二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

ペール・ギュント 山の魔王の宮殿にて

2013-01-06 22:44:38 | クラシック音楽
先日、James Rhodesが弾いてたのを聞いたのですが、タイトルが思い出せなくてここ数日ず~っと悶々としてました。

ところが、先ほど「ラシドレミドミ」の検索で一発解決。


ペール・ギュント「山の魔王の宮殿にて」でした。(トロルが「殺せ!殺せ!」って叫んでる曲やったんね。この剣呑さは・・・)

インターネットってすごいなぁ・・・


(「ファンタジアでワニが踊ってた」という間違った記憶に振り回されて、ずいぶん遠回りしました。自分の記憶を信じちゃいかんと痛感した45歳・・・)


それにしても、ペール・ギュント・・・ろくな人生じゃないが、あまりに人間くさい展開に、共感したくなくても頷いている自分がいる・・・(爆)。

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土に手をつく~回帰と確認~

2013-01-06 21:55:04 | Weblog
4年3ヶ月前の記事を、誰かが読んでくださったので、自分ももう一度読むことができました。

進歩してないなぁ。今読んでも「心から同意」してしまう自分。やれやれ。
(4年以上経ったのだから、もちっと新しい発見があってもいいものだが。)

そんなわけで、自戒をこめて再掲。しっかりしろよ、自分。。。


(以下、過去の自分アゲイン。ただし、改行と追加は施します。)
--------------------------------

全然改善のない状況で。

わずかばかりのひっかかりを、ここに刻んでみよう。(以下、偽悪的駄文が続きます。気分悪くなるかもしれんから、生意気な文章嫌いな人は見ないでね。)



(1)ぼくらは、人に傾倒する。

日本人の多く(と言っては語弊があるだろうか)は、敗戦によってそれまでの価値観を粉砕され、道徳規範の拠り所としての宗教から切り離されてしまった。宗教は世界観であり、道徳律であり、目に見えず僕らを縛り、規制してくれるもの。

今の僕らを見てみよう。それまでの価値観を失って、自由という言葉の元に、手に余る道徳律を自ら作り出すことなどかなわぬ僕らは、どこに信仰心、すなわち精神的な拠り所を求めている?それは、「世間」という漠然とした教典で、でも、どこにそれが書かれているかって、、、結局は、どこかの「個人」が表明した壁の落書きやうわさ話を選んでは、それに絶対的な信頼を置いていないか?そして、自分が自信をもって「正しい」と思えることなど、もうない、と信じて、沈黙しつづけていないか?

子供たちは、口をつぐんだ大人たちから学べない。雑誌やメディアが様々な商業的しがらみや憶測から提案する「刺激的でポップな」最先端を、「常識」だと考える。大人になっても同じだ。どこまでも五里霧中な生活の中で、巷にあふれる「情報通」の言うことを、ありがたく信奉して真似ている。その「情報通」の信念やセンスがどこから来るかなんて、疑いもせずに。そして、発信者も受信者も、決して悪意はないのだ。どこまでもつかまえられない「世間」を求めているだけで。




ぼくらは、人に傾倒する。神様も教えてくれない、親も教えてくれない、素敵な生き方を、ポップスターやアスリートの中に見つけようとする。

ぼくらは、人に傾倒する。相手を、食いつぶすまで神格化し、相手が人故に間違ったり試行錯誤するのを、許さない。十分に他罰的な子供の無邪気さで、相手を罰して押しつぶそうとする。

神格化し、追い詰め、崖から突き落とす。それは、原始社会から続く、人類の遺伝子に組み込まれた性質なのか。

ぼくらは、人に傾倒する。時の人に。偉大な人に。クールな人に。そして、その人を応援するだけでなく、その人の無謬性を追い求め、当人以上に誤謬を罰しようとする。神に成り代わって。ぼくらは、神を持たずに、神になったかのように、人を裁こうとするのだろうか。


(2)どこまでも優しくなれる。その一方で、どこまでも孤独は埋まらない。

ぼくらは、愛を学ぶことができる。笑顔をもらえば、赤ん坊でも笑顔を返せる。でも、いつのころからか、僕らは、自らは変わらぬまま、相手が変わることを望むようになる。それは、愛から離れてはいないか。僕らは時の中で生きている。僕らは時の流れを感じることができるはずだ。でも、僕らは待つことが苦手だ。相手が自分の思うとおりでないと、裏切られたと思う。そう思う心が、自分の裏切りかもしれないのに。

他方、「優しさ」とは何だろう。自分を律することで、ぼくらは、どこまでも「優しく」なれる錯覚を起こす。でも、ぼくらが優しさに挑戦するとき、自己満足に終わっていないか。「優しい自分」に酔っているだけなら、そこにはどうしても孤独と欺瞞が生まれる。その2つは、光が生み出す影のように、優しさと連れ添って、僕らの隣にいつの間にか立っている。


ぼくらは、どれだけ決意すれば、本当に優しく、強くなれるのだろう。愛という言葉を本当に実感するために、どれだけの自己欺瞞と、どれだけの無関心と、どれだけの誤解と戦わねばならないのだろう。繰り返し「愛」を練習する、果てしないその戦いは、どこまでいってもだれに褒められるわけでなく、結局のところ自己満足でしかない、という冷ややかな心の声が、僕らの体温を下げ続ける。


1つ分かっているのは、行動しなければならない、ということ。優しくなって、強くなって、手を伸ばさなかったら、何も変わらない、ということ。冬の極寒の中で、動物も植物も生き続けるように。春は、必ずやってくる。春を、沈黙させないために、ぼくらは、もっともっと、強く優しくなりたい。熱を保ち続けたいんだ。



追伸:

「袖ふれあうも多生の縁」

ことばは、恐怖を乗り越えて、信じるための呪文。

間違えても、裏切られても。
痛みを風に飛ばして、
となりにいる人の手を握り、微笑みをかわす。

凍えながら。
そんな朝を、夢見ている。

(初稿2008.10.12.改稿12.20.掲載2009.05.30. 改稿再掲2013.01.06.)
コメント (2)
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「デッドゾーン」と「八重の桜」~やりきれないけど、生きていこうよ~

2013-01-06 21:26:19 | Weblog
起きていられなかった週末。何がそんなに悲しかったって?


被災地派遣の職員死亡「やりきれない」 宝塚市長(朝日新聞) - goo ニュース


でも、悲しがって落ち込んでたって何も変わらないんだ。彼はもう、ここにはいないのだから。
おいらとさほど年の変わらぬ彼の心が、どこか大切な人の元へ帰りつきますように。
互いに知らぬ魂同士、空の向こうでいつか出会えるだろうか。

ふとんかぶって現実逃避しながら、ぼんやりと起き出して、家族と何食わぬ顔で話して、借りっぱなしで放置していた「デッドゾーン」(映画版)を視聴。

クリストファー・ウォーケンはいいなぁ。
ヒロイン(ブルック・アダムス)もよかったし、マーティン・シーンの迫力もすごかった。

デッド・ゾーンは原作が最高なのだ。おいらホラー苦手(というか無理)だけど、デッド・ゾーンはスティーブン・キング原作なのにむちゃくちゃ大好きだ。

デッド・ゾーンの持つ世界の矛盾(スティーブン・キングはそれもわかって書いている。だからすごい。)。
「エリアンダー・モーニングの犯罪」という作品を、この「デッド・ゾーン」つながりで知ったけど、これもいつか読みたい。ほんと、矛盾。相反する結論の出ない世界だ。

悲しい。愛しい。哀しい。それしか感じられなくなる。これ読んでると。

スティーブン・キングの他の作品は読んだことないけど、主人公のジョン・スミスがあまりに「普通」ないい人なんで、読んでて身につまされることこの上ないんだ。そういえば、原作で描写されるジョン・スミスの性格は「よきアメリカ人」としての善良さ。その陽性な(ある意味無垢な)人としての美しさ、健全さは、おいらが俳優ベネディクト・カンバーバッチ氏に(勝手に)感じているマナーとも通じるところがある。

恋人のサラの悲しさも。(ちなみに、彼女をより理解するには、原作を読んだ方がいい。)

二人の再会。サラが子どもつれてスミス家を訪問する場面は、どんな映画のラブシーンにも匹敵する美しい愛の場面だったと思う。
映画見ながら、原作の場面がずっとオーバーラップしてたおいらは、ちょっと行き過ぎかもしれんけど(苦笑)。

誰にも理解されない悲哀。誰にも共感されない孤独。
それでも世界を愛する孤独。それでも、世界には理解されないことを理解している悲哀。

おいらの中の(原作の)ジョン・スミスは、どちらかというともっとカンバーバッチ氏よりな陽性のイメージだったんだけど(だからこそ、そんなジョンが追い込まれていく終盤が辛かったんだが)、クリストファー・ウォーケン氏の底なしの悲しい瞳を見ていたら、何とも言えず「今、そこにある絶望」を感じて、からだまで痛くなりました。


そんな、崖っぷちの身を顧みず現実逃避した状態のおいらが、今見ているのは「八重の桜」。

テーマ音楽は坂本龍一氏。BGMは中島ノブユキ氏。なんだか、泣けてくる感じの(西洋的だけど)美しい音楽です。
きっとこれは見る。(平清盛もだらだらと「ながら見」はしてたが。)「人が生きている」作品だと感じたから。


ああ、Parade's End見たい。もう一度。

幾億、幾千万の、魂に安らぎを。
その一つ一つが、なんと愛しい、かけがえのないものだったか。

崖っぷちにもどります。おいらは基本鈍感。鈍くてよかった。
神様ありがとう。


追伸:ここ数日Cabin PressureのChristmas Special(Molokai)をエンドレスで聞きっぱなしです。。。なんか弱ってんなぁ・・・だらしねぇ(自戒)。
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