ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

弟、日本時間で50才!

2010年12月09日 | 家族とわたし
とうとう弟まで50の大台に乗った。

こんな可愛かった子が……。


四条畷の日本家屋を借りて住んでいた。
その家の周りは板塀で囲まれていて、晴れた日などは、その板からコールタールの強い匂いがした。
その家の門から外に出た途端、わたしは近所のある男の子から砂をかけられた。毎日毎日かけられた。

弟が小児ぜんそくを発症したので、両親は空気のきれいな三重県に引っ越した。父方の親戚が多く暮らしていた。
まだ住宅地として開拓途中の、小高い丘の上の角っこに建てられた新築の家。家の敷地はお城の堀のような巨大な岩が積まれた上にあった。


庭に芝が植えられるまで、砂遊び天国だった。
あんまり可愛かったので、ついつい叩いてしまう姉にしょっちゅう泣かされていた。
泣き止むとすっかり忘れて、満面の笑顔を浮かべながら寄ってきては、また叩かれて泣いていた。

いろんなことが度重なっても、それでもとりあえず弟は道を外し切らなかったけど、我が道を生き始めた姉が突然「結婚する!」などと言い出し、慌てた父が「家族最後の旅行だ」と九州旅行を敢行し、彼はこの旅行中、見事にずうっとふてくされていた。



父の行き当たりばったりの言動がたくさんの災いを招き、中でも弟は息子として、同性として、その渦の中に巻き込まれることが多かった。
成人する前に、すでにあらゆる金融機関のブラックリストに名前が入っていて、それはすべて、彼の知らぬ間の知らぬ事情の上のことだった。
だから彼は、大人になって社会に出ても、いろんなことが面倒だったり難しかったりした。
けれども、とりあえず職場を得ると、それがどんな職種のものであろうと、こつこつ真面目に働き、いつも目をかけてもらい、それなりの責任のある位置に立つ。

でもなあ、あんたももう50や。今の仕事を続けていくのは辛ないか?
震災で職場のビルが倒壊して、次の仕事までのつなぎのつもりで入った建築業。
重たいもん運んだり、危ない場所で力仕事したり、暑い日も寒い日も外仕事やったり。
今年はへんなもんが皮膚にできて手術したり、熱中症で倒れたり、ちょっと若い頃とはいろいろ違てきた。

「こんな時期やから、仕事があるだけでもなんぼかマシや」って言うて、毎日毎日休まんと頑張ってるあんた。

毎晩祈ってるで。無事に、元気に、一日を過ごしていけるよう。

誕生日おめでとう!


追記

おめでとうの電話をかけた。どういうわけか、日本は土曜日だと思い込んでいた。
それで電話をかけたらきっといると思って、けれども留守電だったのでがっかりして、せっかくなので『Happy Birthday to you』の歌を吹き込んでおいた。
電話を切ってから、あ、今日はまだ日本は金曜日やったと気がついた。
しかも、もし土曜日だったとしても、弟は仕事があると思い出した。
まぬけなわたしの歌が、弟の留守電のテープにしっかりと残ってしまった。
コメント (9)
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