町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

通勤電車最長の編成で活躍するJR東日本E231系0番台(常磐線快速・成田線)

2025年02月09日 | JR東日本

常磐線の直流電化区間である上野〜取手間で運転される快速列車には国鉄時代の1967年以来103系電車が主力として用いられ、JR東日本発足後の1987年からは10両+5両を併結した通勤型電車では最長となる15両編成での運転も開始されました。これらの置き換えのため、中央・総武緩行線に次いでE231系0番台が増備されることになり2002年3月3日より運転を開始しました。中央・総武緩行線向け車両の仕様を基本としながらも分割・併合に対応する機能や旅客へのサービス向上対策でVIS(情報提供装置)とJR東日本の通勤車両ではワンマン列車を除いて自動放送装置が搭載されるなど、機器類は更に進歩しています。

白い前頭部マスクにエメラルドグリーンとウグイスの二色の帯を巻いていますが、当初は103系のカラーを引き継いだエメラルドグリーン単色でした。しかし千代田線と直通する常磐緩行線との違いを出すため営業運転開始直前にウグイスの細い帯が加えられています。現在のJR線で全車両が普通車の通勤車で15両運転を行うのはこの常磐線快速のみとなっています。2015年には上野東京ラインの開通に伴い、朝夕通勤時間帯に東海道本線の品川まで乗り入れる運用も設定されました。

10両基本編成の取手側と5両編成の両側先頭車には自動分併装置が搭載されており、常磐線の15両の他に成田線の我孫子支線では10両編成・5両編成がそれぞれ単独での運用の他に5両編成2本を併結した10両が見られます。行先表示器には行先駅名のみを表示している仕様でしたが、上野東京ライン開通による品川までの運転区間拡大を受けて路線名と行先駅名を交互に表示するように改修されています。また2007年よりスカートを尖った大型のものに交換したため、登場時に比べて正面の印象が変化しました。現在は前照灯のLED化が進行していますが、こちらは相模線から引退し廃車になった205系500番台の流用品だそうです。

車内はロングシートで中央・総武緩行線向けと同様ながら、暖房器を斜め吊り構造にすることで、暖房効果を高めている他、車端部の荷物棚を僅かに延長するなど微細な見直しが図られています。ドアは半自動機能はありませんが、折り返し待ちや待避などで長時間停車することもあるため、「3/4閉」機能が乗務員室のドアスイッチに追加され、3箇所のドアを締め切ることが可能になっており後年追加されたドア注意ステッカーの車外側にも案内があります。

0番台ながら乗客視点で一番違うのがこのLED2段表示を可能にした車内案内表示装置で、次の停車駅や乗り換え案内、開く扉の方向や運行情報などを表示し情報量が大きく向上しました。この設備は1000番台国府津車両センター配置分と2007年度の小山車両センター向け増備車にも採用されますが、常磐線快速では始発駅で主な駅への所要時間も表示している他、下の段に表示する案内の文面が他線区では「この電車は、〇〇線です」に対し「この電車は快速〇〇行きです」と表示するなど色々他線区とは違いが見受けられます。

早いもので初登場から23年目を数えますが、現在はVVVFインバーター制御装置も更新が完了しサービス面でも遜色ないことから、まだまだ長い期間活躍しそうです。

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デュアルシート本格採用でライナー列車の転換点となった東武50090系

2025年02月05日 | 東武鉄道

東武鉄道の基幹路線の一つである東上線は、小江戸で知られる川越や秩父地方などの観光地を有しながらも伊勢崎線や日光線のように特別料金を必要とする優等列車の設定がなく、長きに渡り全線でロングシートの通勤車両が運用されて来ました。しかし2007年11月22日、座席定員制のライナー列車を新設することが発表され翌年2008年の6月14日に池袋〜小川町間にTJライナーを新設し、車内設備をロング・クロスシートの両方に転換可能なデュアルシート設備とした50090系の運転を開始しました。東上線系統に乗車券以外の料金が必要な優等列車が運転されるのは1949年〜1967年の間に春と秋との行楽シーズンに運転されていた「フライング・トージョー」以来久々のことで、初めて運転を開始した日は東京メトロ副都心線渋谷〜小竹向原間の新規開通と重なり、新たな時代の幕開けとなりました。

地上用50000系に準拠した外観ながら、オレンジに加えて東上線の路線カラーであるロイヤルブルーⅡの帯と斜字体で「TOJO LINE」のロゴを入れ一般車との違いを表現している50090系。側面の窓も設計が見直され、他社でも採用されている標準型2連ユニット下降式窓(東京メトロ10000系などと同じ寸法)に改められ屋根上の強制換気装置が設置されなくなり、ドアの手掛けも下部の1箇所設置になるなど細かい箇所が色々と変化しています。

現在は10両編成6本が在籍し、クロスシートではTJライナー運用の他に特別料金不要の川越特急に、またロングシートでは急行や準急など地下鉄直通を除く列車に幅広く運用され池袋〜成増間の各駅停車などの短距離列車に充当される姿も見られます。

クロスシート状態で運用中の車内。写真は2022年の撮影で、現在は伊勢崎線〜東京メトロ日比谷線系統のTHライナー向け70090系に準じた肘掛けを備える座席(モケットの色は従来通り)に交換が始まり、51095・51094Fに対して施工されています。関西私鉄では以前から採用されていたデュアルシートですが、首都圏の私鉄では本形式が初採用になると共に西武鉄道の「S-TRAIN・拝島ライナー」、京王電鉄の「京王ライナー」が後年登場しており私鉄に於ける有料座席定員制列車の転換点となりました。

車体設計の見直しが図られた一方で車内案内表示装置は従来通りLEDによるスクロール式をドア上に千鳥配置としました。転換座席を備えるため、妻面貫通路上にも増設されています。案内表示でも「この車両は、○号車です。」と表示していますが、座席指定運用時のため目立つ号車表示が貼られているのは本形式のみです。

本形式は2010年1月に、日本鉄道運転協会創立51周年の式典にて「東武東上線『TJライナー』の設定及び総合的な輸送形態の改善について」の内容が評価され東記念賞を受賞しました。その後他社に影響を与えていることも併せて標準型車両の中でも画期的な存在と言えるでしょう。

 

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軽量ステンレス車体のパイオニア・元東急8090系改め秩父鉄道7500系

2025年02月03日 | 関東地方の中小私鉄

秩父鉄道では吊り掛け駆動方式の旧性能車を置き換える為、日本国有鉄道(1987年3月よりJR東日本)より1986年から1989年に掛けて101系電車の譲渡を受け1000系として運用していました。国鉄が製造したカルダン駆動方式の通勤型電車が譲渡されるのは比較的珍しい事例で、3両編成12本を組成するため36両が渡り秩父鉄道の主力車両として運用されましたが2000年代末期になると車齢が40年を超え老朽化が目立つようになり、東急電鉄で廃車が始まった8090系により置き換えを進めることになりました。いずれも大井町線で運用されていた5両編成の内、1・4・5号車で構成される3両編成7本が7500系として導入され、新たな主力車両になっています。

東急時代の赤い帯から側面を緑帯、正面を緑と黄色のグラデーション帯に改めて印象が変わった8090改め7500系。本形式は航空機の強度解析で使用される有限要素法を用いたコンピューターによる設計で、車体強度を保ちながら1両当たりの重量を約2トンも軽量化しており、日本が独自開発した初の量産軽量ステンレス車とされる画期的な車両です。東急時代の1980年〜1988年頃までは東横線急行用に使用され、その後みなとみらい線直通を見据えた電動車比率向上の為に先頭車を非常用貫通扉を備える電動車化するためデハ8590が登場し編成組み換えが発生、非貫通正面の8090系は5両編成に統一され大井町線に集約されました。その大井町線にも副都心線直通を控えATOに対応できなくなった9000系が東横線より続々と転入し8090系の廃車が開始、秩父鉄道入りが実現することになりました。

長らく通常の緑帯仕様で運用が続きましたが、現在は沿線の観光資源PRのため3両編成7本のうち5本がフルラッピングされており、写真のオリジナル緑帯を見る機会は少なくなっています。写真の7506Fは1982年製造の8095Fは8000系13次車に当たる編成をベースにしており、前照灯の位置が低くなっているのが特徴です。

東急で運用されていた頃の面影が色濃く残る車内。連結面は三峰口寄りに両開き扉を備えた広幅貫通路を備えていますが、風の吹き抜けを防止するため羽生寄りにも片開きの狭幅貫通扉を追加で設置しています。

ドア上にはLEDスクロール式の車内案内表示器とチャイム、扉開閉表示灯を設置している他、寒冷地を走行するため車内保温対策として半自動機能も追加されました。

ついこの間来たような感覚が抜けませんが、秩父鉄道に来てから既に14年の歳月が経過してしまいました。本家の東急からは既に8000系列は全て引退し、部品の枯渇が問題になり始めている事や長野電鉄もメカニズムが殆ど同じ元東急田園都市線の8500系置き換えを表明、伊豆急行も8000系に代わる車両の導入を示していることから本形式も安泰とは言えず、近いうちに代替が表明されるか注目ですね。

※2024年6月の記事を修正・写真差し替え

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秩父路に転じた元都営車・秩父鉄道5000系(東京都交通局6000形)

2025年02月01日 | 関東地方の中小私鉄

都営地下鉄三田線は、1968年に都営6号線として開業以来6000形電車により運転されており1993年6月22日より2代目車両の6300形の導入で初期の非冷房車より置き換え廃車が発生するまで主力車両として運用が続きました。一方で冷房化改造・車体修繕を実施した車両については更に改造を施して継続使用することが検討され一時的に置き換えが停止するも1990年に制定された「相互直通運転における東急目黒線・南北線・三田線・埼玉高速鉄道線との車両申し合わせ事項」にて三田線もホームドア設置の上でATOによるワンマン運転実施が決定し、6000形についてはこれに伴う改修費用が6300形新造に匹敵することが判明したため1999年で全面置き換えとなり同年11月に引退となりました。引退後は熊本電気鉄道、秩父鉄道とODAの一環でインドネシアのPT Kereta Api Indonesia(現在は現.PT Kereta Commuter Indonesiaに譲渡されますが、熊本電気鉄道では廃車が進行し2両1編成を残すのみ(2024年12月時点)となり、インドネシア譲渡分は保存車両1両を残し全廃となっていますが、秩父鉄道譲渡分は現在も3両編成3本のが都営地下鉄時代の面影を残しながら活躍しています。

秩父鉄道に譲渡された6000形は、形式を新たに5000系とされ1999年当時に在籍していた元東急7000系の2000系置き換え用として入線し、3両編成4本の12両が広瀬川原車両基地に配属(車籍無しの部品供給用中間車2両も同時に譲渡)されました。いずれも1972年の三田・日比谷延伸で増備されたグループで、アルナ工機で製造されています。なお5004編成については2011年11月1日に樋口〜野上間の踏切でダンプカーと衝突する事故に遭ってしまい、デハ5004が大破したことから復旧されることなく廃車となってしまいました。

秩父鉄道入りに当たっては、3両編成を組成し三峰口側の1両を制御車化、ATS・無線装置交換、側面に社紋設置、ワンマン運転対応機器設置、ドア半自動機能追加と手掛け増設、中間車となるデハ5100へパンタグラフ増設が実施されました。外観は三田線時代の青帯を踏襲しているので、三田線時代とあまり変わらない姿で運用が続いています。

都営三田線といえば、現在は東急目黒線・新横浜線と相互直通運転を実施していますが、かつては高島平から東武鉄道の支線(高島平線)に接続し和光市(計画時の名称は大和町)より東上線と直通、更に泉岳寺〜桐ヶ谷間の未成線である東急泉岳寺線を介して大井町線方面に直通する計画が存在していました。しかし東急は銀座線方面との直通に突如計画を変更(後に半蔵門線へ更に変更)、東武鉄道側が営団地下鉄(現在の東京メトロ)有楽町線に直通先を変更したため何れも頓挫したことが有名ですが、秩父鉄道に移籍したことにより寄居駅で東武東上線と並ぶことになりました。また、この5000系により置き換えられた元東急7000系の2000系は東急目黒線の前身である目蒲線で運用されていた車両で大井町線に配置された時期もあるなど、偶然とはいえ因縁めいた顔合わせが実現したのは興味深いところです。

車内設備も暖房が強められた以外はほとんど変化しておらず、三田線から引退した当時のままとなっています。ドア部分には都営地下鉄時代の旧デザインのステッカーが広告部分を切り取り半円で残されたのが面白いですね。

登場から50年以上が経過しており、他社譲渡分は全廃ないし1編成を残すのみとなりましたが、この秩父鉄道の5000系は果たしていつまで活躍できるのか、また置き換えられるとしたらどんな車両がやって来るのか興味が尽きないですね。

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