結論は出ないが、暫定的見解:
ぼくがここにいることも、ここで考えていることも、ともに確定した座標を持たない。
記憶とは、なんと不確定なものだろうか。本人にすら、それはとどめ置くことのできない、、、そうか、時は何もとどめられないんだ。一瞬を切り出そうとすれば、その速度は失われ、ぼくはどこにも存在しなくなる。あるいは、どこにでも存在する。(意味不明でごめん・・・)
BBCラジオドラマ「コペンハーゲン」を聴いて、あまりに哲学的な内容に、久しぶりに呆然とした。
自分の理解補完のために、以下の本を乱読中。
・「コペンハーゲン」マイケル・フレイン(著)小田島恒志(訳)
・「ハイゼンベルクの顕微鏡~不確定性原理は超えられるか」石井 茂(著)
・「そして世界に不確定性がもたらされた~ハイゼンベルクの物理学革命」デイヴィッド・リンドリー(著)阪本芳久(訳)
・「ハイゼンベルクの追憶」エリザベート・ハイゼンベルク(著)山崎 和夫(訳)
・「部分と全体~私の生涯の偉大な出会いと対話」湯川秀樹(序)・山崎和夫(訳)
「部分と全体」は読み始めたばっかり。なかなか手強そうなのと、内容楽しみなので、じっくり読むつもり。
そんなことより量子物理学勉強しろよ、と言われそうですが(苦笑)、それは保留(爆)。
ちなみに、ラジオドラマ「コペンハーゲン」は、マイケル・フレインのシナリオどおりじゃないんだね。各所に省略がある。追加もあるのかな。全部ちゃんと聴く時間がないので、ぼちぼち原作参照しながら吟味しよう。(いつまでかかることやら・・・)
おいらの頭は文系なので、今のところ「不確定性」についても、ハイゼンベルクが意図したのとは異なる(それはそれで世界に強烈な示唆を与えた)文系的解釈しかできないのですが、その概念もまたとても刺激的だ。人々は、ハイゼンベルクの生み出した概念のおかげで、世界の解釈についての大きな転換の機会を得たんだなぁ、と思う。(ああ、、、自分の言語能力の限界を感じる。)
でもね。BBCの「コペンハーゲン」でベネディクト・カンバーバッチ氏が明確に演じていたように、ある面意固地なくらい自説にこだわり、コミュ力高いとはとても言えないハイゼンベルクが、物語の中で見せる多面性(謙虚だったり、傲慢だったり、純真だったり、欺瞞に満ちていたり、策士のように見えたり、不器用に見えたり)からは、ほんと、いろいろなことを考えさせられる。
上記の本の中で、マイケル・フレインの「コペンハーゲン」の次においらが感嘆したのが、ハイゼンベルクの奥さんが書いた「ハイゼンベルクの追憶~非政治的人間の政治的生涯」だ。
フレインによる解説(「コペンハーゲン」の後書き)では「いかにも擁護する論調ですが、夫が世間に隠そうとしていた苦悩について明らかにしています。」と評価されている。
ちなみに、図書館に行ったら、サブカル?的な本「恋する天才科学者」(内田麻理香(著))というのもあって読んだのだが、そこでは、ハイゼンベルクはどうやら「人(特に女性)にもてなかった(嫌われていた)」という評価のようだった。
まぁ、ボーアの奥さんのマルグレーテにも敵意と言えるほどのダメ出しをされているのだが、前述の「ハイゼンベルクの追憶」を読むと、ハイゼンベルクは、ほぼ、悲劇の英雄にさえ見える、高潔な人物として描かれている。もちろん、奥さんは亭主(ハイゼンベルク)の名誉を回復したくてこの本を書いたのだから、それは当然なのだが、奥さんにこんな風に書いてもらえるなんて、ハイゼンベルクはものすごく幸せ者だったんだなぁ、と思うのである。(色々読んで、一番言いたいことがそれかよ、って感じですが、そうです(笑))
彼女の「結び」には、こう書かれている。(あまりに美しい表現で、はっきり言ってうらやましいので、以下に引用する。)
「科学者としてまた教師としての彼について述べることは、私にはふさわしくありません。彼はこの面に生涯最高の情熱をもって最も強く結びついていました。それについて彼は笑顔で確信をもって次のように言い切りました。「私は神の御業をその肩越しにかいま見ることを許されるという幸運を持てたんだよ」と―それで彼は十分でした。十分すぎるほどでした!そのことが、彼に大きな喜びを与え、この世で絶えずさらされていた悪意と誤解に対して、平静に対応し、正しい判断を失わせなかったところのものでした。」
(「ハイゼンベルクの追憶」エリザベート・ハイゼンベルク(著)山崎 和夫(訳)p.188)
この著作を見ると、その内容、構成、描写の仕方からも、彼女の聡明さがうかがえる。
ハイゼンベルクが、戦争終結時に、自転車で(!)家族の元へ駆けつけた時の、彼女の描写は以下の通りだ。最後が秀逸。
「確かにハイゼンベルクは彼の生涯において、全くむちゃくちゃとも見える危険に突入していったときが何度もありました。最も劇的だったのは、たぶん戦争の終結したあの当時のことでしょう。(中略)この道中で、彼は一人のSSの歩哨に見とがめられました。歩哨は、彼が国民総突撃から逃げ出してきたに違いないと、敵意をむき出しにして尋問しはじめたのでした。(中略)そこでハイゼンベルクは一計を案じ、前の晩偶然手に入れたアメリカ製の一箱の煙草をポケットから出して、それをSSの男にさし出しながら、「失礼ですが、多分あなたはもう長い間おいしい煙草を口にされたことがないでしょう。これを差し上げます。」というと、男は煙草をとりあげ、そしてハイゼンベルクを釈放したのです(彼が煙草をすわない男であった場合のことを考えて見ていただけるでしょうか。)」
(上述書、p.64)
奥さん、すごい。的確な突っ込み。
彼女がハイゼンベルクの欠点について書いているのは、おそらく一カ所。面白かった(ごめん)ので、それも以下に引用する。少し長いが、彼女の描写の鮮やかさに、夫への愛をひしひしと感じる。
「しかし、その前に恐らく、ハイゼンベルクの功名心とはそもそもどういう種類のものであったかについて、もう少し述べておくべきだと思います。功名心が強かったこと、それについては疑う余地はありません。すでに彼の学校時代、この功名心について、彼の最も若年の頃の通知簿の中で先生が長所として強調しています。(中略)同じように、父親は若いハイゼンベルクの功名心を意識的に助長しました。(中略)彼が私に語ったところによりますと、ギムナジウムの入り口の扉の上におよそ次のようなギリシア語のことわざが書いてあったのを見つけたときに、彼は非常に感動したのでした。そこには"汝がなすすべてに、常に最良を目ざし、努力せよ"とありました。彼は、これを自分の座右の銘にしようと決心しました。(中略)彼は色々な才能がありましたので、彼がやる気になったものには、全てに高度の能力を発揮しました―そしてそのことに、彼は喜びを感じました。
それ以外にハイゼンベルクは勤勉で、さらにほとんど信じられぬほどの精神的集中力を持っていました。彼は、自分に常に最高のものを求めました。それは、チェス、ピアノ、山のヴァンダールング、スキーなどもそうでしたし、彼は庭の花を摘み、それを大きな花瓶に活けるときにさえ、それに精神を集中し、注意深く行いました。彼の活けた花束は、色あざやかで生き生きとしていました。
私自身、ハイゼンベルクがこの功名心を家族の遊びの中に取り入れたときには、時には理解できなかったことがありました。彼の努力の背後に、ある種の素朴なエゴイズムが現れてくると、私はイライラしました。しかし、この功名心が個人的な優越性を誇示するものとは遙かにへだたったものであることは、常に全く明白でした。(中略)彼の功名心は、まさしく"名誉"に向けられているのではなく、それは全く虚飾のないものでした。」
(上述書、p.106)
結局のろけてる・・・お見事です。読めば読むほど、ハイゼンベルクがかっこよく思えてくる。(そう思ってる人が書いたんだから、当然か。)
これ、万が一、ハイゼンベルクが全部「いいかっこして奥さんに見せてた」としたら、逆に、あっぱれとすら思う。
いやはや。この本、大好きだ。こんな風に思う、思われることだけでも、奇跡のような人生だとすら、思う。
というわけで、とりあえず、活字に埋もれてる今日この頃。
崖っぷちにいるの、わかってんのか>自分。
ウイ、ムシュ。
崖っぷちで、もちっと踏ん張れ。一市民として。おいら自身のために。大切な人のために。
ハイゼンベルクの戦時中を思ったら、背筋がぞっとしました。
あの時代。あの世界。人々の心が、命が、試された、試練と言うにはあまりに大きな不幸。
恐ろしい時代。それも、人の心の産物。
いい作品だった。「コペンハーゲン」。
デンマーク・クッキー(コペンハーゲン(笑))食いながら、安穏と、そんなことを考えている自分に、少々イエローカード。
んでは、皆さん。長文陳謝。よい夢を。
ぼくがここにいることも、ここで考えていることも、ともに確定した座標を持たない。
記憶とは、なんと不確定なものだろうか。本人にすら、それはとどめ置くことのできない、、、そうか、時は何もとどめられないんだ。一瞬を切り出そうとすれば、その速度は失われ、ぼくはどこにも存在しなくなる。あるいは、どこにでも存在する。(意味不明でごめん・・・)
BBCラジオドラマ「コペンハーゲン」を聴いて、あまりに哲学的な内容に、久しぶりに呆然とした。
自分の理解補完のために、以下の本を乱読中。
・「コペンハーゲン」マイケル・フレイン(著)小田島恒志(訳)
・「ハイゼンベルクの顕微鏡~不確定性原理は超えられるか」石井 茂(著)
・「そして世界に不確定性がもたらされた~ハイゼンベルクの物理学革命」デイヴィッド・リンドリー(著)阪本芳久(訳)
・「ハイゼンベルクの追憶」エリザベート・ハイゼンベルク(著)山崎 和夫(訳)
・「部分と全体~私の生涯の偉大な出会いと対話」湯川秀樹(序)・山崎和夫(訳)
「部分と全体」は読み始めたばっかり。なかなか手強そうなのと、内容楽しみなので、じっくり読むつもり。
そんなことより量子物理学勉強しろよ、と言われそうですが(苦笑)、それは保留(爆)。
ちなみに、ラジオドラマ「コペンハーゲン」は、マイケル・フレインのシナリオどおりじゃないんだね。各所に省略がある。追加もあるのかな。全部ちゃんと聴く時間がないので、ぼちぼち原作参照しながら吟味しよう。(いつまでかかることやら・・・)
おいらの頭は文系なので、今のところ「不確定性」についても、ハイゼンベルクが意図したのとは異なる(それはそれで世界に強烈な示唆を与えた)文系的解釈しかできないのですが、その概念もまたとても刺激的だ。人々は、ハイゼンベルクの生み出した概念のおかげで、世界の解釈についての大きな転換の機会を得たんだなぁ、と思う。(ああ、、、自分の言語能力の限界を感じる。)
でもね。BBCの「コペンハーゲン」でベネディクト・カンバーバッチ氏が明確に演じていたように、ある面意固地なくらい自説にこだわり、コミュ力高いとはとても言えないハイゼンベルクが、物語の中で見せる多面性(謙虚だったり、傲慢だったり、純真だったり、欺瞞に満ちていたり、策士のように見えたり、不器用に見えたり)からは、ほんと、いろいろなことを考えさせられる。
上記の本の中で、マイケル・フレインの「コペンハーゲン」の次においらが感嘆したのが、ハイゼンベルクの奥さんが書いた「ハイゼンベルクの追憶~非政治的人間の政治的生涯」だ。
フレインによる解説(「コペンハーゲン」の後書き)では「いかにも擁護する論調ですが、夫が世間に隠そうとしていた苦悩について明らかにしています。」と評価されている。
ちなみに、図書館に行ったら、サブカル?的な本「恋する天才科学者」(内田麻理香(著))というのもあって読んだのだが、そこでは、ハイゼンベルクはどうやら「人(特に女性)にもてなかった(嫌われていた)」という評価のようだった。
まぁ、ボーアの奥さんのマルグレーテにも敵意と言えるほどのダメ出しをされているのだが、前述の「ハイゼンベルクの追憶」を読むと、ハイゼンベルクは、ほぼ、悲劇の英雄にさえ見える、高潔な人物として描かれている。もちろん、奥さんは亭主(ハイゼンベルク)の名誉を回復したくてこの本を書いたのだから、それは当然なのだが、奥さんにこんな風に書いてもらえるなんて、ハイゼンベルクはものすごく幸せ者だったんだなぁ、と思うのである。(色々読んで、一番言いたいことがそれかよ、って感じですが、そうです(笑))
彼女の「結び」には、こう書かれている。(あまりに美しい表現で、はっきり言ってうらやましいので、以下に引用する。)
「科学者としてまた教師としての彼について述べることは、私にはふさわしくありません。彼はこの面に生涯最高の情熱をもって最も強く結びついていました。それについて彼は笑顔で確信をもって次のように言い切りました。「私は神の御業をその肩越しにかいま見ることを許されるという幸運を持てたんだよ」と―それで彼は十分でした。十分すぎるほどでした!そのことが、彼に大きな喜びを与え、この世で絶えずさらされていた悪意と誤解に対して、平静に対応し、正しい判断を失わせなかったところのものでした。」
(「ハイゼンベルクの追憶」エリザベート・ハイゼンベルク(著)山崎 和夫(訳)p.188)
この著作を見ると、その内容、構成、描写の仕方からも、彼女の聡明さがうかがえる。
ハイゼンベルクが、戦争終結時に、自転車で(!)家族の元へ駆けつけた時の、彼女の描写は以下の通りだ。最後が秀逸。
「確かにハイゼンベルクは彼の生涯において、全くむちゃくちゃとも見える危険に突入していったときが何度もありました。最も劇的だったのは、たぶん戦争の終結したあの当時のことでしょう。(中略)この道中で、彼は一人のSSの歩哨に見とがめられました。歩哨は、彼が国民総突撃から逃げ出してきたに違いないと、敵意をむき出しにして尋問しはじめたのでした。(中略)そこでハイゼンベルクは一計を案じ、前の晩偶然手に入れたアメリカ製の一箱の煙草をポケットから出して、それをSSの男にさし出しながら、「失礼ですが、多分あなたはもう長い間おいしい煙草を口にされたことがないでしょう。これを差し上げます。」というと、男は煙草をとりあげ、そしてハイゼンベルクを釈放したのです(彼が煙草をすわない男であった場合のことを考えて見ていただけるでしょうか。)」
(上述書、p.64)
奥さん、すごい。的確な突っ込み。
彼女がハイゼンベルクの欠点について書いているのは、おそらく一カ所。面白かった(ごめん)ので、それも以下に引用する。少し長いが、彼女の描写の鮮やかさに、夫への愛をひしひしと感じる。
「しかし、その前に恐らく、ハイゼンベルクの功名心とはそもそもどういう種類のものであったかについて、もう少し述べておくべきだと思います。功名心が強かったこと、それについては疑う余地はありません。すでに彼の学校時代、この功名心について、彼の最も若年の頃の通知簿の中で先生が長所として強調しています。(中略)同じように、父親は若いハイゼンベルクの功名心を意識的に助長しました。(中略)彼が私に語ったところによりますと、ギムナジウムの入り口の扉の上におよそ次のようなギリシア語のことわざが書いてあったのを見つけたときに、彼は非常に感動したのでした。そこには"汝がなすすべてに、常に最良を目ざし、努力せよ"とありました。彼は、これを自分の座右の銘にしようと決心しました。(中略)彼は色々な才能がありましたので、彼がやる気になったものには、全てに高度の能力を発揮しました―そしてそのことに、彼は喜びを感じました。
それ以外にハイゼンベルクは勤勉で、さらにほとんど信じられぬほどの精神的集中力を持っていました。彼は、自分に常に最高のものを求めました。それは、チェス、ピアノ、山のヴァンダールング、スキーなどもそうでしたし、彼は庭の花を摘み、それを大きな花瓶に活けるときにさえ、それに精神を集中し、注意深く行いました。彼の活けた花束は、色あざやかで生き生きとしていました。
私自身、ハイゼンベルクがこの功名心を家族の遊びの中に取り入れたときには、時には理解できなかったことがありました。彼の努力の背後に、ある種の素朴なエゴイズムが現れてくると、私はイライラしました。しかし、この功名心が個人的な優越性を誇示するものとは遙かにへだたったものであることは、常に全く明白でした。(中略)彼の功名心は、まさしく"名誉"に向けられているのではなく、それは全く虚飾のないものでした。」
(上述書、p.106)
結局のろけてる・・・お見事です。読めば読むほど、ハイゼンベルクがかっこよく思えてくる。(そう思ってる人が書いたんだから、当然か。)
これ、万が一、ハイゼンベルクが全部「いいかっこして奥さんに見せてた」としたら、逆に、あっぱれとすら思う。
いやはや。この本、大好きだ。こんな風に思う、思われることだけでも、奇跡のような人生だとすら、思う。
というわけで、とりあえず、活字に埋もれてる今日この頃。
崖っぷちにいるの、わかってんのか>自分。
ウイ、ムシュ。
崖っぷちで、もちっと踏ん張れ。一市民として。おいら自身のために。大切な人のために。
ハイゼンベルクの戦時中を思ったら、背筋がぞっとしました。
あの時代。あの世界。人々の心が、命が、試された、試練と言うにはあまりに大きな不幸。
恐ろしい時代。それも、人の心の産物。
いい作品だった。「コペンハーゲン」。
デンマーク・クッキー(コペンハーゲン(笑))食いながら、安穏と、そんなことを考えている自分に、少々イエローカード。
んでは、皆さん。長文陳謝。よい夢を。