夜中に失礼します。
明日、いえ、今日は、最近まれに見る(苦笑)X-dayなのだが、やはり、というか、崖っぷちです。
小渕氏みたいに、「歌入れ前日の深夜に、歌詞が溢れてきて。。。」という状態を望みつつ、そんなことはなかなか起きないのだ、という事実を確認して半ばあきらめつつ、それにしても、そんな状態ってものすごい崖っぷちだったんじゃないか、とか、いや、勝算あったろうから、別に、おいらと違って「空手で深夜」、ってわけやないやろ、とか。
悶々としてます(爆)。小渕氏を心から尊敬しつつ。(その才能にも、そのタフさにも。)
時間ないのに、「官僚たちの夏」を見てしまいました。(途中は見逃したが。)
役者さん頑張ってる。ストーリーは重厚。どうも演出が軽やかで違和感あるが、丁寧に作られていると思う。(偉そうですんません。おいら、『NHKドキュメンタリー』で育ったもんで、基本的に、ドラマ自体が苦手なんす。)
見ていて、何だか、複雑な気持ちになった。
あの時代を懸命に創り上げた人達。
あの時代までに失われた多くの命。
その命の持ち主たちが命をかけて守ろうとしたもの。
受け継いだ人達が、必死で目指したもの。
たくさんの、たくさんの、人間の思惑と利害と信念と野心と迷い。その影の痛みと涙。
まっすぐな善意。エネルギー。
全てのことが起こった道の果てに、今、ぼくらは佇んでいる。
あまりにも多くの命と願いと犠牲と叫びと情熱が、あの時代とぼくらの間にあるから。
ぼくは沈黙するしかない。
圧倒されて。
そして、誰のせいとも言えない多くの事実と、その結果の未来を抱えきれなくて。
きっとぼくらも、未来の世代から、同じような眼で見つめられるのだろう。
「正しい」と思ってやったことの全て、加担した(あるいは傍観した)物事の結果を、やはり痛ましく見つめられるのだろう。
前を見ると怖くて、そして、振り返ると、果てしなくて。涙が出そうになる。
同情じゃない。批判でもない。(そんな偉そうなことはできない。)
限りない敬意と感謝。
そして、大きな哀しみ。
心に浮かんだ全ての気持ちを、何と言い表したらいいんだろう。
そして、気づくのだ。
ぼくらには、愛することしかできないじゃないか、と。
だから、空を見上げるしか、ないんだ。
何も語らずに、見つめるしかないんだ。
過去を。確かに生きていた、あの時代のあなたを。
あなたは、正直だった。懸命に考え、最善の道を選ぼうとした。
できることは限られていて、知られていたことも限られていて、どうしようもなかった様々なことが、あった。
でも、きっと、人として、あなたは、健やかに真っ直ぐに生きたのだと思う。
あなたが、自分の信念を打ち砕かれずに命を全うしたのなら、あなたは幸運だったのだと思う。
あなたが、うちひしがれ、失意と無念のうちに一生を終えたのなら、あなたは、人の生き様の本質を、深く知り得たのだと思う。
苦しかった人も。幸せだった人も。
ぼくらができることは、彼らの生きた時代を尊び、そこにあった命に、敬意を払うことだけだ。
だから。
ラブソングを歌いたい、と思った彼らは、正しかったと思う。
あの時代の全てを無邪気に礼賛することはできない。でも、彼らが真っ直ぐに力一杯生きてくれなかったら、今の僕らの生活は無かっただろう。
限りない感謝と敬意をこめて。今を生きる若い世代にとって、鎮魂のラブソングを歌うことが、一番、ドラマに寄り添うことになるのかもしれない。
昭和30年代に向けてのレクイエム。
美しい音楽と言葉で、あの時代に敬意をあらわそう。そして、頭を垂れて、謙虚に、今のぼくらを問い直そう。ぼくらは、彼らと同じぐらい、自分の限界を超えようとしているか。ぼくらは、彼らと同じぐらい、未来に思いを馳せているか。
。。。なんてことを、小渕氏と黒田氏が考えたのかどうかはわからないが、おいらは、そんなことを感じました。
いや、もちろん、そんな牽強付会な解釈ばかりを考えてるわけじゃなくて、「STAY」の本来の意味は、ドラマの登場人物の中に(いずれ)存在する、来し方を思い、還らない愛しい人に呼びかける歌なんだと思うけどね(汗)。
最初は、ドラマの終了時に「STAY」が流れたとき、少し違和感感じたんだ。「あ~、『時の足音』と同じくらい、がっぷり四つに組んどるなぁ。いや、今回の方が、とがった歌い方してる分、剣呑か?(汗)」な~んてね。
でも、曲を聴きながら、不思議なぐらい映像としっくり合うメロディー(歌詞は台詞とかぶって聞こえんから)に感嘆して、ドラマの映像を眺めているうちに、思ったんだ。「この曲以上に、他にどんな曲だったら、このドラマに合うんだ?」って。
このドラマが映し出す時代からも、このドラマが書かれた時代からも遠く離れて、この時代を見つめるぼくらにとって、このドラマの世界観に沿いすぎた前向きな曲では、かえって気持ち悪い違和感を覚えただろう。
かといって、ドキュメンタリーみたいに、当時を検証し、行動の是非を問うために、ぼくらはドラマを見ているんじゃない。当時を汚すためではなく、人間の生き様に共感しながら見ているんだから、暗かったり懐疑的な曲もごめんだ。
これは、「STAY」しかなかったんだなぁ。。。と思う。まぁ、タイトルが「STAY」だったのは、取りようによっては、相当複雑ですけどね。(まぁ、いろんな意味にとれるから、よいのだと思う。)
おいらの、現実逃避的な、複雑骨折しまくりの感受性を、お許しください。崖っぷちの風を浴びて、月の光に酔ってますゆえ。(なんつー言い訳。)
ああ、X-day終わったら、もちっとまともな解釈を試みたいな。
とりあえず、今のおいらは、「STAY」の意義を「是」として、支持表明いたしまする。
愛してる。この言葉は、思考停止を誘う「ずるい」言葉かも知れない。でも、どうしようもない時に、人ができるのは、「愛する」ことなんだ。
「STAY」の深さを語り切るには、まだまだ及びません。駄文を陳謝しつつ、これにて書き逃げをお許しください。
満月が近い。みんな、いい夢を。
明日、いえ、今日は、最近まれに見る(苦笑)X-dayなのだが、やはり、というか、崖っぷちです。
小渕氏みたいに、「歌入れ前日の深夜に、歌詞が溢れてきて。。。」という状態を望みつつ、そんなことはなかなか起きないのだ、という事実を確認して半ばあきらめつつ、それにしても、そんな状態ってものすごい崖っぷちだったんじゃないか、とか、いや、勝算あったろうから、別に、おいらと違って「空手で深夜」、ってわけやないやろ、とか。
悶々としてます(爆)。小渕氏を心から尊敬しつつ。(その才能にも、そのタフさにも。)
時間ないのに、「官僚たちの夏」を見てしまいました。(途中は見逃したが。)
役者さん頑張ってる。ストーリーは重厚。どうも演出が軽やかで違和感あるが、丁寧に作られていると思う。(偉そうですんません。おいら、『NHKドキュメンタリー』で育ったもんで、基本的に、ドラマ自体が苦手なんす。)
見ていて、何だか、複雑な気持ちになった。
あの時代を懸命に創り上げた人達。
あの時代までに失われた多くの命。
その命の持ち主たちが命をかけて守ろうとしたもの。
受け継いだ人達が、必死で目指したもの。
たくさんの、たくさんの、人間の思惑と利害と信念と野心と迷い。その影の痛みと涙。
まっすぐな善意。エネルギー。
全てのことが起こった道の果てに、今、ぼくらは佇んでいる。
あまりにも多くの命と願いと犠牲と叫びと情熱が、あの時代とぼくらの間にあるから。
ぼくは沈黙するしかない。
圧倒されて。
そして、誰のせいとも言えない多くの事実と、その結果の未来を抱えきれなくて。
きっとぼくらも、未来の世代から、同じような眼で見つめられるのだろう。
「正しい」と思ってやったことの全て、加担した(あるいは傍観した)物事の結果を、やはり痛ましく見つめられるのだろう。
前を見ると怖くて、そして、振り返ると、果てしなくて。涙が出そうになる。
同情じゃない。批判でもない。(そんな偉そうなことはできない。)
限りない敬意と感謝。
そして、大きな哀しみ。
心に浮かんだ全ての気持ちを、何と言い表したらいいんだろう。
そして、気づくのだ。
ぼくらには、愛することしかできないじゃないか、と。
だから、空を見上げるしか、ないんだ。
何も語らずに、見つめるしかないんだ。
過去を。確かに生きていた、あの時代のあなたを。
あなたは、正直だった。懸命に考え、最善の道を選ぼうとした。
できることは限られていて、知られていたことも限られていて、どうしようもなかった様々なことが、あった。
でも、きっと、人として、あなたは、健やかに真っ直ぐに生きたのだと思う。
あなたが、自分の信念を打ち砕かれずに命を全うしたのなら、あなたは幸運だったのだと思う。
あなたが、うちひしがれ、失意と無念のうちに一生を終えたのなら、あなたは、人の生き様の本質を、深く知り得たのだと思う。
苦しかった人も。幸せだった人も。
ぼくらができることは、彼らの生きた時代を尊び、そこにあった命に、敬意を払うことだけだ。
だから。
ラブソングを歌いたい、と思った彼らは、正しかったと思う。
あの時代の全てを無邪気に礼賛することはできない。でも、彼らが真っ直ぐに力一杯生きてくれなかったら、今の僕らの生活は無かっただろう。
限りない感謝と敬意をこめて。今を生きる若い世代にとって、鎮魂のラブソングを歌うことが、一番、ドラマに寄り添うことになるのかもしれない。
昭和30年代に向けてのレクイエム。
美しい音楽と言葉で、あの時代に敬意をあらわそう。そして、頭を垂れて、謙虚に、今のぼくらを問い直そう。ぼくらは、彼らと同じぐらい、自分の限界を超えようとしているか。ぼくらは、彼らと同じぐらい、未来に思いを馳せているか。
。。。なんてことを、小渕氏と黒田氏が考えたのかどうかはわからないが、おいらは、そんなことを感じました。
いや、もちろん、そんな牽強付会な解釈ばかりを考えてるわけじゃなくて、「STAY」の本来の意味は、ドラマの登場人物の中に(いずれ)存在する、来し方を思い、還らない愛しい人に呼びかける歌なんだと思うけどね(汗)。
最初は、ドラマの終了時に「STAY」が流れたとき、少し違和感感じたんだ。「あ~、『時の足音』と同じくらい、がっぷり四つに組んどるなぁ。いや、今回の方が、とがった歌い方してる分、剣呑か?(汗)」な~んてね。
でも、曲を聴きながら、不思議なぐらい映像としっくり合うメロディー(歌詞は台詞とかぶって聞こえんから)に感嘆して、ドラマの映像を眺めているうちに、思ったんだ。「この曲以上に、他にどんな曲だったら、このドラマに合うんだ?」って。
このドラマが映し出す時代からも、このドラマが書かれた時代からも遠く離れて、この時代を見つめるぼくらにとって、このドラマの世界観に沿いすぎた前向きな曲では、かえって気持ち悪い違和感を覚えただろう。
かといって、ドキュメンタリーみたいに、当時を検証し、行動の是非を問うために、ぼくらはドラマを見ているんじゃない。当時を汚すためではなく、人間の生き様に共感しながら見ているんだから、暗かったり懐疑的な曲もごめんだ。
これは、「STAY」しかなかったんだなぁ。。。と思う。まぁ、タイトルが「STAY」だったのは、取りようによっては、相当複雑ですけどね。(まぁ、いろんな意味にとれるから、よいのだと思う。)
おいらの、現実逃避的な、複雑骨折しまくりの感受性を、お許しください。崖っぷちの風を浴びて、月の光に酔ってますゆえ。(なんつー言い訳。)
ああ、X-day終わったら、もちっとまともな解釈を試みたいな。
とりあえず、今のおいらは、「STAY」の意義を「是」として、支持表明いたしまする。
愛してる。この言葉は、思考停止を誘う「ずるい」言葉かも知れない。でも、どうしようもない時に、人ができるのは、「愛する」ことなんだ。
「STAY」の深さを語り切るには、まだまだ及びません。駄文を陳謝しつつ、これにて書き逃げをお許しください。
満月が近い。みんな、いい夢を。