ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

静かな湖畔の森のかげから

2011年07月20日 | ひとりごと
もう起きちゃいかがとカッコウが鳴く~♪

ええと、明日の朝6時起床(多分旦那に叩き起こされて)、カナダを目指して出発します。
乗って5分も経たへんうちに喧嘩が始まる旦那とわたしが、とりあえず協力し合うて、まずモントリオールを目指し、そっからまた2時間ちょっと離れた山奥の湖畔まで運転します。

さて、6日間も家を離れるので、留守を頼むべく、息子にいろいろとお願いをしました。
野菜の水やりと家猫の世話。
どちらも言葉を口にできない生き物ばかり。
なので、気を抜かないで、しっかりとやって欲しい、と頼みました。

毎日1~2本、みるみるおっきくなるキュウリくん。


おぉ~、ナスビちゃんのほっぺがちょっぴり見えてきましたぞ!


「わたしに触ったらあかんで~痛い目に遭うで~」と言わんばかりの、花が終わったナスビちゃんの立派なトゲトゲ。誰が触りますかいな!


あ~あ、とうとう食べんと咲かせてしもた……キクナの花……。


わてらのんきなシュガースナップ~♪風に吹かれてぶ~らぶら♪


謎のつぼみを持つ花が、こんなになってました。さらに謎やがな~!


隅っこでこっそり咲いてたガク紫陽花。可憐とはこ~ゆ~姿を言ふ。え?なに?わたしもって?


まだ咲いてないけれど、この花も好き。



今夜は、こないだ買った野菜セットの残り(トマト、ピーマン、オクラ、かぼちゃ)を海老と炒めたのと、塩もみしただけのキュウリくんのざく切りを、豪快にいただきました。
これで冷蔵庫の掃除も完了。
キュウリくんとシュガースナップの食事&消化は、息子にバトンタッチ。

さてと、これからちょいとパッキングして、息子への伝言メモを書いて、家猫にちょっとサービスして……、

「またどっか行くんやろ。ちゃ~んと知ってんねんから。拗ねたるねんから」



それではみなさん、6日間、山奥にこもって修行してまいります。
インターネットもテレビも電話もつながらない山の奥で、自分をしっかり見つめ直してきます。
そしてリフレッシュして戻って来たら……またうるさいで~!覚悟して待っててや~!忘れんといてや~!
コメント (12)
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日本が世界をぐいっと動かすねん!

2011年07月20日 | 日本とわたし
先日、ツィッターでつぶやいていると、ある人がこういうメッセージを送ってきた。

『精米された米の含有量から計算してません?
土壌中の濃度で対比しないと……。
日本国中どこにでもセシウムなんてゴロゴロしてますよ、
残念でした。
あのさ、危険危険だとばかり煽ってても意味ないの。
もうどうすればより安全になるかを考えてよ』


煽ってへんねん。今の今まで、無知決め込んで、なんも学ぼうとせんかったことを反省してるねん。
けど、反省してるだけではなんも前に進まんから、今こそ、なにかこの日本の町や村の、でかいこと言うたら国の、もっとでかいこというたら地球のために善かれと思うことをしたいと思てんねん。
そうせな、うんと婆ちゃんになって、そろそろこの世とさいならしょうかっていう時に、
「かんにんな、こんなことになってしもて」言うて、謝らなあかんやん。
そんなんイヤやねん!
「あんときゃ滅茶苦茶やったなあ。けど、みんな必死で踏ん張ったさかい、とりあえずマシになったな。ありがとう。ほなさいなら」
言うてあの世に行きたいねん。

核実験があっちゃこっちゃで好きなように行われてた時、ビキニ島の被曝事件の後、ひとりの女性が新聞に投稿した、
『「原爆の灰がいつ何時降ってくるかわからない世の中だもの。なにが起きたって仕方ないよ」
夫は新聞を読みながらそう言う。
「原爆をつくることをやめれば」
わたしがそう言う­と、夫はあきれかえったようにわたしをながめていた』

っちゅう文章を読んだ人達が、少しずつ少しずつ署名の運動を始めて、ついには三千万もの署名を集めた。
その運動が世界にまで広がり、大気圏の核実験に終止符を打たせた。
わたしはその2年後に生まれたから、その当時のことは全く知らん。
けど、その頃の地球は、それはそれは汚染されてたんやろと思う。
それがやっと、大気圏での実験だけでも無くなって(中国が止めへんかったから完全にではないけど)、案の定、汚染もみるみる低なり始めた頃にチェルノブイリがドッカーン!

ほんまはあの時、世界がハッと目覚めて、よっしゃ、うちも一基ずつ止めていくわ!と、各国の首長が賢い選択をするべきやった。
首長がアホやったら、しゃあないから、市民が目覚めて、原発止めんかい!60億人の署名運動するべきやった。

けど、あれはしゃあないわ、ソビエトやもん。そやなあ。えらい気の毒やけど、ソビエトやもんなあ……。

自分とこは大丈夫。

どこの国もそう思てたやろと思う。
そやかて、原発狂団の洗脳はすごかったもん。
学校の教室にまで入り込んで、子供に見学させて、コマーシャル流して、パンフレット配って、「安全でクリーンで安い!」言うてたし。
「絶対事故起きません!」言うてたし。
あんなヤクザみたいな連中使て工事したり、夜中に奇襲突貫工事したり、札束で住民のほっぺた叩いてたりしてたやなんて……、
ほんの数ヶ月前まで知らんかってん。恥ずかしいけど。

なんも、原発が憎い言うてんのとちゃうねん。
原発に関わってきた人は、世の中のためにええことやと思て、それぞれに誇りを持ってやってきはったと思うねん。
けど、理想と現実はちゃう。
高速炉もまだまだ実現にはほど遠い。っていうか、多分、この先なんぼ頑張っても、無事故で成功までにこぎ着けへん。
やっぱたかが電気のために、こんな危険なもんを手段として使うのはやめなあかん。
全く地震も津波も起こらんとこにある原発でも、事故は起こってる。
隠してるから無いみたいに見えるけど、そこらでちっちゃい事故はいっぱい起こってて、ちっちゃい放射能漏れは数えきれへん。

わたしや、他の大勢の人が、危険や危険や言い続けてるのは、危険を煽ろうとしてるんと違て、実際に起きたことを、今までのわたしみたいに、知らんと過ごしてる人達に知ってもらいたいだけやねん。
知らな、自分で自分のこと考えることもできひん。
知ってもなんもせん人もいる。
知ったら絶望する人もいる。
知って怒り出す人もいる。
上の人みたいに、どうすればより安全になるか考えてよ、とか言うてくる人もいる。

どうすればより安全になるか……。
それにはまず、どこがどう不安全なんか、それをとことん知って、それをまずひとつずつ対処していくしかないやん。
けど、対処するにも、相手が大き過ぎるし範囲が広すぎる。
そやからこその国やねんけど、その国は知らんぷりで、つまらん言い合いを空調の効いた部屋でやってるだけ。
どこがどんだけ汚れてるか。
なにがどんだけ汚染されてるか。
それをちゃんと測れる方法と道具を揃えてくれさえしたら、あとはみんなでなんとかするわ言うてんねん。
もうしゃあないやん。
こんなダダ漏れの放射能が、もう140日近くも、空気やら土やら水やら海水にしみ込んでるんやから。

汚染は今までにもあった。
福島第一の事故前でも、ほんの微量ではあったけど、空気の中には人工の放射能汚染が含まれてた。
けど、そやからこれもまあ、今までの歴史の中のひとつの事象に過ぎひんと、いつか振り返って思うんちゃう?なんて絶対に思えへん!
これは、57年前に投書した、ひとりの日本女性が世界を動かしたように、今度は何人もの日本人が世界を動かせ!っていうことやねん!
そやし、これからも「危ないで!あかんで!目ぇ覚ましや!」って叫び続けるねん。


参考までに。
日本は今までにも、こんな感じ↓で汚れてました。

『わが国の米、小麦および土壌におけるストロンチウム90とセシウム137濃度の長期モニタリングと変動解析』

農環研報24、10.21.2006 (駒村美佐子、津村昭人、山口紀子、藤原英司、木方展治、小平潔)

はじめに

地球環境には天然と人工の放射性核種が混在している。
人工放射性核種の大部分は、米国、旧ソ連、英国、フランスおよび中国が1945~80年に行った、約1200回の大気圏および地下核爆発実験により放出された。
このうち、グローバルな環境汚染をもたらしたのは、423回に及ぶ大気圏内核爆発実験である。

研究の進展と核実験や原子力施設の展開とを考慮しつつ、時代を区分すると、
1)1950年代の黎明期
2)1960年代の米ソなどの大型核実験期および
3)1960年代中後期以降の中・仏の核実験期
4)1970年代以降の中・仏の核実験期
5)1980年代半ばのチェルノブイリ原発事故をはさむ時期
6)1990年代以降の時期
7)2000年代~最近
となる。


*白米の放射能汚染形態

玄米から白米への精白は、通常9~11%の糠を除去する。
白米のストロンチウム90(以降90Sr)とセシウム137(以降137Cs)濃度は、核爆発実験の規模と回数を反映し、フォールアウト(放射性降下物)量にほぼ比例している。

大気から降下して穂先に沈着した90Srは、一部が糠層に浸透するが、大部分は糠層に留まるため、白米への移行は極めて少ない。
一方、137Csは、穂先→糠層→白米へと、比較的容易に移行する。

*玄麦の放射能汚染形態

わが国の玄麦で、チェルノブイリ事故の年に137Csの高い汚染が生じたのは、137Cs降下量の多かった時期に出穂日が重なったためと推定される。

*直接汚染と間接汚染の割合の変化

90Sr、137Csともに、降下量が多いほど茎葉などから取り込まれ(直接汚染)、1963年頃では70~95%を占める。
しかし、降下量が激減した1990年以降は、経根吸収による汚染(間接汚染)が主である。

*90Srと137Csの、水田および畑作土内における滞留半減時間

水田作土の滞留半減時間…90Sr:6~13年、137Cs:9~24年
畑作土の滞留半減時間…90Sr:6~15年、137Cs:8~26年
畑より水田の方が短いのは、水田の方が年間容脱量が多いことによる。

栽培期間中に降下した90Srと137Csの量を知ることにより、米および小麦の放射能濃度の推定が可能である。 

チェルノブイリ原発事故の放射能降下物が、核実験の降下物と比べて特徴的だったのは、
放射性ヨウ素(Fig. 11)をはじめとする揮発性核種に加えて、安定体の放射化生成物134Csが含まれていたことであった。
つまり、核実験ではごく短時間に核分裂が生ずるが、原子炉事故では長期に亘る核燃料の燃焼で蓄積している核種が放出されるため、検出される核種組成が異なっていた。

世界規模のプルトニウムの汚染は、1964年、原子力電池を搭載した衛星が、南半球の上層大気で燃え尽きたことから起った。
この時、0.63PBqの238Puが大気中に放出された。
一方、局地的なプルトニウム汚染も多く存在している。
公表されている例の中には、
水爆搭載航空機の落下事故(スペインのパロマレス(1966年1月16日)
グリーンランドのチューレ(1968年1月21日))
プルトニウム工場(米国、ロッキーフラッツ)の火災事故に伴い発生したこと等がある。
さらにチェルノブイリ原子力発電所事故に伴い、かなりの量のプルトニウムが環境を汚染した。

チェルノブイリ事故は、ロシア・ヨーロッパに深刻な137Csの汚染をもたらしたが、
日本では、時系列データに明らかだが、核実験による137Cs降下量に比べて、わずか数%にしかならない。いかに核実験による全球フォールアウトが、大規模な放射能汚染事象であったかが、よくわかる』
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