年振りに復活したことになります。

ラッピングに当たっては1000系の内、かつて東横線と目蒲線の共通予備車の役割を持っていた中央貫通式の先頭形状で1000N系として区別される1013Fが起用され、往時のデハ3000系グループの雰囲気を演出しています。

元住吉検車区時代は日比谷線直通運用に充当され、唯一4両+4両の分割編成で更に前後で先頭車の形状が異なることから注目を浴びる事が多かった編成ですが、先に1960年代のツートンカラーを再現した1017Fと共に、華を添える存在になりました。T.K.Kの文字や先頭部の表記類にも旧型車の雰囲気に近付ける拘りが見受けられます。

車内は最後まで登場時からのオレンジとブラウンの座席で存置されていましたが、現在は1000系のリニューアル車である1500番台と同じ緑モケットに交換されている一方、新規に設置された車内案内表示器は稼働せず上から目隠しのシールが貼られた状態です。なお旧3000系列の座席は臙脂色モケットだったので、9000系と同じ物を用いればより良い雰囲気になったのではないかと思うのですが。

こちらが元ネタのデハ30003456。電車とバスの博物館に設置されているカットボディです。3450号車はモハ510に復元された為、晩年期の形態で東急自身が保存しているのはカットボディのみとなっています。

1990年代からは緑の旧型車に代わりステンレスに赤帯を締めた車両が主力になりますが、2008年の2代目7000系から緑系カラーリングを採用するようになり、旧型車引退から丁度30年目の2019年にラッピングとはいえ緑色の電車が復活するのは興味深い点です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする