ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

命の日

2014年02月11日 | 家族とわたし
このブログは、友人かおりちゃんのおかげ?で、始まりました。
それは今から5年半前、2008年の8月のことでした。
それからはぼちぼちと、はじめは日記のつもりで書いていましたが、2011年の3月以降は、ちょっと様変わりしてしまいました。
それでもやっぱり基本は、自分がどういうことを考えたり見たり、そして行動したりしていたかを、書き残しておきたいと思って書いています。

なので、中には、そんなことまで公に?というような内容を、書いていることがあります。
特に、身内のことについては、本当は、こういう場で話すべきではないのではないか?と、注意を受ける時もあります。
けれども、それがわたしなのです。
こうやって書いたり話したりすることできっと、まだもやもやとしている気持ちを整理しているのだと思います。
なので、読み辛いとお感じの方はどうぞ、読み飛ばしてください。

先日10日は、父の命日でした。
命の日と書いて、亡くなった日。
なんだか不思議な気もします。

先々週の金曜日に、家猫の容態がとても危くなり、死というものが急に間近に感じられたので、
気功瞑想の後の対話の時間に、身内の死ということについての話になりました。
クラスメイトのマリアンが、ホスピスに入院していた父親の最期の話をしてくれました。
「父がホスピスに入院する際に、茶色の箱を渡された。
その中身は見ないようにと言われた。
父がいよいよ危ないという時になって、伯母と看護士が目配せをして、茶色の箱が看護士に手渡された。
それはきっと、父の死期を早めるためのものだったに違いない、と自分は感じ取っていたのに、それを止めることができなかった。
それを今もすごく悔やんでいる」

その話を聞いているうちに、わたしの脳裏に、あの3日間がまた、とても鮮明に蘇ってきました。
たまらなくなって、気がつくと、話し始めていました。
「マリアンはいいよ、わたしなんかより全然いいよ。
わたしは、たったの2日間、モルヒネの投与が増えて朦朧としていた父が、夜中にとても暴れて手に負えなかった、
ただそれだけで、その夜の担当だった、父がとても嫌っていた看護士が、モルヒネをさらに増やしましょうか?という問いを目でされて、つい頷いてしまった。
父はただ、部屋から出たかっただけなのに。
部屋から出て、家に帰りたかっただけなのに。
家に帰る途中で、上六の近鉄百貨店の天ぷら屋で、天ぷらを食べたかっただけなのに。
だから、体につながってる管を全部引っこ抜いて、自由になりたかっただけなのに。
それをわたしは、ただ自分が辛かったからって、父の死を早めることを知ってて頷いた」

もうこういうふうには考えない。
わたしが父を殺したのではなく、癌という病に襲われて死んだのだ。
父の死期を早めたのは事実だけども、それはまた、彼を苦しみや痛みから開放したとも考えられる。

そんなふうに考えられるようになり、思い出しても泣かなくなり、自分なりに整理できてきたのかなと思っていたのに、
涙がバアッと溢れ出てきて、自分でもびっくりしてしまいました。

でも、ミリアムがこんなふうに言ってくれました。
「わたしも、分身のような、親友のような母を亡くした時、3年間ずっと、大泣きしていた。
それだけ泣かないと、納得できなかったのだと思う。
人も動物も、そうやって、思い出してくれる人の中で生きている。
いろんな感情といっしょに思い出すことは、その人の命がうんとカラフルになる。
泣きながら、笑いながら、怒りながら、どんどん思い出して」

今年の命日は、ショーティの退院の日と重なりました。
父がきっと、連れて帰ってきてくれたのだと思います。

なのに、今年に限って、美味しいものを作ってあげることができませんでした。
今週末に、好きだった日本酒と、弟からリクエストされた『白菜と豆腐だけの湯豆腐』⇒絹ごしで、を作ってお供えしようと思います。
弟はほんとに、家族思いの、情の深い男だと思います。
父はいい息子を、そしてわたしはいい弟に恵まれました。

↓下記は、これまでの『父の命日』の記録です。

2009年2月10日

2010年2月10日

2011年2月10日

2012年2月10日

2013年2月10日
コメント (4)
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「小泉さん、本気で脱原発考えてるなら、細川・宇都宮両氏と共に即時脱原発一斉行動呼びかけて」志葉氏

2014年02月11日 | 日本とわたし
いろんな記事を書きそびれたままですが、後ろを振り返っていても仕方がありません、前をしっかり見据えて一歩、また一歩と進みたいと思います。

これまでの、これが選挙と呼べるのか?と、首を傾げているだけでは済まない投票率について、考えていることがあります。
それは、他国でも実施されている『義務投票制』。
そんなものを義務づけてどうする?という意見をお持ちの方もおられるでしょうけれども、
ここまで低い率が、当たり前のように、別にええやん、みたいに続いているような国は、本当に考え直す必要があると思えてなりません。
そしてまた、選挙の期間が短いこと、候補者同士の公開討論がしっかりと行われないこと、それを報道機関が無視し、こともあろうに偏向極まる報道を、堂々とし続けていること。
もう本当に、これが日本という国の実際の姿だったのかと、唖然とせざるを得ない日が続いています。

そのようなことを考えながら、あれこれと思いを巡らせていると、この記事に出会いました。
時々、ここで紹介させてもらっている、志葉玲さんのものです。

以下、転載はじめ

舛添都政は短命。
では、脱原発派都民の課題は?
マスコミ世論操作への対抗策は?

2014年2月10日
志葉玲 [フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)]

予想通りであったが、今回の都知事選のマスコミの報道ぶりが、最初から最後までヒドすぎた。
「舛添氏圧勝」「安倍政権に信任」……、
そんなに安倍政権や原発業界に媚を売りたいのか、それとも脳ミソ空っぽで何も考えていないのか。

冷静に今回の得票数を観てみよう。
宇都宮健児氏、細川護煕氏の、いわゆる「脱原発候補」の得票はそれぞれ、98.2万票、95.6万票。
合計すれば約200万票だ。
それでも舛添氏の得票数には及ばないが、肉薄する数である。
一方、都知事選で唯一、「原発推進」を訴えていた田母神俊雄氏は、約61万票であった。
舛添氏が「私も脱原発」と語り、脱原発の争点外しにやっきになっていたことから考えれば、脱原発200万票はバカに出来ない数字である。
安倍首相は、あまり調子に乗り過ぎない方がいい。
原発再稼働が承認されたわけではないのだから。


さて、新都知事となった舛添要一氏だが、おそらく4年間の任期を務めあげることはできないだろう。
拙稿でも取り上げた通り、舛添氏は、政党助成金の不正使用疑惑など、「政治とカネ」でのツッコミどころが多すぎるからだ(該当記事)。
女性関係のスキャンダルも、色々と追及されることであろう(関連記事)。
だから、今回、宇都宮氏や細川氏を応援した都内の人々は、「舛添後」を考えて動き始めた方がいいだろう。

その上で、いくつか課題がある。


■低投票率への批判と制度改革

首都圏を襲った大雪のせいもあってか、今回の投票率は46%と、半数にも満たなかった。
この様な低投票率では、選挙の正当性だけでなく、民主主義そのものが成り立たない。
だから、提案したい。
日本も、義務投票制を導入すべきではないだろうか。
実際、オーストラリアなどでは、投票に行かないと罰金が科せられるため、投票率は常に90%台である。

無論、身体にハンディキャップのある方々のことは考慮しないといけないが、
日本が代議制民主主義制度を採用し、主権が国民にあると憲法に明記されている以上、
特に理由もなく投票に行かない、ということは、この国の根底部分を揺るがす。
「投票したい候補がいない」という人々もよくいるが、彼らがどれ程、各候補の政策を読み、理解しているのか。
投票が義務化されたら、少しは政治に関心を持つようになるかもしれない。

ただ、不投票の摘発は、法改正が必要だろうし、裁判等のコストもかかる。
ならば、投票にいくことへのインセンティブを持たせる、というもの良いかもしれない。
私のフェイスブックに、
「投票した人に、1週間有効の、5千円分の地域クーポンを配るのはどうでしょう。低コストで、投票率と地域経済の向上に貢献できると思います」という提案があった。
非常に良い提案だと思う。
こうした制度改革についての議論が、もっと行われるべきだ。


■勝ち馬予測的な報道から、政策・実績の分析重視の報道へ

日本の政治報道は、その多くが、政局報道であって、政策報道ではない
有力政治家の派閥争いやら、誰が誰とくっついた離れたやらと、芸能ゴシップとさして変わらない内容だ。
特に、選挙戦中は、「公平さ」という大義名分の元、
各政党・各候補の政策・実績の分析よりも、世論調査で「どの党・どの候補が人気」という、競馬の勝ち馬予測的なものが大半となる
今回の都知事選でも、早い段階から、「舛添氏が最有力候補」という報道が繰り返された。
有権者は、自分の投票がムダになるのを嫌う傾向があり、こうした世論調査は、「世論操作」という側面もある。
だから、諸外国では、選挙前の一定期間、世論調査を禁じていたり、世論調査を行うにしても、厳格なルールを定めているということも多い関連論文)。
そして、実は日本においても、公職選挙法138条の3において、「選挙戦での人気投票を禁じる」という規定があるのである。

『第百三十八条の三  
何人も、選挙に関し、公職に就くべき者(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては、政党、その他の政治団体に係る公職に就くべき者、又はその数、
参議院比例代表選出議員の選挙にあつては、政党、その他の政治団体に係る公職に就くべき者、又はその数、若しくは公職に就くべき順位)を予想する、人気投票の経過、又は結果を、公表してはならない』

出典:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html

マスコミ側は、「世論の分析であって、人気投票ではない」としているが、
上記したような日本の政治報道のお粗末さや、結局は、知名度に勝る候補が当選しやすいという、昨今の日本の有権者のレベルから考えて
公職選挙法138条の3は、より厳格に守られるべきだろう。

今回の都知事選でも、日本の政治・選挙報道の弊害は、際立った。
猪瀬前都知事の辞任引き金が、「政治とカネ」であったにもかかわらず、
舛添氏はじめ、各候補の「クリーンさ」は、十分に論議されることはなかった。
安倍首相の、「原発は国政の問題、都知事選とは関係ない」という主張をタレ流しにしている報道も目立ったが、
東京都は東電の大株主であり、最大の電力消費地である。
東京都のエネルギー政策は、自ずと原発の是非にも関わってくる。
こうした政策論争が、もっと活発に行われるべきだったのだ。
開票後の、宇都宮事務所での会見で、NHKインタビューでの「政策が届かなかったということか?」との質問に対する宇都宮氏の、
街頭宣伝では届く範囲が限られている。テレビ討論が16回もなくなったのは残念。
NHKはなぜ、政策討論会を開かなかったのか?私はききたいですね
」という切り返しには、全く頷けるものがある。
正直、私自身、日本のマスコミが劇的に変わるとも思えないのだが、
NHK会長・経営委員人事を観ればわかるように、安倍政権は、露骨なメディアへの介入を、何の躊躇もなく行っている
視聴者や読者が声を上げなければ、日本のマスコミはますます劣化していくことだろう。


■既存メディアしか目にしない人々に、どう伝えるか

報道によれば、舛添氏は、高齢者から圧倒的な支持を得たという。
「福祉の舛添」というイメージ戦略が、成功したのだろうが、大変皮肉なことだ。
先日、拙稿でも触れたように、
舛添氏はテレビで、高齢者を「ジジイ、ババア」「ヤツら」と罵り、「高齢者から金を取ればいい」と発言していたメンタリティの持ち主である。
そして、舛添氏は、厚生労働大臣時代に、
「姥捨て山制度」「高齢者いじめ制度」として悪名高い、後期高齢者医療制度を、「長寿医療制度」として正当化。
後に、同制度の見直しを示唆したが、「制度の根幹は変えない」との発言の通り、高齢者の保健負担額はむしろ増大した。
「医療費適正化計画」として、医療費削減を推進した、という「実績」もある。
「適正化」の掛け声の元、多くの高齢者達が、入院してもすぐ病院から放り出されるという憂き目にあったのだ


だが、今回の投票傾向でも明らかになったように、多くの高齢者の方々は、「福祉の舛添」というイメージに流された。
その原因として、高齢者の多くは、ネットも使わず、情報源はテレビや新聞といったマスコミだけ、ということがあげられるだろう
デジタル・デバイドであり、メディア・デバイドでもある。
つまり「情報格差」だ
少子高齢化が進む中、高齢者の票の動向は、バカにできないものがある。
既存のマスコミ情報に頼る高齢者達に、いかにオルタナティブな情報を届けるかは、日本の市民社会の課題だろう。
ツイッターで私に寄せられた意見では、
ずっと自民党支持だった高齢の母に、Youtubeでいろいろな動画を紹介したら、別人のように意見が変わりました」というものもあった。
ネットメディアにはネットメディアの弊害もあるものの、ともかく、もっと多種多様な視点や分析が、より多くの人々にとどくことは重要である。


■あくまで日頃が大切―もし、200万人が官邸前に押しかけたら

所詮、短い選挙期間でできることは限られている。
だからこそ、普段からの行動が大事なのだ。
今回、東京都だけで、約200万人の人々が、脱原発候補に投票した。
この200万人が、一斉に行動を起こす―例えば、首相官邸前に押しかけるなどすれば、
それ自体の効果のみならず、広範な連鎖反応を呼び起こし、脱原発への道は一気に開けるであろう

私は、小泉純一郎氏は全く信用していないし、彼のイラク戦争支持・支援は、絶対に許すことはできないのだが(関連記事)、
もし、小泉氏が、本気で脱原発を考えているのならば、細川氏や宇都宮氏らと共に、即時脱原発一斉行動を呼びかければいい
あるいは、脱原発派の都民が、そう求めればいい。

今回の選挙結果を、ただ敗北と受け止めるのか。
それとも、次の行動のステップとするのか。
それは、脱原発派の人々の、一人ひとりに問われること
なのである。


志葉玲
フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
パレスチナやイラクなどの紛争地取材、脱原発・自然エネルギー取材の他、米軍基地問題や反貧困、TPP問題なども取材、幅広く活動する反骨系ジャーナリスト。
「ジャーナリスト志葉玲のたたかう!メルマガ」 http://bit.ly/cN64Jj や、週刊SPA!等の雑誌で記事執筆、BS11等のテレビ局に映像を提供。
著書に『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、
共編著に『原発依存国家』『母親たちの脱被曝革命』(共に扶桑社新書)など。
イラク戦争の検証を求めるネットワーク(http://iraqwar-inquiry.net )の事務局長。
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