仕事せにゃならんのに、何かに呼ばれて(苦笑)「天地人」から浮気して(伊達政宗は興味あったが、役者が若いしなぁ。。。なんてつぶやきつつ)NHK教育をつけた。
「私は自然になりたい 画家・犬塚勉」(以下は、NHK教育「日曜美術館」のページです。彼の絵がいくつか見られます。必見!)
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0705/index.html
すごい番組でした。ありがとう、偶然の神様。ありがとう、NHK教育さん。
犬塚勉は、自然を描くことを希求して、体を鍛え、食事制限までし、山に入り、その奥深さを描きつづけ、38歳で谷川岳で遭難して亡くなった。彼の自然の描き方は独特の写実性と精神性を持ち、希有な才能の画家だった。すごい。圧倒されて思わず最後まで見てしまった。
とはいえ、今日、番組を見るまでは、ぜんぜん知らなかった。
その精緻な筆致、それは一見写真と見まごう精密な描写なのだが、写真では再現できない、魂のほとばしりのような輝きが、絵全体から放たれている。この存在感は、この絵が、ただの模写ではなく、わななく魂によって生み出された世界だということを、見るものに感じさせる。犬塚勉の絵が持つ、透徹した精神性に、圧倒された。(テレビ越しなのに。)
せせらぎの里美術館(東京・奥多摩町)で、8月30日まで彼の展覧会をやっているらしい。その後は、東御市梅野記念絵画館(長野県)で10月17日~11月15日だそうだ。
そして、『梅雨の晴れ間』(1986年)という作品を見たとき、ふいに思った。
おいらが好きな芸術は、こういう世界なんだ、って。
大きな志、高い閃き。現実の奥の真実を描くことを追求し、透徹した観察眼と誠実な心で、一心不乱に描き出される世界。そこに描かれているのは、名もない雑草(ドクダミやシロツメクサやハルジオン?)の咲き乱れる、身近な庭。
光と影と、緑や花の一枚一枚が、息づいて、輝いている。命は、こんなに美しいのだ、と歌っているかのように。
そして、思ってしまった。「おいらがコブクロ好きなのは、こういうとこなのかもしれないなぁ。」って。
牽強付会なこじつけに聞こえたら、ごめんなさい。
おいら、コブクロの音楽の優しいメロディの奥に、鋼のような意志を感じることが多いから。おいらの勝手読みかもしれんけど、ね。
世の中には色々な芸術があり、色々な表現形態がある。
怒りを表に出す芸術。涙の中に癒しを求める芸術。祭りによってカタルシスを得る芸術。
様々なスタイルがあり、もちろん、コブクロだって、一つの特性だけを追い求めているだけではない。
でも、彼らの音楽性(なんて、素人が言ってゴメン(汗))は幅が広いけど、通奏低音みたいに、基調となる部分と、即興的なその時期その時期の志向があって、おいらは、即興の部分だけじゃなくて、基調となってる旋律につい耳を澄ませてしまう訳で、、、ああ、わけわからんなぁ。(今日も素面だ(苦笑))
「STAY」しかり。「虹」しかり。「Diary」しかり。
一見、当たり前のこと?を歌っているかのような自然さなんだけど、とても、切実な、複雑な心境を突き抜けた、結晶のような純粋な思いを歌おうとしている。ような、気がする。
ああ、今日も意味不明ですんません。
追伸:書店で「Rocking On Japan 忌野清志郎追悼号」を見る。おいらは、忌野さんを知らずに大人になったけど、それは、彼の芸術性がおいらには無理だった、ってことだけで、、、いい人なのは同感だし、すごい人やとも思う。こんな風に、ちゃんとリスペクトを残せる時代、っていいな、と思う。マイケル・ジャクソンも大きな追悼コンサートあったもんなぁ。(どこか、日本古来の「鎮魂」の儀式を思い出したけど。こういう精神は洋の東西問わないものなのかもな。)
でも、「○○特集号」とか、トリビュート的なCDなんか見ると思うけど、みんな、いろんな思いがあるんやね。思う気持ちに優劣はない。きっと、追悼の日に、家にこもって詩を書いてたファンだっていたろう。訃報が日本全国を駆け抜けた日、いつもと同じように会社で働きながら、黙々と働きつつ、頭の中で彼の音楽がぐるぐる回ってた人もいただろう。
名も知られることもない、多くのファンや、ファンとも言えないような人たちの、いろんな気持ち。全部、どこかで、風に散って、空気に混じって、星の向こうまで飛んでいったんだろうと思う。彼の魂に連れ添って。
そんな風に、毎日が行く。そんな風に、ぼくらの思いは、浮かんだり膨らんだりへこんだりしながら、流れ続けていく。
コブクロも、彼らの気持ちを形にしたらしい。どんな歌か想像もつかないけど、思う気持ちを素直に歌にできる彼らの正直さを、眩しく感じる。
最後はコブクロの話になっちゃったな。
興味持ってくれた人、ぜひ、犬塚勉氏についても、知ってください。
(そろそろ崖っぷちに戻ります~朝まで、朝から、がんばんべぇ、、、(泣))
「私は自然になりたい 画家・犬塚勉」(以下は、NHK教育「日曜美術館」のページです。彼の絵がいくつか見られます。必見!)
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0705/index.html
すごい番組でした。ありがとう、偶然の神様。ありがとう、NHK教育さん。
犬塚勉は、自然を描くことを希求して、体を鍛え、食事制限までし、山に入り、その奥深さを描きつづけ、38歳で谷川岳で遭難して亡くなった。彼の自然の描き方は独特の写実性と精神性を持ち、希有な才能の画家だった。すごい。圧倒されて思わず最後まで見てしまった。
とはいえ、今日、番組を見るまでは、ぜんぜん知らなかった。
その精緻な筆致、それは一見写真と見まごう精密な描写なのだが、写真では再現できない、魂のほとばしりのような輝きが、絵全体から放たれている。この存在感は、この絵が、ただの模写ではなく、わななく魂によって生み出された世界だということを、見るものに感じさせる。犬塚勉の絵が持つ、透徹した精神性に、圧倒された。(テレビ越しなのに。)
せせらぎの里美術館(東京・奥多摩町)で、8月30日まで彼の展覧会をやっているらしい。その後は、東御市梅野記念絵画館(長野県)で10月17日~11月15日だそうだ。
そして、『梅雨の晴れ間』(1986年)という作品を見たとき、ふいに思った。
おいらが好きな芸術は、こういう世界なんだ、って。
大きな志、高い閃き。現実の奥の真実を描くことを追求し、透徹した観察眼と誠実な心で、一心不乱に描き出される世界。そこに描かれているのは、名もない雑草(ドクダミやシロツメクサやハルジオン?)の咲き乱れる、身近な庭。
光と影と、緑や花の一枚一枚が、息づいて、輝いている。命は、こんなに美しいのだ、と歌っているかのように。
そして、思ってしまった。「おいらがコブクロ好きなのは、こういうとこなのかもしれないなぁ。」って。
牽強付会なこじつけに聞こえたら、ごめんなさい。
おいら、コブクロの音楽の優しいメロディの奥に、鋼のような意志を感じることが多いから。おいらの勝手読みかもしれんけど、ね。
世の中には色々な芸術があり、色々な表現形態がある。
怒りを表に出す芸術。涙の中に癒しを求める芸術。祭りによってカタルシスを得る芸術。
様々なスタイルがあり、もちろん、コブクロだって、一つの特性だけを追い求めているだけではない。
でも、彼らの音楽性(なんて、素人が言ってゴメン(汗))は幅が広いけど、通奏低音みたいに、基調となる部分と、即興的なその時期その時期の志向があって、おいらは、即興の部分だけじゃなくて、基調となってる旋律につい耳を澄ませてしまう訳で、、、ああ、わけわからんなぁ。(今日も素面だ(苦笑))
「STAY」しかり。「虹」しかり。「Diary」しかり。
一見、当たり前のこと?を歌っているかのような自然さなんだけど、とても、切実な、複雑な心境を突き抜けた、結晶のような純粋な思いを歌おうとしている。ような、気がする。
ああ、今日も意味不明ですんません。
追伸:書店で「Rocking On Japan 忌野清志郎追悼号」を見る。おいらは、忌野さんを知らずに大人になったけど、それは、彼の芸術性がおいらには無理だった、ってことだけで、、、いい人なのは同感だし、すごい人やとも思う。こんな風に、ちゃんとリスペクトを残せる時代、っていいな、と思う。マイケル・ジャクソンも大きな追悼コンサートあったもんなぁ。(どこか、日本古来の「鎮魂」の儀式を思い出したけど。こういう精神は洋の東西問わないものなのかもな。)
でも、「○○特集号」とか、トリビュート的なCDなんか見ると思うけど、みんな、いろんな思いがあるんやね。思う気持ちに優劣はない。きっと、追悼の日に、家にこもって詩を書いてたファンだっていたろう。訃報が日本全国を駆け抜けた日、いつもと同じように会社で働きながら、黙々と働きつつ、頭の中で彼の音楽がぐるぐる回ってた人もいただろう。
名も知られることもない、多くのファンや、ファンとも言えないような人たちの、いろんな気持ち。全部、どこかで、風に散って、空気に混じって、星の向こうまで飛んでいったんだろうと思う。彼の魂に連れ添って。
そんな風に、毎日が行く。そんな風に、ぼくらの思いは、浮かんだり膨らんだりへこんだりしながら、流れ続けていく。
コブクロも、彼らの気持ちを形にしたらしい。どんな歌か想像もつかないけど、思う気持ちを素直に歌にできる彼らの正直さを、眩しく感じる。
最後はコブクロの話になっちゃったな。
興味持ってくれた人、ぜひ、犬塚勉氏についても、知ってください。
(そろそろ崖っぷちに戻ります~朝まで、朝から、がんばんべぇ、、、(泣))