JOHN and I are in our Dakota kitchen in the middle of the night. Three cats ― Sasha, Micha and Charo ― are looking up at John, who is making tea for us two.
Sasha is all white, Micha is all black. They are both gorgeous, classy Persian cats. Charo, on the other hand, is a mutt. John used to have a special love for Charo. “You’ve got a funny face, Charo!” he would say, and pat her.
“Yoko, Yoko, you’re supposed to first put the tea bags in, and then the hot water.” John took the role of the tea maker, for being English. So I gave up doing it.
It was nice to be up in the middle of the night, when there was no sound in the house, and sip the tea John would make. One night, however, John said: “I was talking to Aunt Mimi this afternoon and she says you are supposed to put the hot water in first. Then the tea bag. I could swear she taught me to put the tea bag in first, but ...”
“So all this time, we were doing it wrong?”
“Yeah ...”
We both cracked up. That was in 1980. Neither of us knew that it was to be the last year of our life together.
今朝のニューヨーク・タイムズに、ヨーコ・オノさんのエッセイが載っていた。
ジョン・レノンとヨーコ・オノ。彼らは本当に強い絆で結ばれていた。
読んでいて、胸がじーんとしたので、そのうちの半分だけをここに転載させてもらった。わたしの勝手な訳と一緒に。
『ジョンとわたしは、ある真夜中に、ダコタハウスのわたし達の家のキッチンに居る。
足元には、Sashaという名の真っ白い猫と、Michaという名の真っ黒い猫、そしてCharoという名の猫が、わたし達のお茶を作る
ジョンのことをじっと見上げている。
SashaとMichaは、上品で美しいペルシャ猫。それに対してCharoは、ちょっとまぬけな変な顔をした猫だ。
けれどもジョンはとりわけこのCharoを可愛がっていて、「おまえはほんとに変な顔してるよなあ」と言っては彼女を優しく撫でる。
「ヨーコ、ヨーコ、あのね、お茶を作る時はね、まずティーバッグをカップの中に入れて、それからそこにお湯を注がなきゃいけないんだよ」
イギリス人として、お茶係として、彼は頑としてきかない。なのでわたしはあきらめて、彼に従うことにした。
真夜中に起きて、ジョンとふたりでお茶を飲むことが好きだった。ふたりの周りにはしんとした静けさだけがあり、時折ジョンがお茶を啜る音が聞こえた。
そんなある夜中に、ジョンがこんなことを言った。
「今日の午後に、ミミおばさんと話してたらさ、『ジョン、お茶を作る時はまずお湯をカップに注いで、それからティーバッグを入れるのよ』って言うんだ。神様に誓ってもいい。ティーバッグを先に入れろって教えてくれたのは他の誰でもない、彼女だったんだから。でも……」
「そう……ってことはジョン、今までわたし達ずっと、間違ったことしてたわけ?」
「うん……」
その後ジョンとわたしはふたりでバカ笑いした。それは1980年の夜だった。そしてわたし達のどちらもその年が、互いに愛し合い楽しみ合いながら暮らす最後の年になることを知らなかった』
わたしはビートルズを知らずに大人になった。
知っていて当然の時代に生まれ育ったのに、クラシック以外の音楽に興味も関わっている時間も無かった。
高校時代に、ブラスバンドでビートルズのメドレーなどを演奏するようになり、メロディやコードは耳に入ってきたけれど、それでも言葉は知らないままだった。
すっかり大人になってから、やっと彼らの言葉を音楽と一緒に聞く機会を得た。
けれども英語恐怖症にかかっていたので、歌詞を読んでみようか、などという気はてんで無かった。
子供が生まれ、親になり、引き継がれる世界の行き先を案じ始めてから、急にジョンの歌が胸に届いた。
彼の言葉はストレートで、飾り物が無く、だからといって無理強いもしない。
いつだって物事の真実を歌っていた。
彼が男に撃たれて死んだ時、撃った男はジョンの遺体の横に座り込み、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでおり、ジョン殺害について「『ライ麦畑でつかまえて』を読めば、すぐに分かるよ」という興味深い供述を残している。
彼は死んでもなお、たくさんの人達の心の中に生き、平和への願いを歌い続けている。
もうあの日から30年も経ったなんて信じられないほど鮮やかに、世界にその歌声を響かせている。
またあそこに行きたくなった。
とても寒くなったけど、行ってこよう。花を一輪持って。