ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

応援しようよスコップ団!

2011年07月11日 | 日本とわたし
どうせ地球のチリだからな。『スコップ団』了くんのブログより。

スコップ団という名前を知ってますか?

前略

『俺たちが動いたって、世界がビクともしねぇ事は知ってる。
だけど、誰かの世界は変えられる。

俺たちがやってることなんて、所詮、表面的な事だと思う。
傷口にカットバンを貼るようなもんだ。
でも「やろう!」とか「もう少し生きよう!」とかのやる気が一番大事だと思うんだ。

俺たちは掃除屋じゃない。
家具やらを運び出して、思い出のモノを探し出して、パッと見だけでも何もなかったようにする。
そうすりゃ、やる気も湧くってもんじゃないか。
解決なんて出来ないよ、俺たちは。

やる気を出させること。
それが復興への第一歩だと思う。
やる気って、一番大事なんだよ』


中略

『3月14日。
まだ、そう言えば誰にもバレンタインデーのお返しをしていない。
何も買えなかった。
お金なんて、何の意味もないと思った。

何度も泣いて。
何度も吐いた。

バイクで夜中、東松島まで裏道を通って走った。
田んぼやガードレールに、人がいっぱいいた。怖かった。絶望しかなかった。
夜は、こんなに暗いのかと怖かった。
荒井、蒲生、全部が戦争の直後みたいで、本当に絶望しかなかった。
俺はもう、本当に日本は終わったんだと思ったし、どうしたらいいのかサッパリ分からなかったよ』

今度の土日。
日曜日だけでもいい。
力を貸してください。
どうか、名前はダッサイけど、スコップ団に力を貸してください。
赤ちゃんを探す。
見つけたら、すぐに警察に電話する。
その間、ほかの家の希望の光は俺たちの作業です。
新たに要請も来ました。
人手が足りません。
優しくて力持ち。
ゴチャゴチャうるせぇ奴はいらん。
とにかく、パッと見だけでもキレイにして、元気を出してもらうだけの薄っぺらい団体です。
でもいつか、俺は本気でドラゴンボールを集めに行きます。
よろしくお願いします。

ヘイ、スコップ団。
頑張ろう。
俺は今、超強いよ。
納得の行くまで探したという事実が、もしかしたら絶望からその家族をスクウかもしれん。
ダンプが間に合うように。
無事にダンプが仙台に到着するように、祈って待っててよ。

たこやき食べてくるけども。
グリコの前で、写真も撮るだろうけども。
京都で、舞妓HAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAANって叫ぶだろうけども。

待っててくれよ。
スコップ団プと俺たちの帰りをさ。

端から片づけてやろう。
偉い奴らはあてにならん。
周りの言う事も気にしねぇ。

俺たちのやり方で、希望の光となろうじゃねぇかよ。
それが一番だ。


この了くんの気持ちに添う若者がいる。支える実年がいる。
彼らは、汚泥や瓦礫に埋もれた家に行き、手でひとつずつ運び出し、泥を流し、暮らしの品々を丁寧に清め、
もし望まれるなら、まだどこかで埋もれているであろう、行方のわからないままの家族を見つけ出すまで諦めずに探す。

彼は言う。

俺たちが動いたって、世界がビクともしねぇ事は知ってる。
だけど、誰かの世界は変えられる。

俺たちがやってることなんて、所詮、表面的な事だと思う。
傷口にカットバンを貼るようなもんだ。
でも「やろう!」とか「もう少し生きよう!」とかのやる気が一番大事だと思うんだ。


わたしは彼のブログに出会い、彼という存在を知り、彼が彼自身を薄っぺらと言うのなら、ならばわたしはいったいなんなんだと恥じた。
それと同時に、心からありがとうと、彼に直接お礼を言いたくなった。

どうか、薄っぺらを通り越して、透明に近い役立たずのわたしからの、厚かましいお願いです。
彼を手伝ってあげてください!

SCHOP-DAN(スコップ団事務局のブログ)
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セブン・イレブン

2011年07月11日 | 友達とわたし
突然ですが寿司です。


一時期、寿司職人になろうかどうか、真剣に悩んだほどにバイトに打ち込んだ息子が、ガールフレンドと自分のための夕食に作りました。
すし飯はわたくしオカンの係。そのかわり、食べきれずに残ったのをおこぼれでいただきぃ~っと!

さて、今日はいろいろと初めてのことが続きました。

朝から、この夏からピアノを始めたいという女の子の家に行き、出張レッスンをしました。
ピアノ教師として行っている手前、さすがに写真は撮れなかったのだけど、とんでもないお金持ちで、家の奥にまでなかなか到達しない、というか、どこが突き当たりやねん!という家を、初めて体験しました。
どの部屋もめちゃくちゃ大きくて、外側の壁が総ガラスで、それが延々と続いていて、遠くに見える裏庭も石の階段やらなんやら……。
この世では、人々はそれぞれ、いろんな世界で暮らしている……しみじみと感じた1時間でした。

そしてその後すぐに気功のクラスに行き、おへそで陰陽の太極図を描く動作を習い、アメリカの錠剤好きを嘆きながら皆にさよならをし、

大急ぎで、わたしを待ってくれているふみちゃんとさわちゃんの居る、家の近くのスタバに直行しました。
さわちゃんとは今日が初めてのご対面!同じくピアノの先生で、8才のお嬢さんのお母さんで、米国人夫持ち。
話す事が多過ぎて、楽し過ぎて、気がつくとコーヒー一杯で3時間半?!ぎょへ~?!
ふたりが通っている隣町のフィットネスクラブが、一ヶ月20ドルで、どのクラスもやり放題!らしくて、
わたしもそれなら、ヨガなんかをやりに一緒に行きたい!……けど、笑たらあかんで!と釘を差したのでした。

茗荷と蕗とニラをあげよう、と、涙がちょちょぎれるような嬉しいことを言ってくれるふみちゃんの家まで行っていただいてきました!

う~ん、茗荷ってこんなふうになってたんだわ~……うっとり……。


上の方はこんな感じ。なんとなく笹みたいにも見えます。


畑にお引っ越し。


なぜか、松ぼっくりの赤ちゃんがこんな姿に……いったい何と勘違いしたのやら……。


お仕事の見張り番。


今日は7.11. セブン・イレブンで、かき氷がタダでもらえる日なのだそうです。


で、息子と、息子のガールフレンドと旧友リンジーが意気揚々と出かけたところ、


もうすっかり品切れで、息子達と同じ目的でやってきた人達が、がっかりして電話をかけている様子を撮ってきてくれました。
ちなみに、無料のかき氷、量は7.11オンス、210ミリリットル、なのだそうです。

などと、こちらで能天気に過ごしている今日は、東北大震災から丁度4ヶ月目の月命日にあたる日でした。
わたしはまた、亡くなった方々の名簿を読ませていただきながら、心に固く誓いました。

残されたわたし達が、平安に暮らせること。
その暮らしがあってこそ、命を失われた方々の供養もきちんとできるはず。
いくら復興復興と声高に叫んでも、空気と水と大地が汚染され続けている間はそれもままならない。
その地に入り、その地に残って生きることは、さまざまな形で汚染を覚悟しなければならないことになる。
なんでこんなことになったのか。
いくら悔やんでも悔やみきれないけれど、もう起きてしまったことは仕方が無いし消すこともできない。
なかったことにできないのなら、今後もう二度と、同じ事が起こらないように、せめてそれぐらいはできる大人の国であって欲しい。
そのことを、わたし達がはっきりと声にできるまで、絶対にあきらめない、やめない。
いつか息子達に別れを告げなければならない日が来た時、「かんにんやったなあ」などと言って謝らなくてもいいように。
コメント (2)
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