箱根登山鉄道の前身である小田原電気鉄道では、1919年の鉄道線開通時にチキ1形(後のモハ1形)電車を導入していましたが、チキ1形の主要部品にはアメリカ製の輸入品が使用されていました。しかし1921年に強羅〜上強羅(※初代:現在の早雲山)間に開通するケーブルカーでは軌道・巻上げ装置・車両をスイスから輸入していた為、鉄道線の増備車もスイス製の電装品を導入することになりました。そうして登場したのがチキ2形で、1950年の小田原〜箱根湯本間の小田急直通開始と共に複電圧化、1952年に形式称号改定(チキ→モハ)、1955年には木造車体の鋼体化、その後もパンタグラフの交換や室内更新、走行機器の高性能化など様々な改造を受け今日まで活躍を続けています。
会社創立時の車体塗装だった緑色に復刻されたモハ2形109号車と標準塗装の108号車2両編成。箱根湯本〜強羅間開通100周年の記念行事の一環で登場しました。同車にこの色が施されるのは初めてではなく、1998年〜2000年にも創立70周年記念で緑にリバイバルされており、19年ぶりに再び緑塗装に戻ったことになります。何れも両運転台であるため、モハ2同士の編成からモハ1両への増結までフレキシブルな運用をこなしています。
モハ1形2両と組み3両編成で運用中の姿(後部1両がモハ2)。103+107の2両が引退してからはモハ1とモハ2は別々に運用される機会が増え、3両編成での運用は減少気味で更にリバイバル塗装車が存在するため、標準塗装で揃った編成は見られなくなりました。
宮ノ下駅で交換待ちの為に並んだモハ2形109号車と108号車。かつては旧型車同士の並びは日常的に展開されていましたが、モハ1形・モハ2形合わせて4両にまで減少した今は既に見ることが難しくなってしまいました。なお写真の108号車はロマンスカーのSE車をモチーフにした金太郎塗りですが、現在は上写真のモハ1形104と同じ直線的な塗り分けに戻っています。
乗務員室直後はロングシート、扉間は4人掛けボックスシートを配置する車内。ボックス席が近代的で不釣合いですが、これは後年に交換されたものです。モハ1形103+107同様、寄木細工をモチーフにした座席モケットが目を引きますね。
何れも近代化されてるとはいえ、登場から実に93年、車体の鋼体化など近代化改造からも65年という長寿命で冷房は疎か扇風機さえ設置されていない希有な存在ですが、3100形アレグラ号の増備計画がある為引退の時期が確実に近づいて来ました。箱根へ足を運ぶ際は、乗車・撮影を出来る限り行いたいところです。