町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

さよなら都電7000形7001号車

2017年04月30日 | 東京都電

本日30日で、1956年から活躍して来た都電7000形の7001号車が引退することとなりました。登場以来都電の主力車両として都内各所を駆け巡り荒川線1路線になった後も43年間に渡り活躍、実に61年もの間君臨しました。

大塚駅のガードを抜ける7001号車、前頭部にはローレル賞のプレートをモチーフにしたヘッドマークが掲げられています。この車両は元々7055号車で、1次車・2次車・3次車の内1955年末~1956年に製造された3次車に分類されます。登場から1972年11月まで柳島車庫に所属し、墨田・江東地区で活躍しましたが路線廃止に伴い経年の新しさから荒川車庫に転属の上運用を開始します。

荒川線に路線が改められた後の1978年より合理化のためワンマン運転を実施することが決定したため、前年の1977年からアルナ工機の新型車体へ更新を行い車両番号も7001-7031に揃えられ2代目7001号車として再スタートを切りました。

ホームの嵩上げ工事も行われ、路面電車には必ずあったドアステップが廃止されたことが評価され、1978年には更新改造車ながらローレル賞を受賞しています。1986年からは冷房化改造と集電装置をビューゲルからパンタグラフに換装する工事が行われ、現在の姿になります。ツーマン時代のカラーに復元されるのは2013年11月9日からで、この手のリバイバルカラーでは長期間の運用になりました。

新しい主役になった8800形と共に。7001号車の引退で、いよいよ残るは7022号車のみとなりました。

 

 

 

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荒川線に新風を吹き込んだ8800形

2017年04月15日 | 東京都電

直近に就役から10周年を迎えたレトロ調電車の9000形の事を記事にしましたが、今日は9000形が来るまでに練習がてら撮影した8800形を載せたいと思います。老朽化の進行していた7500形の置き換え目的に2009年4月26日より運用を開始した同形式、沿線に咲く薔薇をイメージしたローズレッドの装いで、それまで緑と白系統のカラーでほぼ統一されていた都電に新しいイメージを浸透させました。その後にバイオレット・オレンジ・イエローの3色が加わり、沿線に華を添えています。

ローズレッドの8805号車、8801-8805の5両がこの色で登場しました。写真は城北信用金庫の広告電車として運用されている姿ですが、花柄模様の広告が白を広く取った側面に非常によく似合っています。9000形同様、VVVFインバーター制御装置は東洋電機製のものを搭載しています。

バイオレットの8807号車、8806-8807の2両が在籍。ちなみにオレンジは8808-8809、イエローが8810号車ですが、この日はオレンジとイエローはお休み中でした。

2009年の荒川電車営業所公開時に撮影しました。8800形によって置き換えられた7500形です。写真の7511号車は、東京都交通局と南海グループとの共同キャンペーンで、阪堺電気軌道の昭和40年代当時のカラーになり2011年3月13日まで運用されました。現在荒川線には7510号車を改造した花電車の花100形のみが在籍します。

解体処分された車両から外されたパンタグラフが車庫内で展示されていたので撮影。小振りな路面電車のパンタとはいえ、屋根から外されると半端ではなく大きいのに圧倒されました。

 

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東急デヤ7200+7290、引退から5周年

2017年04月13日 | 東京急行電鉄

以前のSDカードを漁っていたら、長津田駅で撮影したデヤ7200+デヤ7290の写真が出てきました。7500系TOQ-iの導入で2012年2月26日を以って引退し、撮影者の為にさよなら運転が実施された時のものですが、あれから早くも5年の歳月が経過してしまいました。

特製ヘッドマークを着けて長津田駅に進入して来たデヤ。この姿で東急各線を巡回走行しましたが、有名撮影地にカメラを手にした人が大勢集結していたことを思い出します。折り返しの為に駅で停車した時など、一般の旅客車両とは明らかに異なる派手な装いのデヤの登場に、一般の乗客も興味深げに眺めていたことが印象的でした。

長津田駅では検車区お手製の横断幕を掲げてお出迎えになりましたが、旅客営業用ではない事業用電車の引退では極めて珍しい施策でした。さよなら運転後も、しばらくは留置され続けデヤ7200は2013年11月10日の等々力陸上競技場で開催された川崎フロンターレの試合前イベントで展示後に廃車解体、残るデヤ7290は2014年9月の東急電車まつりin長津田での展示後解体となってしまいました。一時期は留置が続いている事から、旧型車両の置き換えを計画していた某私鉄への譲渡も検討されたとの噂がありましたが、結局実現には至らなかったことが悔やまれます。

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シーサイドラインフェスタ2017~2000形展示~

2017年04月11日 | 首都圏のモノレール・新交通システム

1000形の保存車両を観察してから工場内に入るとドア開閉操作体験、運転台展示、鉄道模型の運転などが行われていた他、現在の車両である2000形を2編成並べて展示していました。今年は特別仕様の46編成と通常仕様の31編成が選ばれていました。

黒を中心に赤い細帯が精悍な印象の46編成。イベントの際は大抵展示されていますが、黒い部分は夜空、赤帯は朝明け、戸袋部分のロゴと星のマークは夜明け前の星をイメージした由。かつて在籍していた緑帯の1000形(17編成)の後任的な存在でもあるようです。2000形は42編成から室内灯を蛍光灯からLED照明に変更しましたが、前照灯もLED化したのはこの編成からでした。

通常仕様の31編成は2000形のトップナンバー編成で、2011年2月26日より運用を開始しました。シーサイドラインではステンレス車体・VVVFインバーター制御共に初採用です。製造を手掛けたのは東急車輛横浜製作所(→総合車両製作所横浜事業所)ですが、東急車輛の量産車としては初となるレーザー溶接を採用したことで、車体の仕上がりが既存のステンレス車両より滑らかになっています。

普段は見ることは出来ないVVVFインバーター制御装置もじっくりと間近で観察できました。中間M3車に搭載の東洋電機製RG6013-A・B-Mです。全電動車編成ですがVVVFは両先頭Mc車と中間のM3車に搭載され、Mc車は1C2M、M3車は1C1M仕様と制御内容が異なっています。他社で採用の製品に比べると近年のIGBT素子を用いたVVVFにしては音量が大きく、独特の磁励音を発するので筆者のお気に入りでもあります。

車体を支えている走行用のタイヤ(ブリヂストン製品)。先代の1000形では2軸4輪ステアリング台車でしたが2000形では側方案内方式の4案内輪車軸ボギー台車になりました。両側に案内輪と分岐案内輪を配置しています。普通鉄道に比べると小振りなAGT車両ですが、大型トラックや路線バスと同じ大きさながら5トン弱の負荷が掛かるため専用に設計されたタイヤが用いられています。走行中は側壁によって遮られてしまうことから、床下部分を観察出来たのはかなり新鮮でかなり楽しめました。

 

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シーサイドラインフェスタ2017開催

2017年04月09日 | 首都圏のモノレール・新交通システム

昨日の4月8日(土)は、生憎の雨模様ながら去年に続きシーサイドラインフェスタ2017が並木車両基地にて開催されました。今年もまた1000形の保存車両を公開する旨の告知があったことから、休暇を取って参加して来たのでその模様をお届けいたします。

会場の奥へ進むと、最大の目的である1000形の16編成の1161+1162の2両が鎮座していました。アスファルトの地面に直置き出来るのはゴムタイヤで走行する車両ならではですね。通常この手の車両は引退すると1両残さず解体処分してしまうか、先頭車1両のみの保管になってしまうことが多いのですが、横浜シーサイドラインでは5両編成丸ごと保管しています。国内のAGT標準車両としては第一号になるため保存の価値ありと判断されたのかと思いますが、引退後は見ることも叶わなくなると思っていただけに驚きました。

地上の高架線を走行しながらもホームドアに遮られて床下の走行機器を見ることが難しいAGT車両ですが、この日ばかりはじっくりと眺める事が出来ました。軌道から降ろされても普通の電車に比べたら車体がかなり小振りなことも実感します。

ロングシートの座席に1.3メートルの両開き扉を配置した通勤電車らしい車内。引退から約3年の月日が過ぎましたが、驚くほどに状態がよく、写真でもわかるように室内灯は勿論のこと自動放送装置も稼動できるようになっています。除籍後もイベントなどに活用すべく構内で定期的に通電させていることが語られていましたが、ここまで丁寧に整備を行っていることに頭が下がります。

車内に貼られた乗客向けのマナー啓発文や、注意表示なども健在でした。多分3代目くらいのドアステッカーだと思います。これ以前は東急の電車に似たような注意書き入り半透明ステッカー+広告を2枚組み合わせてガラスの下部分に貼り付けていましたが、広告主(エル商会)の倒産に伴い、暫くは注意書きのみになり後にこのステッカーが上部に車内側から貼られるようになったと記憶しています。更に以前の開通当初は子供のキャラが手を挟まれて泣いているイラストが入ったものだったと記憶してますが、あの懐かしいステッカーは今何処か。

上の写真の注意書きと一緒に子供に向けて貼られたと思われる八景島のイメージキャラクター、シーパラシー太のステッカーです。車外から貼り付けられている為、退色が目立ちますね。現行の2000形では何も貼られなくなってしまったのが残念です。

車両基地の奥には、新杉田寄りの3両が留置されていました。塗装に多少の退色はありますが、状態は良く3両目の妻面貫通路は丁寧に板で閉鎖されていました。今の所は2両と3両に分割されていますが、また5両編成になった姿を見たいですね。

 

 

 

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