ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

RIPE!

2010年12月10日 | 友達とわたし


大人生徒のトムの奥さんアレクサは、プロフェッショナルの写真家です。
今回、彼女の20年間をかけたプロジェクト、臨月の女性ばかりのオールヌードの写真集の、完成出版披露パーティがありました。
撮影場所はもうほんとにいろいろ。
マンハッタンの街のど真ん中であったり、トウモロコシ畑だったり、階段や橋の上だったり、海だったり山だったり。
公共の場所の場合、サッと脱いでパッと撮らなければ通報されてしまうので、ギリギリまでコートで隠し、いきなり脱いで撮影したりしたそうです。
皆さん一般の家庭のお母さん。働いている人もあり、家事専門の人もあり、初めての子供だったり、何人目かだったり。

パーティは、モントクレアの町の中心にあるロフトで行われました。



彼女の20年の思いがこもった本。わたしも一冊。


隠れて撮ったのでボケボケですが、右側の男性が生徒のトム。この夏からヒゲを伸ばしています。


いろんなパーティに使われているロフト。
 

往年のモデルさん達、勢揃い!


アレクサは前列中央のショットカットの女性。とても気さくで楽しい人です。
「あなた達の勇気と協力無しでは、この本はこの世に生まれていなかった」そうしみじみと語りながら、皆に感謝の気持ちを伝えるアレクサ。


おめでとうアレクサ!


パーティの帰り道、「わたしも拓人がお腹におった時は撮ったなあ、写真」とふと思い出して言うと、「え?誰に撮ってもらったん?」と旦那。
「もち、Tさん(元旦那)」
「ふ~ん……ボクの知らんまうみや……」
旦那が見たことのない世界で生きていたわたしと、わたしのお腹の中で大きくなった拓人と恭平。
妊婦だったわたしも、赤ちゃんだった息子達も、旦那には想像の世界の存在でしかありません。
そのことが妙にその時、強く感じられて、少しだけ淋しく、少しだけ哀しくなりました。
でもまあ、それでもわたし達は家族です。
一緒に長い時間、同じ家の屋根の下で暮らした、正真正銘の家族です。
その時間と、お互いの心の交錯と、共に感じた喜怒哀楽の量は、それをちゃんと証明してくれます。
たとえ、『RIPE』のような証明が無いとしても。


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もち食いてぇ~!

2010年12月10日 | 家族とわたし
いきなり餅が食べたくなった恭平。
さっさと餅米を炊き始めました。

炊けた餅米をボールにあけて、よいしょ、こらしょ、餅つきの始まりです。
どんな顔しとんねんっ?あんたはナマハゲの鬼か?


こういうことはしたくなる旦那。
「ちゃんと爪楊枝も写してや」って……どういうノリのモデルやねん?


わたしは手抜きの善哉作り。


丸めたできたてのお餅をいっぱい入れていただきました。ごちそうさん!
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私には敵はいない

2010年12月10日 | 世界とわたし
『ノーベル平和賞の授賞式で代読された劉暁波氏の文章』より抜粋します。

『私には敵はおらず、憎しみもない。
私を監視、逮捕した警察も検察も、判事も誰も敵ではないのだ。
私は、自分の境遇を乗り越えて国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思う。

私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれている。
いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずだ。
私はこうした進歩が本件の審理でも体現され法廷が公正な裁決を下すと期待している――歴史の検証に耐えうる裁決を。

私は私の国が自由に表現できる大地であってほしいと思う。
そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、共存できる。
多数意見と少数意見が平等の保障を得て、権力を担う者と異なる政治的見解も十分な尊重と保護を得ることができる。
すべての国民が何のおそれもなく政治的な意見を発表し、迫害を受けたりしない。

私は期待する。
私が中国で綿々と続いてきた言論による投獄の最後の被害者になることを。
表現の自由は人権の基であり、人間らしさの源であり、真理の母である。
言論の自由を封殺することは人権を踏みにじることであり、人間らしさを窒息させることであり、真理を抑圧することである。

憲法によって付与された言論の自由を実践するためには、公民としての社会責任を果たさねばならない。
私がしてきたことは罪ではない。罪に問われても、恨みはない』



『ノーベル賞』についても、ウィキペディアから少し。

『ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞のことである。
ノーベル賞は1895年に創設され、1901年に初めて授与式が行われた。
一方、ノーベル経済学賞と一般に言われているアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞は、1968年に設立され、1969年に初めての授与が行われた。

ノーベルは遺言に、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする。」と残している。

彼自身がこの賞を設立したわけではなく、またノーベル賞という名称を考案したわけでもないが、後に『ノーベル賞』して知られるようになる。
『物理学賞』『化学賞』『生理学・医学賞』『文学賞』『平和賞』『経済学賞』(正式にはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)の六部門。
 
授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に行われる』



いろんな物事には、善し悪しがあり、特に多くの人が関わっている物事には、完璧なものというのは存在しません。
それぞれの思惑があり、それぞれの願いがあり、それぞれの祈りがある限り、そこには数えきれないほどの異なる心が存在するからです。
でも、だからこそ尊い、だからこそ意義がある、だからこそおもしろい。わたしはそう思っています。
そこに、ドロドロとした利害観念や、歪んだ宗教観や、愚かしいプライド争いなどを絡ませる阿呆どもよ、あなた方はいったい、どこまで阿呆なのですか?
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