今回の史上最悪にもなる大災害において、各地の避難所の光景がTVで映し出される中、明らかな差異として気づいたことがあります。
それは学校や公民館などに準備された「公的避難所」での人々の表情と、そうではなく、そうした公的な援助が及ばないお寺や有志が提供する「自主的避難所」での人々の表情に明らかな違いがあるということです。後者の人々からは、TVの前のせいということを差し引いても、笑顔や笑い声が満ちあふれているかのように見えます。
もちろん、顔見知り同士がお寺などに避難して「共同生活」を始めたせいもあるでしょうが、それなら、公的な避難所の人々も多かれ少なかれ、地域の人々の集合ですから、そのような光景を見ることがあっても不思議ではありません。しかし、それがあまり見えません。
これは一体何故なのだろうか?
実は、この2つの光景の差異の中には、社会構成体の歴史的な変容過程に関わる要素が絡んでいるのではないかと思います。
それを単純に図示してみます。(Gooブログでは縦線がうまく表示できないので乱れております。ご了承下さい。)
自由
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近代国家社会 | 自主避難所
(商品交換) | (互恵・互酬)
|
不平等---------------平等
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前近代社会 | 公的避難所
(略奪と配分) | (贈与)
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拘束(不自由)
自主避難所では、公的な支援が及ばなかったが故に、人々が役割分担して助け合って様々な工夫をこらしながら生活しておりました。例えば、自作の五右衛門風呂のようなものを作ったり、体力が必要な男手にはカロリーの高い食べ物を優先的に与えるなど。
そのことが人々の気持ちを和ませ一体化すると同時に、古き良き時代への懐古の念まで図らずも引き出し、その心地よさが、大災害の渦中においても人々の気持ちを解き放して、あのような笑い声になっていたのではないかと思います。
古き良き時代とは、例えば、江戸時代のように同じ長屋の人々が、ちょっと醤油が足らないからと言って、お隣から借りる(貰う)といった、融通し助け合う関係があった時代ですね。戦後の日本社会でもまだその風潮は残っておりました。例えば、筆者の子供時代でも、お隣やご近所に上がり込んで食べ物を腹一杯貰ったり、寝泊まりすることなど度々ありました。
今、お互いに助け合おうという気持ちが日本人の中にかつてなく盛り上がっております。これを推し進めれば、これまでの社会(国家間の抗争が絶えない、貨幣の価値に重きを置きすぎた社会)から脱却する道筋までも見える気がします。
しかし、ことはそう単純には進行しないでしょう。元の秩序に復元する力が大きく働くに違いありません。ガソリン1つとっても、国家・政府の関与なくしては自主避難所の人々には行き渡りません。
それにしても、本来、社会はこのようにあるべきではないかとの思いを少しでも感じさせることが出来たこと1点だけでも、今回の大災害の意味があったと言えそうです。
それは学校や公民館などに準備された「公的避難所」での人々の表情と、そうではなく、そうした公的な援助が及ばないお寺や有志が提供する「自主的避難所」での人々の表情に明らかな違いがあるということです。後者の人々からは、TVの前のせいということを差し引いても、笑顔や笑い声が満ちあふれているかのように見えます。
もちろん、顔見知り同士がお寺などに避難して「共同生活」を始めたせいもあるでしょうが、それなら、公的な避難所の人々も多かれ少なかれ、地域の人々の集合ですから、そのような光景を見ることがあっても不思議ではありません。しかし、それがあまり見えません。
これは一体何故なのだろうか?
実は、この2つの光景の差異の中には、社会構成体の歴史的な変容過程に関わる要素が絡んでいるのではないかと思います。
それを単純に図示してみます。(Gooブログでは縦線がうまく表示できないので乱れております。ご了承下さい。)
自由
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近代国家社会 | 自主避難所
(商品交換) | (互恵・互酬)
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不平等---------------平等
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前近代社会 | 公的避難所
(略奪と配分) | (贈与)
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拘束(不自由)
自主避難所では、公的な支援が及ばなかったが故に、人々が役割分担して助け合って様々な工夫をこらしながら生活しておりました。例えば、自作の五右衛門風呂のようなものを作ったり、体力が必要な男手にはカロリーの高い食べ物を優先的に与えるなど。
そのことが人々の気持ちを和ませ一体化すると同時に、古き良き時代への懐古の念まで図らずも引き出し、その心地よさが、大災害の渦中においても人々の気持ちを解き放して、あのような笑い声になっていたのではないかと思います。
古き良き時代とは、例えば、江戸時代のように同じ長屋の人々が、ちょっと醤油が足らないからと言って、お隣から借りる(貰う)といった、融通し助け合う関係があった時代ですね。戦後の日本社会でもまだその風潮は残っておりました。例えば、筆者の子供時代でも、お隣やご近所に上がり込んで食べ物を腹一杯貰ったり、寝泊まりすることなど度々ありました。
今、お互いに助け合おうという気持ちが日本人の中にかつてなく盛り上がっております。これを推し進めれば、これまでの社会(国家間の抗争が絶えない、貨幣の価値に重きを置きすぎた社会)から脱却する道筋までも見える気がします。
しかし、ことはそう単純には進行しないでしょう。元の秩序に復元する力が大きく働くに違いありません。ガソリン1つとっても、国家・政府の関与なくしては自主避難所の人々には行き渡りません。
それにしても、本来、社会はこのようにあるべきではないかとの思いを少しでも感じさせることが出来たこと1点だけでも、今回の大災害の意味があったと言えそうです。