町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

京急120年の歩み号を撮る

2018年03月31日 | 京浜急行電鉄

今年の2月25日で京浜急行電鉄は創立120周年を迎えました。同日より京急の起源となった大師線(京急川崎~小島新田間)で運用中の1500形4両編成に過去に使用された電車のカラーリングを再現し“京急120年の歩み号”として運行を開始しています。

一日のダイヤが公表され、距離も短い大師線での運行は撮影者にとっては非常に有難い存在です。手前から、現在主流で800形が登場した1978年から採用の赤+窓周り白帯と、1953年より採用の赤+白細帯(この車両は変更なし)、1951年から1963年まで使用の赤+黄色、1924年登場のデ1形の茶色塗装に木製扉ですが、4両が全て異なったカラーというのは非常にインパクトがあります。

木製ドアやリベットなどもラッピングで見事に再現されました。大師線は全区間が川崎市川崎区内にあり、4.5キロの短距離を終日に渡り線内で完結する各駅停車が往復するローカル線の風情が漂う路線ですが、日本初となる標準軌の採用と共に関東では初となる電車による旅客輸送を開始した鉄道史上大変重要な路線の一つです。この路線の開通で、新年の初詣といえば地元の神社・寺院に参拝するのが慣例でしたが、鉄道で著名な神社仏閣へ参拝に向かう習慣に変わることとなり、歴史的にも大きな影響を与えました。路面電車の形態で走り出した京浜急行ですが、現在のような関東地方では数少ない100キロを超える高速運転や羽田空港アクセスに伴う他社との複雑な相互直通運転の実施など、開通した当時は誰も想像出来なかったんでしょうね・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京浜急行2000形ラストラン

2018年03月28日 | 京浜急行電鉄

貸切特別列車の運行後も、ありがとう2000形のマークを正面に掲出して営業運転を行っていた2000形ですが遂に本日で全ての運用を終了しました。

運用離脱を控えて、有名撮影地はマニアで一杯でしたが、筆者が最後に撮影を行った神武寺駅はダイヤの都合上、上下の列車が被りやすい為か誰も来る気配が無く落ち着いて最後の姿を収められました。引渡しに向けて準備中のJR東日本E353系(右)とのシーンはよい記録になりました。

正面のマークはステッカーでしたが、良く見ると“京浜急行”の文字が。現在は駅名や各種表記を京急ないし京急電鉄に改めつつある中で公式に京浜急行の文言を使用するのは久々になりました。地味な事ですが、マニアには嬉しい演出です。今回で全車両が運用を終了した2000形ですが乗りものニュースの記事によると、この2011編成に関しては保存の方向で検討しているとのことなので、いずれイベントなどで再びその姿を見れる日を楽しみに待ちたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さよなら京浜急行2000形

2018年03月25日 | 京浜急行電鉄

今月下旬の引退を控えた京急2000形ですが、運用終了に先駆け本日は団体貸切列車が運転され、その様子がマスコミでも報道されるなど、フィナーレに向けて盛り上がりを見せています。

初代600形に代わる快速特急用車両として、1982年に登場し有料特急にも劣らない高品質な車内設備で京浜急行のイメージリーダー的存在だった2000形ですが、1998年に2100形の登場で通勤用3扉車に改造され現在の姿になり、エアポート急行設定以前は朝夕ラッシュ時間帯のみの運用で、日中の列車への充当はありませんでした。

都営浅草線に直通が出来ず、自社線内のみでしか運用出来ない為運用列車も限られていましたが、2010年の新逗子~羽田空港間へのエアポート急行新設に伴い、京急線内のみで完結する優等列車ということから2000形が中心に充当されるようになったことで、再び昼間にも活躍する姿を見れるようになりました。

大改造で集団見合い型固定クロスシートから、3扉ロングシートになりましたが不自然な窓配置や横引きカーテン、車端部に残存するボックスシートなどにかつての優等列車用車両の面影を残していました。3扉ロングシート化改造は1998年から開始され、改造に当たっては側面のドア増設部分を切り取り、新たに製造した戸袋と開口部のユニットを嵌めて溶接する大掛かりな内容でした。片持ち式シートや大型仕切りの設置で、その後の新型車と比較しても遜色無い空間になっています。

改造を受けても、見晴らし抜群な先頭の座席は健在で、こちらは新造当初から設置されている為小型の袖仕切りと蹴込みを備える通常のロングシートでした。

 

2100形の計画が持ち上がった当初、2000形は走行機器の老朽化が懸念された為に大規模な改造・修繕は行わず直接廃車にする案もあったようですが、結局は通勤車に改造され旧1000形初期車や700形の置き換えに充当されることになり、改造から20年もの長期に渡り活躍する事となりました。晩年には国際化で急速に発展を見せ、名実共に日本の玄関口となった羽田空港へのアクセス列車という大役を担い、これ以上無い幸せな生涯だったと言えるのではないでしょうか。欲をいえば、トップナンバーのデハ2011号車だけでも保管を期待したいところですが、果たしてどうなりますか・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[悲報]2061編成、落ちる・・・。

2018年03月16日 | 京浜急行電鉄

昨日木曜日で2編成が残存していた京急2000形の内、標準塗装で活躍していた2061Fが遂に運用を終了してしまいました。同編成は1986年度導入で、快特運用に残存していた初代600形を完全に置き換えたグループでした。登場から32年に渡る活躍でしたが、2061編成が引退~廃車になったことで、いよいよ残るはリバイバル塗装・トップナンバーの2011編成のみとなってしまい、命脈尽きる日が刻々と迫ってきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クハ103カットボディ

2018年03月12日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

大量製造され、全国で活躍を見せたにも関わらず保存例が少ない車両は数多ありますが、通勤電車の決定版ともいうべき103系もその一つに数えられるでしょう。現在でこそ京都鉄道博物館にトップナンバーのクハ103-1が保存展示されていますが、首都圏でポピュラーだった高運転台ATC車は、ほぼ全てが引退~廃車解体の道を辿り鉄道博物館のカットボディであるクハ103-712は貴重な存在になっています。

もとはスカイブルー塗装で車掌体験に使用されていましたが、施設の拡張で新設されたキッズスペースに据え置かれているクハ103-712です。塗装が白ベースに103系の基本色をモチーフにした5色の水玉模様に改められ、正面の手すりやステップが撤去されました。

車両内部は特に変更点は無く、扇風機や座席など、懐かしい末期の雰囲気を残しています。本来なら1両丸ごと保存する計画もあったようですが、スペースの都合上カットボディ化されてしまったとのことですが、もし完全な状態であれば唯一の高運クハの保存例になっただけに、ひたすら残念です・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする