町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

日野オートプラザの路線バス保存車

2016年05月31日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

TV番組の合間に不意に流れる呪文のようなフレーズ、トントントントンヒノノ二トン…♪が頭の中で何度も再生されて仕方ない今日この頃ですが、全バージョンを動画で視聴してみました。あの一連のCMは業務用小型トラック・日野デュトロのものですが、調べるとヒノノニトン編は2014年5月30日から放送開始されており、かなり息の長いシリーズだったようですね。

現在は大工編が放映中ですが、筆者はリリー・フランキーが何故か茶室で堤真一にヒノノニトンの話題を突然振る“栗きんとん編”が一番好きだったりします。誰にでも一度くらいは覚えがある知ったかぶりの心理を巧妙に突いている事に加え、リリーの笑みと共に流れる“主よ。人の望みの喜びよ”が何とも言えないシュールさを醸し出していて個人的には一番の面白CMになりました。前置きが長くなってしまいましたが、今回はその日野自動車の博物館、東京都八王子市みなみ野5丁目に所在する日野オートプラザで保存されている路線バスを見てきました。

歩道からもフェンス越しに見える日野自動車が開発した大型路線バス・ブルーリボンのハイブリッド車両HIMR(ハイエムアール)です。型式はU-HU2MMAH(1991年式)、ディーゼルエンジンと三相交流機を複合させた車両で、低公害化を急ぐ必要があった大都市の事業者に配備され、関東では都営バスや川崎市交通局での活躍が有名でした(車内にも他地域の事業者向けの車両とともに引渡しを待っている様子を撮影した写真があります)。この車両は栃木県日光市にて“わたすげ号”として活躍していましたが、2012年の廃車後に生みの親である日野自動車に引き取られオートプラザの展示車両に加わりました。

車内では床の一部が透明化され、エンジンの構造を見る事が出来るようになっています。TVモニターではブルーリボンシティ・ハイブリッドの解説が流れていました。願わくば、ここに都内のバス会社で活躍した車両も加えてほしいですね・・・。

オートプラザ館内にはボンネットバスのBH15(1966年式)が鎮座。ボンネットバスとしては最終ロットの車両で、群馬県の上毛電気鉄道で活躍していた車両です。一度は引退するものの、1988年にバス利用促進と観光客の呼び込みも兼ねて奇跡の復活を遂げた非常に幸運は1台です。その後排ガス規制の関係もあって再び運行を終了しますが、今度は日野自動車の工場で保存車両として活用されることとなり時にはイベント等で出張する事もありました。

車内はこの時代の主流だった三方シートです、板張りの床が何ともクラシックな印象ですね。詰め込みは利きますが、現在のバスとは違い乗り心地はかなり悪く加速・減速のショックも大きい為、相当な揺れに耐えなければならなかったようです。

以前にも書いたことですが、路線バスは鉄道車両と違い、廃車後に公園などに置かれるケースはあっても遊具の延長のような扱いが多く、数年周期で入れ替わってしまうことが多い中、こうして博物館で手厚く保存される事になった2台は非常に強運な車両と言えますね。

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小田急バス狛01系統で伊豆美神社参拝

2016年05月17日 | 小田急グループの鉄道・路線バス

小田急バスの狛江営業所といえば、市内の全域の他に調布市・三鷹市・武蔵野市と世田谷区・渋谷区(ごく僅かに目黒区に入る区間も)に路線網を拡げており、多彩な車両が見られる事で知られていますが、今回はその狛江営業所の主力路線の一つである狛01系統で伊豆美神社へ参拝して来ました。

写真は初期のノンステップ車D6020号車の代替で導入されたD6070号車(QKG-MP37FK・2014年式)です。いすゞ車中心の小田急バス路線車で、狛江は比較的三菱ふそう車が多く配置されており、この日は来る車両の殆どが三菱車でした。

もう一つ、狛江市内を廻る上で欠かせないのが狛江市コミュニティバスの“こまバス”。市が運営していた福祉バスの代替で2008年11月より新設された路線で、南北2ルートで慈恵医大第三病院・児童福祉施設と狛江駅を結び、世田谷区の喜多見駅にも顔を出しています。車両は基本的に写真の水色塗装の日野ポンチョ(BDG-HX6JAE・2008年式)が充当されますが、車検などの際は小田急カラーのD140号車・D142号車が代走に当たります。

中和泉停留所から歩くこと約15分前後、住宅街の中を進むと背の高い木々に囲まれた一の鳥居と参道への入り口が見えて来ます。伊豆美神社は今から1127年前、宇多天皇の御代である889年9月20日に府中市の大國魂神社より勧請し、六所宮として建立されました。その後1550年に多摩川の氾濫で社が流されてしまい、2年後に現在の位置に移転しており、かつての土地には場所には水神社が鎮座し、バス停留所名(水神前)の由来にもなっています。

明治元年である1868年に「伊豆美神社」へ改称されていますが、これは当地の和泉に因んだ万葉仮名による当て字だそうです。調布市・世田谷区に挟まれている立地上からか、多摩地域以外では市名やこの神社の知名度も少ないですが写真の背が低い二の鳥居は江戸時代の1651年に石ヶ谷貞清が奉納したもので、旧武蔵国最古の石造鳥居であり僅か2メートル余りの小振りな大きさながら日光東照宮・鶴岡八幡宮と並ぶ関東三大鳥居(!)に数えられ、市の指定重宝とされています。

境内社も存在し、参道右側には神明社・靖国神社と左手には福徳稲荷神社・諏訪神社の合祀殿が鎮座します。御祭神は天照大御神・豊受皇大神・素戔鳴尊・熊野大権現・柳久保稲荷大明神・水速能売大神・菅原道真公で、家族円満・延命長寿に御利益があるとされています。

福徳稲荷神社・諏訪神社。こちらの御祭神は福徳稲荷大明神・諏訪大明神・建御名方主大神・白幡菅原朝臣・源頼朝公で五穀豊穣・殖産興業繁栄に御神得です。

伊豆美神社の拝殿。本神社は大國主尊を主祭神として祀ります。向かって右には狛江市立和泉小学校が隣接し、小学校側からも入る事が出来ますがこちらは正参道ではありません。

この神社の隣には5~6世紀頃の狛江古墳群の一つである兜塚古墳の他、先に述べた境外末社の水神社と御朱印にも使われている万葉歌碑もあり、豊かな自然と共に多摩の歴史を偲ぶことができます。

おまけに、たまたま調布駅南口で捕らえた三菱ふそう車同士の並び。左のエアロミディは狛江営業所でしか見られない型式です。

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都心に残る吊り掛け車・東京都電7000形

2016年05月04日 | 東京都電

2016年の現在でも未だに昔ながらの吊り掛け駆動のまま活躍を続けている都電の7000形電車を撮影して来ました。現在はVVVFインバーター制御の新型車両が続々投入され、すっかり21世紀のLRTらしい様相を見せている都電荒川線ですが、その中で7000形は吊りかけ車特有の唸るようなサウンドや発車前に鳴らされるベルなど、昭和の路面電車の風情を残す貴重な存在になりました。

先ずはJRの尾久駅から徒歩で荒川車庫前電停まで移動し、最新鋭の8900形との並びを撮影。7000形の方は車体を載せ換える大規模な更新を受けているとはいえ、こうして並ぶと隔世の感がありますね。

次にやってきたのは、2005年に非冷房時代に纏っていたカラーを復元した7022号車。同車は一時期シングルアーム式パンタグラフを載せていた事がありましたが、8500形へ転用の為7500形の廃車発生品の菱形パンタグラフに再度交換されました。

7022号車に続いて、東京都交通局では最古参となる7001号車も運用されていました。1954年に新造され1986年に車体更新と冷房化改造、パンタグラフの換装が施行され、2013年にツーマン体制時のカラーに復元され現在に至ります。2010年代も後半に差し掛かった今日でも昭和20年代に登場した電車が旧性能のまま営業運転を行っているのは、路面電車であっても驚異的と言えるでしょう。

大塚駅前電停付近で、都営交通×トリップアドバイザーのラッピングを纏う7029号車。この車両は1000形と1100形の下回りを流用して製造されたグループの一員です。今後は8900形の導入で順次代替廃車が進行していくと思われましたが、交通局では7000形に対し1億3000万円を掛けて大規模改修を行い、形式も7700形に改める事を発表しました。車体や冷房装置などは流用しつつ、レトロ調の外観に8900形と同等のVVVFインバーター制御・バリアフリー対応車に生まれ変わり、今月中には営業運転を開始するとのことですが、長年活躍し親しまれてきた車両が再び活用されることになったのは手放しで喜びたいところです。

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メルヘン顔の205系5000番台VVVF・武蔵野線M35編成

2016年05月01日 | JR東日本

知人を舞浜駅に送り届けた後、LED表示に目をやると武蔵野線直通列車が来るのでホームの先端で立っていると、205系5000番台の中でも異彩を放つM35編成がやって来ました。コンデジの為、あまりいい画質ではありませんが・・・。

この編成は武蔵野線の全列車8両編成化に伴い登場したグループで、当初はM61編成を名乗っていましたが、山手線から転入して来る予定の205系初期車は電動車の数に余裕が無かったため、この編成のモハユニットを新たに組成されるM32編成に供出し、変わりに4・5号車には元山手線の小窓ドアを装備する初期型サハ205を組み込みの上で4M4T化・VVVFインバーター制御化改造を受け新たに編成もM35編成になっています。ちなみに供出先のM32編成は両端先頭車と電動車1ユニットが元山手線小窓ドア・更に4・5号車サハは埼京線からの大窓ドア車と継ぎはぎだらけの様相でマニアの注目を集めています。

京葉線向けの編成に続き、FRPのマスクに窓下部がカーブしてより柔かく近代的な印象になった通称“メルヘン顔”。京葉線沿線には葛西臨海公園や東京ディズニーランドなどの観光地を有するため、楽しいイメージを表現したとのことですが、真相は謎です。

アクリル製の風防が設置された以外は大きな変化は見られませんが、ドア周りには黄色の警戒テープや戸袋引き込み防止の注意書きが追加され、賑やかになりました。大きな窓に加え、緩やかに動作する直動式戸閉装置とVVVF制御の組み合わせは何処と無く地下鉄や私鉄の電車に乗っているかのような印象を感じます。

モハと転入サハの連結部分。左の小窓ドア車が山手線からの転属組で、窓の大きさ以外にも戸閉装置(武蔵野メルヘンはサハ204や相模線向け500番台と同じく鴨居収納の直動空気式、初期車は103系の物を改良した座席下収納式)が違う為、開閉動作が同一編成ながら異なっています。

山手線向けのE235系が試作段階に留まってる現状、武蔵野線の205系置き換え計画は発表されていませんがINTEROSのバグを克服して量産化に向けた準備が整いつつあることから何時まで走れるか、要注目して行きたいですね。

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