弘南線の乗車と撮影を終えて、今度は大鰐線に向かいます。弘南線・大鰐線はどちらも弘前市内にありながら起点となる弘前駅と中央弘前駅は1キロ以上も距離があり、両線を乗り継ぐ場合は基本的に弘南バスの土手町循環100円バスを利用するか、奥羽本線で大鰐温泉へ出る必要があります。元々大鰐線は終戦後に交通事情の悪かった弘前市内の輸送を改善すべく、三菱電機の資本参加を経て設立された弘前電気鉄道が1952年に開通させた路線でした。しかし、開通後は奥羽本線と共に路線バスとの競合で経営は苦しく、わずか20年に満たない内から経営危機に見舞われ、1970年10月1日に弘南鉄道に路線の経営権を譲渡し現在に至ります。
現在の旅客車7000系。大鰐線の同系は日立モーター車で、東急時代は地上専用車として東横線急行などで活躍しました。7000系の導入当初は6000系と共に大鰐線に優先配置され、老朽化の著しい雑多な旧型車を置き換え大幅に近代化が図られましたが、現在では7000系の方に疲労の色が見えています・・・。
かつて在籍していた元南海電気鉄道1521系の塗装を再現した7037+7038編成。この他、7033+7034編成が同じく元東急7000系を保有する縁から、大阪の水間鉄道のデザインを再現した姿で運用されています。厳しい経営の中、出自が同じ譲渡車が縁で実現した遠い関西の事業者とのコラボレーションは明るい話題になりました。
津軽大沢駅に併設されている車庫には、セミステンレス車体の為老朽化が進行し既に運用を離脱した貴重な6000系も健在でした。2014年のイベント時に正面の赤帯を復元しています。動けなくなって久しいですが、直ちに処分せず保管してくれるのは実に嬉しい限りです。
7000系車内は以前の訪問時と変わらず、林檎をモチーフにした吊り手もそのまま。大鰐線所属車では座席の交換などは施行されていませんでした。
冒頭に記した経緯から、弘南鉄道入りするものの1974年をピークに輸送量は減少し、その後は旅客運賃を値上げした直後の2009年を除き赤字が続いています。これらの状況もあり、社内でも大鰐線の処遇に関して非公式な協議がされていたのか、2013年6月の株主総会の挨拶では社長より大鰐線を2017年3月で廃止する意向が示されました。その後7月に一度は撤回され、8月には沿線の弘前市・大鰐町を始め経済団体により支援計画や経営改善を目指す「存続戦略協議会」が発足し大鰐線は何とか生命線が保たれました。予断を許さない状況ではありますが、特に弘前市が鉄道維持に前向きな姿勢を見せているのは幸いと言えます。この先、車両や設備の更新など先行きは厳しいですが、どうにか存続への道が切り開ける事を願いたいものです・・・。