二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

大仏開眼、吉岡・石原・高橋らの会見動画配信中!

2010-04-03 23:25:10 | Weblog
NHK「大仏開眼」よかったです。
今日は地上波放映。集中して楽しめました。役者がみんな存在感があって、彼らを取り囲むセットがものすごいスケールの大きさで、衣装や小物・大道具に至るまで、すごい迫力の生々しさ、というか、ライブ感に溢れていました。

さて、今日はちょっとした情報提供。

naviconという番組ガイドで、「大仏開眼」についての記事を見つけたのですが、NHKでは、役者さん・脚本・演出の皆さんの会見の模様を動画配信しているらしい。

記事は以下に。
3日放送「大仏開眼」、吉岡秀隆、石原さとみらの会見動画配信―NHK
http://navicon.jp/news/7473/

そして、動画は以下に。
http://www.nhk.or.jp/pr-movie/index.html?id=0336

NHKの公式ページにこんなページがあるなんて知らなかった(苦笑)。
なお、1300年前から戻ってきた吉岡秀隆氏は、すっかりご本人に帰還されていました(笑)。

「大仏開眼」で出会えた吉備真備、とても魅力的な人物でした。出会えて嬉しかった。ありがとう、吉岡氏。吉備真備を創り上げてくれて。

そして、石原さとみも、高橋克典も、聖武天皇も光明皇后も本当に生き生きしていたなぁ。

藤原仲麻呂の描かれ方に品があって嬉しかった。「悪役」と高橋氏は称していたが、仲麻呂は仲麻呂としての矜持も苦悩も理想もあった、というのが、しっかり表現されていたと思う。

全体的に、「現代の日本人」にわかりやすいように、という物語の描かれ方が、優しくもあり、(視聴者への期待値が低いのか、と感じて)哀しくもありましたが、マニアックに走りすぎるよりは、視聴者に寄り添う展開で良かったと思います。

筋がわかりやすい反面、時代考証ばりばりで、小道具や衣装や町中や屋敷やその他諸々の再現にかけるマニアックさは、尊敬の念を抱くほどの突き抜け方だったと思います。NHKのこういうプロ意識、大好きだ。

明日はBS-hiで「後編」放映です。地上波では来週。

そんな感じで幸せな週末です。なんか、堕落気味?

明日(爆)は改めまする。。。では(汗)。
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「虹始見」の意味を知る~日本語っておもしろい

2010-04-03 16:39:09 | Weblog
そろそろ二十四節気で「清明」になります。(今年は四月五日?)

清明の期間には「七十二侯」の内3つの時期があるみたいですが、その中の1つがこれ。

「虹始見」

昨年、コブクロのイベントで東京タワーが虹色になった日がありましたが、あの日です。

当時「にじはじめてみる」と読むのだと聞き、そのまま漢字にしたら「虹初めて見る」じゃないのか、と疑問に思ったのですが、最近、wiki(笑)にて、以下の記述を発見。

「虹始見(にじ はじめて あらわる) : 雨の後に虹が出始める」
(以上、「清明」および「七十二侯」におけるWikipediaの記事)

そうか、、、「出始める」「見え始める」なんやね。だから「始」の字だったのか。納得。

しかし、元は中国から来た言葉だから「虹始見」の字面は理解できるとしても、それを「にじ、はじめて、みる」と読むのはなぜ?(ちなみに、七十二侯の中には、他にも「桃始笑」(ももはじめてわらう(さく))みたいなかわいいのもある。これも「はじめて」と読ませてるんだよね。)

それで、その使い分けについても調べてみたら、ありました。(興味ある人は「始めて 初めて 違い」でググると、yahoo知恵袋に出てます。結構以前から話題が出てるんやね。「始めて」「初めて」に意味の違いを感じて苛立っている人は多いけど、実は、近代文学では「始めて」がどちらにも使われていたらしい、ということ。そして、個人によっては意図的に「始めて」で統一しているらしい、ということ。)

どちらが正統かはわかりませんし、もっと古くからのことは不明なままなんですが。

それで思い出したことがある。

小学校の時に教わった漢字の形だったか送りがなだったかが、中学校になった時、学者さんが話し合って決めた、とかで、いきなり、変わったんだ。

何の字だったかもはや思い出せない(爆)んだけど、「づ」と「ず」の使い方だったか、漢字の書き方が変わったか、まぁ、そんな程度です。(苦笑)

ささいなこと、と思う人も多いだろうが、ニュースを見て、子供心にものすごく衝撃だったのを思い出す。

まぁ、今のニュースで報道される政府のお達しの方が、内容的には何倍も深刻で衝撃なはずなんですが。

当時の衝撃は、きっと、終戦後に教科書に墨を塗らされた子ども達に似た性質のものだったんじゃないか、と思う。(深刻さは比較にならんほど、おいらの体験の方が軽いけど。)

自分が教わったことが、否定される、ということ。

正しい、と教わったことが、そうでない価値観にとってかわる、ということ。

う~ん、大げさ?でも、最近どんどん、見聞きする価値観の彼我の違いを感じるのです。旧人類、ピンチ。

怖いのは、さ。ネットという世界では「言ったもん勝ち」「使ったもん勝ち」みたいな雰囲気の「情報の下克上」が時々見受けられること。そして、ネットに対する人々の純朴(笑)な信仰心みたいなものが、見え隠れすること。

そうそう、もう一つ脱線。

以前、NHKの特集をつけていたら、紙媒体としての新聞やテレビニュースの存在意義について、出演者が語り合っていた。そこには、視聴者からのメールによる意見が紹介されていて、その中に少なからず「インターネットのニュースの方が客観的だ」とか「新聞やテレビニュースには、その記事を書いた人間やニュースを読む人間の意見が入っていて邪魔だ。インターネットのニュースの方が、事実だけを伝えてくれる」なんていう無邪気な意見があって、おいらは、ちょっと本気で心配になってしまった。

そんな初(ウブ)な人はいないだろう、と思いながらも。インターネットのニュースが事実しか述べていない、って本当に信じているんだろうか?

もちろん、某国のAB●ニュースがある価値観に傾斜しすぎているから、という理由で、国際関係のニュースは外国の放送局しか信用しない、と憤慨する若手知識層の存在とかは、聞いたことあるけどね。(日本じゃないよ、念のため。)

この問題を論じるには「事実とは何か」とか「客観的とは何か」ということを考えないといけないので、とてもここで気楽に書くには重いんだけど。

なけなしの気合い?で書かせてもらうならば。
「インターネットを含めて、全ての情報には、発信者と編者と掲載者の意図と目的が込められている」というのが、おいらの感覚です。

どんなに客観性を意図したとしても、その情報をどう取捨選択し、どう解釈するかに、主観による判断が介入しないわけがない。

逆に言えば、「客観性」を匂わせるような文章は、スマートに情報提供者の「主観」を隠している、と言える。その分「すっきり爽やか」で情報受信者の中に取り入れやすいが、その「味の良さ」「消化しやすさ」が、どのような価値観に支えられているのかは、受信者が意識する必要があるだろう。(そんな記事は、受信者の価値観に近いから、消化しやすいのだとも言える。いわば、受信者が「うぜえ」と思う情報やコメントは、受信者の価値観と合わないから過剰な情報として聞こえるのだろう。)

まぁ、どんな価値観を持っていたとしても、披露する場合は時と場合に配慮すると共に、自分が受信者である場合は、どんな情報を得る時でも、その文章を書いている人を思い描くことが、その情報を有効に活用し、その情報に振り回されないための智慧ではないだろうか。

なんちゃって。


。。。ああ、柄にもなく難しいこと書こうとしたら、頭痛くなってきた。
空は晴れ。お天道様が笑ってます。

とゆーわけで、駄文お目汚し、失礼しました。みんな、良い週末を^-^
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春の夜空に 輝く星を あなたと 見上げたら♪

2010-04-03 14:42:10 | Weblog
惑星5つが夜空に大集合。夜更けになれば、月の西に蠍座のアンタレスも輝く。

地面ばっかり見続けてあたふたしている内に、雨雲の上の夜空はこんな華やかな事態になってました。

水星と金星が最接近、5惑星が集う夜?(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト) - goo ニュース

崖っぷちの風は強風。先ほどまで突風が吹き荒れていました。

空の雲を払って、星が見えるといいな。明日が一番見頃らしいっすよ。

では^-^
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