ウード奏者 松尾 賢 のブログ(アラディーン主宰者)

ウード奏者、ダラブッカ奏者、サズ奏者、歌手、アラブ、トルコのオリエンタル音楽演奏家・作曲家である松尾賢のブログ。

芸術の意味について考えたこと

2007-04-20 02:25:00 | 音楽
大学受験の際、自分は進路について相当悩みました。

で、結局、小さい頃から好きだった「絵」の道を専攻してみようと、地元の大学の教育学部の美術科に入学し、絵画に音楽に、と非常に忙しく、そして充実した日々を過ごしのですが、

大学卒業のときに、また進路に悩みました。

地元で、教師になるか、どうするか?

で、これまたJazzの専門学校に入り、今の音楽活動の基礎を固め、

さまざまな職を経て、現在も音楽の道で食うべく現在進行中です。

何でこんなことを書いているかというと、芸術の意味について、マイミクの方の日記を読んで、ハタと思ったことがあったからです。

その方の日記に、

「芸術は役に立たない」

見たいな事が書かれていたのですが、もちろんそれは、その言葉通りのことではなく、きっと

「実用面や生活するうえで、お金を稼ぐとか、財産を運用するとか、世間一般で『生活に役立つこと』には役に立たない」

ということを言われているわけです。

実は、大学時代、絵を存分に描きたい一心で、私が在学中に設立された大学院に入学してきた現役中学校美術教師が、同様のことをよく言ってました。

「美術なんか受験に役に立たない」

から、中学校では肩身の狭い思いをする、との事。

(↑そんなこと、お前にいわれなくても知ってるワイ!!)

確かに、お金に関する実用的な意味での「役に立たない」というのは当たっていると思いますが、(中には凄く稼いでいる人もいますが)

人生を楽しく生きる友人として、音楽や、絵画、映画、小説、etc は「必要不可欠」だと、私は思います。

いや、世界中の大多数の人は、意識的にしろ、無意識的にしろ、そう思っているはずです。

そういった意味で、生きるという根底の次元から見れば、

「芸術は、楽しく生きる為に非常に役に立つもの」

だと思います。

実は、最近、やっとそういう風に、音楽や芸術に対して「確信」が持てるようになったのです。

芸術活動全般は、ある意味、非常に無駄な労力とエネルギー、はたまた膨大なお金まで使ってしまいます。

ビジネスという視点から見ると、大失敗だとしか思えない事の方が多々あります。

それにも拘らず、芸術で大成した人々に、多くの人は心を魅かれ、その域を目指し、そして近づこうとする。

それはやっぱり、みんな芸術を欲しているからなんだと思います。

つまり、芸術って、生きることの表現が凝縮されているということなんだと思います。

もちろん、芸術と称して、無意味な表現や、陳腐な内容のものもありますが、(アヴァンギャルドとかその辺・・・。もちろん、好きにはなれませんけども、そういうものの存在意義とか理解できますが、)

私が最も価値を置く芸術とは、

「生きることを鼓舞し、人生に多大な感動を与えるもの」

ですね、やっぱり。

それが事実上起きたり、存在するのですから「芸術は役に立たない」なんて不毛な論議だと思えます。

無意味なものを「芸術だ!!」といって価値あるように誤魔化すのではなく、正攻法で価値あるものを生み出していきたい。

いずれにしろ、簡単ではないですが、見に来てくれる方々が「あぁ面白かった!!また来たいね!」みたいに、楽しそうに帰っていくショーを作って行きたいですね。