町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

異なる車体断面!東京メトロ8000系・1次車

2020年10月31日 | 首都圏の地下鉄

某マイクロエース製品のキャッチコピーみたいなタイトルですが、間もなく18000系により置き換えが開始される半蔵門線の8000系初期編成を撮影して来ました。後期車を以前に記事にした時も触れましたが、1978年の渋谷〜青山一丁目間の開通時は車両を保有せず東急8500系を借りて運転していました。半蔵門線用の車両として8000系が就役するのは永田町まで延伸された1981年のことで、8両2本と6両4本が登場しました。

1980年当時最新技術だったAVFチョッパ制御や日本初となるボルスタレス台車などを採用し、7000系までの系譜を引き継ぎつつ後に続く0系シリーズの要素も感じさせる内容が目立ちました。額縁スタイルの正面や白を基調にした車内は若い世代が多く住む田園都市線の新興住宅地のイメージから、少しでも斬新かつ軽快な印象を演出したいとの意向もあったようです。1994年に10両編成化の為0系シリーズ準拠のサハを2両組み込んだ為、この写真からでも新サハの車体が2両のみ異なっている様子が伺えます。

東武日光線に乗り入れた8102編成。来年で40年目になりますが、大規模更新改造を受けている為、陳腐化している様子は感じませんが、18000系により順次廃車になることが決まってしまいました。

車内設備。前回の後期車と変わりませんが、車内案内表示器がコイト電工のパッとビジョンを採用したので面積の狭い画面になりました。これは、当初の更新時はLED表示器を搭載していたところに、動画広告の画面を設置する為に元のLED表示の配線を活用出来るコイトの製品を採用したことに起因します。ドアチャイムも営団タイプから都営チャイムに換装されました。側扉はアルミ窓枠に手掛けは片側にのみ設置されるタイプで、更新の際に交換されています。扉本体を交換する一方で、戸閉装置は更新されず大きな動作音で勢い良く開閉する旧来の床置式がそのまま存置されました。

1994年に新造され45号車に組み込まれたサハの車内。同時期に増備が進行していた南北線向け9000系との共通性が伺え、この2両のみ化粧板の交換はされず車内案内表示・手摺りの設置のみに留まりました。上の更新車と比較すると扉が複層ガラスのFRP窓キセ・両側手掛け設置と同じ大窓でも差異があるのが分かります。戸閉装置も異なり、他車が旧来の床置式ですが新サハでは直動空気式になり、開閉動作も大幅に違っているのも興味深いところ。

既に18000系第一陣が落成し、各種試験に入るところですが、営業入りしたらあっという間に初期編成から置き換えられて行くでしょう。残念ながら有力な譲渡先と見込まれていたインドネシアは鉄道会社(KCI)側の人事異動によるゴタゴタと新型コロナウイルスの影響で予算も付かず流れてしまい、直接廃車になる公算が高いのが残念極まります。大型車を必要としている地方私鉄から引き合いがあれば良いのですが・・・。

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【訃報】小田急8000形8255F、廃車へ・・・

2020年10月28日 | 小田急電鉄

8251Fと共に界磁チョッパ制御のまま残存し、20208月に運用離脱して休車扱いになっていた8255F1020日の休車解除を以て正式に廃車となりました。この記事を書いている時点では新宿側の2(クハ8255・デハ8205)が解体・搬出されています。事故で廃車になった8264Fとは違い、初の老朽廃車になりました。

江ノ島線90周年ラッピングを施され、晴れ姿を披露した201911月の姿。この時点で側面行先表示が一部撤去されていた他、自動放送の使用も故障のまま停止していた為、運用離脱が近いことを思わせる姿でした。運用を開始した1983年8月には鉄道展号として運用された実績もあります。

10両編成組成時に本来なら相方になる筈だった8055F8255Fとは製造から1年の差しかありませんが、更新が施工されたのは2012年のことで、実に9年後のことでした。8055Fの更新時はブレーキの読み替え装置を省略するようになった為、300012次車と10両編成を組んでいます。界磁チョッパ編成は再更新も無く6両と4両で寿命に大きな差が出てしまいました。地味な8255Fとは対照的に、1986〜1987年にオーキッド号、1987年3月〜6月までフラワートレイン、2012年の更新までイベントカーとして運用されるなど、華々しい車歴を辿っています。

新宿方先頭車クハ8255車内。乗務員室の仕切りが左右共に揃っています。VVVF化改造を受けた編成は新たに乗務員室内に機器を搭載した為、天地寸法を縮小しており、中央の扉とは大きさが揃わなくなっています。

鴨居部に設置されたLED表示。8251Fと同じものですが、機器の不調からか末期は稼働していないこともありました。

晩年は車体の汚れや傷みも目立ち、満身創痍な感がある8255Fでしたが、今回遂に引退の運びとなりました。8000形の更新が始まった2002年当時は30003次車から採用のVVVF制御装置が開発途中だった為に車体更新を施工しながら界磁チョッパ制御のまま存置する中途半端な形態になったのだろうと思いますが、もし更新開始があと1年遅ければ・・・と思うと惜しいところですね。

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小田急バスの新型エルガミオ

2020年10月26日 | 小田急グループの鉄道・路線バス

2015年に大幅なモデルチェンジがなされた新型エルガですが、小田急バスも例外なく吉祥寺や登戸、武蔵境に順次導入され活躍を始めました。この内、狭隘路線の成04・05・狛12系統が存在する狛江営業所管内向けにはエルガミオのモデルチェンジ車が導入されています。

調布駅南口で、成04系統に充当され折り返しを待つD3015号車(SKG-LR290J2・2016年式)です。同じ系列の立川バスでは先行して導入していますが、小田急バスでは初の新型エルガミオになりました。導入当初は白文字で行先を表示していましたが、現在はフルカラーLEDの利点を活かして昔の色付き方向幕のように行先・系統をカラーで表示しています。

狛12系統の運用で狛江駅南口ロータリーにて待機中のD3015号車。車内はエルガの新車同様に最前列のタイヤハウス上の座席が廃止され、優先席も前向きの1人掛けに改められました。

リア部分のデザインも大型車のエルガと殆ど変わりなく、先代と同様にダウンサイジング版の趣きです。特に今回のモデルは大型車・中型車共に前扉が折戸に揃えられたため、よりその印象が強くなりました。

車内もエルガの縮小版なので、ほぼ共通の雰囲気ですが側面行先表示器が薄型化され、中扉の戸袋部に収納されるようになりました。この為、向かって右の優先席側に座ると眺望にやや難があります。
何れの車両も登場時はLEDによる停留所名表示器を搭載していましたが、現在はレシップ製液晶画面に交換され、車内放送も更新されています。
 
※2016年の記事を再編集しました。
 
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205系5000番台、武蔵野線での運用終了。全編成がインドネシアへ

2020年10月20日 | JR東日本

E231系の転入により置き換えが進行していた武蔵野線の2055000番台が1019日の01E運用を以て定期運用を終了しました。これにより、長らく通勤輸送の主力だった205系は東京都心部から撤退になりました。

最後まで残ったのはM20編成ですが、走行中の写真が無かったので類似の編成を組むM5編成で代用です・・・()両端のクハ205204-31は元山手車31編成、モハ205204-5033は山手車59編成、サハ205-206207は川越車15編成、モハ205204-5040は山手車60編成と元の編成が異なっているのが特徴で、20052006年に検査周期の都合からM17編成と23号車を、M20編成からは67号車を交換した為にこのような組成になりました。2020年1月25日に運用離脱し現在はインドネシアのジャカルタで編成組み換え工事を受け活躍しています。

南船橋駅で折り返しを待つM20編成。武蔵野線の205系で最終編成になりました。M20編成の両端先頭車はクハ204・205-5で1985年に側面窓をラッチ式二段窓から下降式窓に設計変更した量産車の第一陣です。1990年代以降、急速に車両の置き換えサイクルが早くなったJR東日本管内の車両で登場から引退まで都心乗り入れを35年に渡り続けたのは実に強運な車両と言えます。

元山手車と川越車の大きな差異であるドア窓の違いが分かる場面。分割民営化からしばらくの間は新型車を開発する余裕が無かった為、国鉄時代に設計された車両に若干のアレンジを加えて増備する動きが見られました。ドア窓を拡大した205系0番台はJR東日本特有の車両で、ステンレス車体と相まって同世代の私鉄の通勤電車のような印象になりました。

車内は前回に掲載した編成と同じです。小窓が特徴の元山手車は残すところ南武支線と鶴見線、仙石線に残るのみとなりました。仙石線については2024年以降のE233系への置き換えが発表され、既に先が見えています。 

埼京線・横浜線・南武線の205系置き換え時には直接廃車にされた編成も多数存在しましたが、今回の5000番台はJR東日本の海外支援の一環で1両も廃車を出すことなくインドネシアのジャカルタへ渡ることになりました。彼の地でも今やVVVFインバータ制御車が主力になり、5000番台も広範囲で運用されていますが、インドネシア政府からの規制がある中で空前絶後の大量譲渡をよく完遂したと思います。先に渡った0番台車と共に末長い活躍を願いたいですね。

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今後の動向が注目されるE233系1000番台・京浜東北線

2020年10月18日 | JR東日本

2007年より、故障が多発していた2090番台の置き換えの為に登場し総勢830両が導入されE233系列で最大勢力になった京浜東北線向けの1000番台は、2014年度に川崎駅構内で発生した不慮の事故で101編成に廃車が出た以外、安定した活躍を続けて来ました。しかし2020627日、JR東日本より人員不足を補うべく京浜東北線のワンマン化を2024年を目処に検討していることが報道されました。このワンマン化は既存のE233系を改造して対処かと思われましたが、労働組合の資料から新形式の導入を実施し捻出されるE233系を地方線区に転用することが視野に入っていることが判明しています。

まだまだ新しい印象がありますが、早くも置き換えが近づいて来たE2331000番台。一応2024年には登場から17年目なので、地方転用などが発生してもおかしくはない車齢ではあります。E233系の後継車はE235系ワンマン対応車である事が発表されていますが山手線・京浜東北線共に103系が配置されていた1988年から実に36年ぶりに両線区で同じ形式が運用されることになります。

何かと話題の高輪ゲートウェイ駅の田町寄りで、左アングルで狙える数少ない撮影場所です。今回の都市型ワンマン化は地下鉄を除いて首都圏の重要通勤路線で初の試みであるだけに、利用者からも気になるところです。

路線カラーに合わせたブルーの座席が瀟洒な印象を与える車内。現在主流の17インチワイド液晶画面による車内案内表示は1000番台が初の設置でした。

中央線快速用の0番台より見易くなったワイド液晶画面。戸閉装置は引き続きスクリュー軸駆動電気式戸閉装置ですが、路線の特性から半自動機能は省略されています。転用改造時には設置されるでしょう。

2020年6月27日の時点の報道は、京浜東北線のワンマン化についてでしたが7月6日には横浜線もワンマン化の対象になっていることが公表され、同線向け6000番台も房総地区各線・高崎地区・中央本線甲府・松本地区、仙石線に転用することが検討されています。しかし現段階の資料では、未だ205系が活躍する相模線、東北本線宇都宮〜黒磯間、日光線については記載がない為、こちらには新型車かE233系ではない転用車になるのか、そちらも合わせて要注目と言えます。

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