昨日の朝、このビデオに出会いました。
その内容は、もうこれまで、ここでも何度も取り上げて書いてきたことがほとんどでしたけれども、
アメリカの核特殊部隊の、放射線量の空中測定のやり方が、具体的に伝えられていて、
わたしはずっと、いったいどうして、あのような汚染マップを作成することができるのかに興味があったので、そこの部分だけでも記事に書こうかと思っていました。
ところが、観ているうちに、あの未曾有の事故が起こった後の、まず国民の、人の命や健康を守ろうとしなかった官僚や政府の実態を、再度思い出されてきて、
これはやはり、文字起こしをして、ピンぼけでもなんでも、画面を写した映像と一緒に記事にしようという考えに変わり、起こし始めました。
あっという間に2時間3時間が経っていき、夜中になっても終らないので、あともう少しというところで中断し、今朝また続きをしようとパソコンをつけたら……、
またやってしまっていたのです……保存せずにパソコンを消したので、すべてが消えてしまっていました。
わかりやすいように、読みやすいようにと、段落や括り方を工夫して、何時間もかけて起こした文字と、
少しでもきれいな画像になるよう、いろんな角度やモードで撮った写真が、みんないっしょに……ぐわぁ~ん……。
いったいこんなことを何回したら、わたしは学習するのでしょうか……。
ということで、朝からドド~ンと落ち込みましたが、こんな時こそ深呼吸してスマイル♪
気を取り直して、どなたかが、この動画について書いておられないかを調べてみました。
いらっしゃいました!
ありがたいです!
竹下雅敏さんとおっしゃる方が、端的に、そしてとても美しい映像とともに、この動画をまとめてくださっていました。
感謝とともに、ここに転載させていただきます。
(動画はDaily Motionのものなので、ここには載せられません。この青い部分をクリックして、別の画面でご覧ください)
↓以下転載はじめ
隠蔽か黙殺か ~封印された汚染マップ~
【テレメンタリー(2014年2月16日)】Daily Motion 14/2/19
文字データはこちらから転載させていただきました。
東日本大震災の直後、アメリカが下したある決断-それは、核テロや原発事故へ対応するスペシャリスト「核特殊部隊」を日本に派遣すること……。
カート・キャンベル国務次官補(当時)
「アメリカは、絶望的な大惨事になる可能性も考えました。政府は汚染状況がどれくらい危険かを確かめようとしたのです」
核特殊部隊の切り札は、空中測定システム『AMS』。
上空から地上の放射線量を実測し、広範囲に汚染状況を分析できる。
ジョン・ルース駐日米大使(当時)
「目的は、出来る限り最高の情報を得て、日本が危険に対処する手助けをすること」
その当時、日本はまだ、人海戦術による陸上モニタリングに頼っていた。
事故発生から6日後に行われた、福島第一原発周辺の陸上モニタリング結果……これでは、汚染状況を点でしか把握できない。
班目原子力安全委員会委員長(当時)
「ほんとにポツンポツンとあるだけなんです。場所によっても全然値も違いますし、全体として本当にどうなっているんだろう……」
来日した部隊は、上空からの測定で、地上1mの高さの放射線量を算出。
測定値と地理情報をあわせ、汚染マップを作成した。
今中哲二助教
「NNSA(特殊部隊)は、とにかく福島の上空をバーッとヘリコプターや飛行機で飛ぶわけですよね…」
福島第一原発から半径45kmの地域を、およそ40時間以上飛行。放射能汚染の全容を把握していた。
今中氏
「浪江から飯舘、福島のほうへ汚染が広がったのが分かります」
完成した汚染マップ。
北西方向に30km以上、1時間当たり、125μSvを越える汚染地域が広がっていた。
汚染状況を予測する『SPEEDI』の公表遅れが問題となったが、SPEEDIは、あくまで予測値である。
『AMS』が決定的に違うのは、これは実際に測ったデータだったということ。
班目氏
「(AMSは)まさに実測値ですから、SPEEDIを使って予測するより、はるかに信頼性が高いので、これをもとに色々な決定をすべきじゃないかと思ったくらい」
しかし情報は公表されず、わざわざ放射線量の高い福島県北西部に避難してしまった人も多い。
3人の子どもと、浪江町から避難した被災者。
汚染された食べ物による、内部被曝を心配する。
「山に入って、椎茸とかそういうものをとって食べてました。水も山の引っ張り水とかだったし…」
WBC検査の結果、高校生の長男から、微量のセシウムが検出された。
更に甲状腺からも……。
のどのエコー検査で、(のう胞が)3つか4つ見つかったんですけど……『なんで俺ばっかりでるんだ』って言ってたのは覚えてますけど……」
「政府も他人事ですよね。
(汚染マップの情報を)言ってくれれば、もうちょっと正しい判断ができたんじゃないかなって思いますけど…」
だが、この汚染マップの存在が取り沙汰されるのは、事故から1年以上も経ってからの事。
なぜ、汚染マップは封印されてしまったのか?
福島第一原発事故以来、日増しに募るアメリカの危機感……。
3月14には、1号機に続き、3号機でも水素爆発。
日本では、情報不足が、混乱に拍車をかけていた。
その頃アメリカでは、情報収集のため緊急招集された、核特殊部隊の精鋭33人が、およそ8トンの機材を積み日本に向け出発。
17日には、被害状況の測定にとりかかった。
-ちょうどその日、アメリカで、独自の避難勧告が発令される。
カーニー報道官
「福島第一原発から半径80km圏内にいるアメリカ人に対して、避難をするよう勧告する」
アメリカが、半径80km圏内の避難指示を出したのに対し、
日本はまだ、半径20km圏内を避難範囲としていた。
汚染マップを見ると、避難対象から外れている場所でも、放射線量が高い地域がある。
ラスト・デミング氏
「ホスト国と異なる発表をするのはやりにくいものでしたが、日本はアメリカと違う判断をしていたので……」
カート・キャンベル氏
「日本よりも避難範囲が広かった理由は、アメリカが慎重であったからです。
ごく短い期間ですが、日米間には緊張した空気がありました」
避難指示にあたって、アメリカでは、『AMS』の実測データが重要な役割を果たす。
ケビン・メア氏
「どこまで汚染されているかを、出来るだけ早く測りたかった。
50マイル(80km)の避難区域で十分か、もっと縮小すべきかを判断する時に、もちろんそういう情報も使っていました」
NRCの電話会議録でも、汚染マップを有効活用したことが伺える。
「汚染が集中しているのは、現場から北西方向であることが分かりました。
約20kmを越えて、帯状に、4日間で10mSv近くに達したり、それを越える地域があります。
80km圏内の人を避難させる我々の提案は、正しい決断でしたね」
独自データをもとに、米軍の撤退も検討された。
マイケル・マレン氏
「同盟国の支持だけでは済まされなかった。多くの部下も、放射能にさらされる危険がありました」
キャンベル氏
「撤退案は、確かに検討しました。しかし、オバマ大統領と大統領補佐官が、米軍に断固として『撤退するな』と命じたのです」
もし、日本が同盟国でなければ、全米軍が国外退去していた可能性もあったという。
DOEポネマン副長官
「AMSによる最初の調査を行い、情報収集しています。すべて、日本政府と情報共有しながら進めています」
DOEのAMSのデータはこちら▸http://energy.gov/downloads/us-doennsa-response-2011-fukushima-incident-data-and-documentation
日本に留まる事を決めたアメリカは、自国民を守るためにも、日本への情報提供を続けた。
ラスト・デミング氏
「私たちが得た情報は、出来る限り日本に提供していました。アメリカ側としては、まったくダブルスタンダードはありませんでした」
グレゴリー・ヤツコ(元NRC委員長)
「私たちが焦点を当てたのは、出来る限りの情報を提供することです。AMSのデータもありました」
測定前に打診を受けた日本政府の対応が、こう残されている。
「日本政府は、AMSの測定を含む、エネルギー省放射線プログラムチームの支援を受け入れた」
カート・キャンベル氏
「これは、日米共同の決断でした。原発周辺の状況を把握するために専門家が必要だと、日米両政府が判断したのです」
番組が入手した内部文書(3月18日のメール)によると、AMSのデータは、翌日には、外務省を通じて、原子力安全・保安院に送られた。
(メール)
「訪日中のアメリカエネルギー省の行った、モニタリングの結果をまとめた資料が、在京米大使より送付されてきました」
資料は、文科省にも届けられた(3月20日のメール)。
しかし……。
カート・キャンベル氏
「危機レベルが極めて高いのに、日本の対応はすべてを否定するというものでした」
データ提供後も、日本では……。
枝野会見(3月21日)
「大気中の放射性物質の濃度について、詳細も文科省から報告をさせていただいているが、全く人体に影響を与えるようなレベルのものではない」
-汚染マップが、活用されることはなかった……。
田坂広志氏
「実測の技術……航空機で実測していくという技術は、日本に比べて数段進んでいますね。
ですから、これくらい迅速に、データをとるわけです。
堂々と活用するという考え方を、本来ならとるべきだろうと思います」
今中哲二氏
「それに基づいて、その汚染地域の人たちに対して、警告なり避難指示を出したりすることが、もっと早くできたはずだと」
情報を受け取っていた保安院は、こう弁明する。
「データを全部、一元的に管理して公表するのは、文科省の役割……。
こういう海外のところについては、どうするかというのは、必ずしも明確でなかった」
一方の文科省は……。
文科大臣(当時)
「文科省の立場でいくと、地上でのモニタリング担当ということでありまして……保安院の方へ(モニタリング結果は)送られているということですから……」
責任を押し付けあう、保安院と文科省。
官邸に助言をおこなう、原子力安全委員会にもデータが届けられたが……。
Q.(原子力安全委員会の)委員長のお立場で、「なぜこの地図を使って避難しないんだ?」と、一言いうことは出来なかったのか?
班目氏
避難をするかしないかということに関しては、避難指示を出すのは政府の仕事で、安全委員会はそこまでは言えないというか……」
国会事故調査委員会は、縦割り行政の結果、情報が止まったと結論付けた。
“文科省は、このデータを、自らが所管するモニタリングのデータでないとし、官邸に伝達しなかった”
“保安院においても、官邸に送付した形跡は認められない”
(国会事故調査報告書より)
カート・キャンベル氏
「私個人は、そのデータを、駐米日本大使藤崎氏に渡しましたし、大使に渡された情報は、すべて総理に渡ったと思います」
実は、アメリカは、測定直後からホームページで、汚染マップを公開している。
ケビン・メア氏
「おかしいでしょ。
一番重要な問題があった時に、どういう情報があるか(官邸が)知らないという立場であるのは、ちょっとおかしいと思いますよね。
菅政権のやり方、あんまりうまくいってなかったと、はっきり感じました」
しかし……。
枝野氏(議会答弁)
「なぜ、官邸に報告があがらなかったのかについては、厳しく経産省内・保安院に問い正しているところで……」
完全否定する官邸サイド。
だが、国会事故調の元委員は……。
野村修也氏
「どう考えても、この情報というのは、いろんなところから耳に届いていたんじゃないかと思われる。
国というのは、そんなに情報に疎いわけではなくて、やっぱり国家の中枢は、情報はきちっと取れなければいけない」
核特殊部隊のデータは、測定をサポートした防衛省にも入っていた。
Q. その話(AMSの測定について)は、北澤元大臣のもとにも入っていましたか?
北澤俊美(元防衛大臣)
「もちろん入っています。防衛省は(米軍と)一緒に仕事をしてたから、情報を早く入手できる」
Q. 初めて(AMSの)結果をご覧になった時はどういう風に思いました?
北澤氏
「大変な事態だってことは、我々もすぐ認識しました。活用したらどうかというのは、防衛省側の考えだった」
封印された汚染マップ……官邸サイドは、その情報が届かなかった、と主張した。
だが、当時の菅政権の主要閣僚は、こう断言する。
Q.(AMSのデータを)活用したほうがいいと、官邸に伝えたか?
北澤氏「それは、情報として、(官邸の)原子力災害本部へは、どんどん出してましたから……」
Q. モニタリングの結果を、官邸が知らないということは?
北澤氏「ありえない。私はそれはないと思いますよ」
Q. それは早い段階で?
北澤氏「うん」
Q. それくらい重要なデータということ?
北澤氏「そう。……それは官邸が知らないことはないと思う」
番組が、情報開示請求をして入手した、日米首脳の電話会談の記録。
オバマ大統領
「エネルギー省から専門家を派遣している。彼らはアメリカでもっともよい人材であり、日本の対策本部と協力している」
核特殊部隊の派遣は、オバマ氏から菅氏へ、直接伝えられていた。
公表されなかった背景を、関係者たちは、
キャンベル氏
「日本政府は、パニックを引き起こすことを恐れて、アメリカとは少し異なる立場をとったと思います」
北澤氏
「特に放射能の高い所に避難指示を出すとなると、多分混乱を起こすと、その地域に過重な恐怖感を与えると……そういう考えがあったのでは……」
菅元総理とは、数ヶ月に渡り書面や電話で交渉したが、インタビューは実現しなかった。
しかし、官邸の原子力災害対策本部にいた福山氏は、汚染マップの存在を覚えている。
福山哲郎氏
「3月20日前後だったと思いますが、アメリカの航空モニタリングで、こんな結果だというのを、A3版の非常に大きな資料として、
東北全体の地図があって、モニタリングで色分けされているような資料をもらった記憶があります」
Q. それは総理とも共有されていた?
福山氏
「当然です。
当時は、官房長官と総理は、ずっと一緒にいたと言っても過言ではないくらい……まあ、官邸では共有しています」
Q. 国内での公表は出来なかったのか?
福山氏
「アメリカの測定値を日本が公表する……それはアメリカの持っているものですから……」
外務省の内部文書には、こんな記述(3月24日)が記されていた。
“在京米国大使館から外務省に対し、本件モニタリング結果は公開されており、日本側での公開も可能である旨の連絡あり”
アメリカの測定で、高濃度汚染が確認された飯舘村に、5月末まで留まってしまったある親子。
母
「後から子どもたちの部屋の線量を測ったら、高かったんです。分からなくていてしまったので、仕方ないです」
娘の甲状腺に、2センチほどの膿胞がみつかった。
母
「長女には、結局言ってないです……『大丈夫だったよ』としか……。
(汚染マップが)どこで止まってしまったのか、止めたのは誰なのかって言いたいところです。
悔しいというか、怒りというか、ちゃんとご存知の方はいたんですね」
政府が、汚染の激しい福島県北西部の一部を、計画的避難区域に指定したのは、核特殊部隊の測定から1ヶ月以上が経った、4月下旬。
ほぼ、全住民の退去が終ったのが、7月……。
時計の針は、もう巻き戻せない……。
その内容は、もうこれまで、ここでも何度も取り上げて書いてきたことがほとんどでしたけれども、
アメリカの核特殊部隊の、放射線量の空中測定のやり方が、具体的に伝えられていて、
わたしはずっと、いったいどうして、あのような汚染マップを作成することができるのかに興味があったので、そこの部分だけでも記事に書こうかと思っていました。
ところが、観ているうちに、あの未曾有の事故が起こった後の、まず国民の、人の命や健康を守ろうとしなかった官僚や政府の実態を、再度思い出されてきて、
これはやはり、文字起こしをして、ピンぼけでもなんでも、画面を写した映像と一緒に記事にしようという考えに変わり、起こし始めました。
あっという間に2時間3時間が経っていき、夜中になっても終らないので、あともう少しというところで中断し、今朝また続きをしようとパソコンをつけたら……、
またやってしまっていたのです……保存せずにパソコンを消したので、すべてが消えてしまっていました。
わかりやすいように、読みやすいようにと、段落や括り方を工夫して、何時間もかけて起こした文字と、
少しでもきれいな画像になるよう、いろんな角度やモードで撮った写真が、みんないっしょに……ぐわぁ~ん……。
いったいこんなことを何回したら、わたしは学習するのでしょうか……。
ということで、朝からドド~ンと落ち込みましたが、こんな時こそ深呼吸してスマイル♪
気を取り直して、どなたかが、この動画について書いておられないかを調べてみました。
いらっしゃいました!
ありがたいです!
竹下雅敏さんとおっしゃる方が、端的に、そしてとても美しい映像とともに、この動画をまとめてくださっていました。
感謝とともに、ここに転載させていただきます。
(動画はDaily Motionのものなので、ここには載せられません。この青い部分をクリックして、別の画面でご覧ください)
↓以下転載はじめ
隠蔽か黙殺か ~封印された汚染マップ~
【テレメンタリー(2014年2月16日)】Daily Motion 14/2/19
文字データはこちらから転載させていただきました。
東日本大震災の直後、アメリカが下したある決断-それは、核テロや原発事故へ対応するスペシャリスト「核特殊部隊」を日本に派遣すること……。
カート・キャンベル国務次官補(当時)
「アメリカは、絶望的な大惨事になる可能性も考えました。政府は汚染状況がどれくらい危険かを確かめようとしたのです」
核特殊部隊の切り札は、空中測定システム『AMS』。
上空から地上の放射線量を実測し、広範囲に汚染状況を分析できる。
ジョン・ルース駐日米大使(当時)
「目的は、出来る限り最高の情報を得て、日本が危険に対処する手助けをすること」
その当時、日本はまだ、人海戦術による陸上モニタリングに頼っていた。
事故発生から6日後に行われた、福島第一原発周辺の陸上モニタリング結果……これでは、汚染状況を点でしか把握できない。
班目原子力安全委員会委員長(当時)
「ほんとにポツンポツンとあるだけなんです。場所によっても全然値も違いますし、全体として本当にどうなっているんだろう……」
来日した部隊は、上空からの測定で、地上1mの高さの放射線量を算出。
測定値と地理情報をあわせ、汚染マップを作成した。
今中哲二助教
「NNSA(特殊部隊)は、とにかく福島の上空をバーッとヘリコプターや飛行機で飛ぶわけですよね…」
福島第一原発から半径45kmの地域を、およそ40時間以上飛行。放射能汚染の全容を把握していた。
今中氏
「浪江から飯舘、福島のほうへ汚染が広がったのが分かります」
完成した汚染マップ。
北西方向に30km以上、1時間当たり、125μSvを越える汚染地域が広がっていた。
汚染状況を予測する『SPEEDI』の公表遅れが問題となったが、SPEEDIは、あくまで予測値である。
『AMS』が決定的に違うのは、これは実際に測ったデータだったということ。
班目氏
「(AMSは)まさに実測値ですから、SPEEDIを使って予測するより、はるかに信頼性が高いので、これをもとに色々な決定をすべきじゃないかと思ったくらい」
しかし情報は公表されず、わざわざ放射線量の高い福島県北西部に避難してしまった人も多い。
3人の子どもと、浪江町から避難した被災者。
汚染された食べ物による、内部被曝を心配する。
「山に入って、椎茸とかそういうものをとって食べてました。水も山の引っ張り水とかだったし…」
WBC検査の結果、高校生の長男から、微量のセシウムが検出された。
更に甲状腺からも……。
のどのエコー検査で、(のう胞が)3つか4つ見つかったんですけど……『なんで俺ばっかりでるんだ』って言ってたのは覚えてますけど……」
「政府も他人事ですよね。
(汚染マップの情報を)言ってくれれば、もうちょっと正しい判断ができたんじゃないかなって思いますけど…」
だが、この汚染マップの存在が取り沙汰されるのは、事故から1年以上も経ってからの事。
なぜ、汚染マップは封印されてしまったのか?
福島第一原発事故以来、日増しに募るアメリカの危機感……。
3月14には、1号機に続き、3号機でも水素爆発。
日本では、情報不足が、混乱に拍車をかけていた。
その頃アメリカでは、情報収集のため緊急招集された、核特殊部隊の精鋭33人が、およそ8トンの機材を積み日本に向け出発。
17日には、被害状況の測定にとりかかった。
-ちょうどその日、アメリカで、独自の避難勧告が発令される。
カーニー報道官
「福島第一原発から半径80km圏内にいるアメリカ人に対して、避難をするよう勧告する」
アメリカが、半径80km圏内の避難指示を出したのに対し、
日本はまだ、半径20km圏内を避難範囲としていた。
汚染マップを見ると、避難対象から外れている場所でも、放射線量が高い地域がある。
ラスト・デミング氏
「ホスト国と異なる発表をするのはやりにくいものでしたが、日本はアメリカと違う判断をしていたので……」
カート・キャンベル氏
「日本よりも避難範囲が広かった理由は、アメリカが慎重であったからです。
ごく短い期間ですが、日米間には緊張した空気がありました」
避難指示にあたって、アメリカでは、『AMS』の実測データが重要な役割を果たす。
ケビン・メア氏
「どこまで汚染されているかを、出来るだけ早く測りたかった。
50マイル(80km)の避難区域で十分か、もっと縮小すべきかを判断する時に、もちろんそういう情報も使っていました」
NRCの電話会議録でも、汚染マップを有効活用したことが伺える。
「汚染が集中しているのは、現場から北西方向であることが分かりました。
約20kmを越えて、帯状に、4日間で10mSv近くに達したり、それを越える地域があります。
80km圏内の人を避難させる我々の提案は、正しい決断でしたね」
独自データをもとに、米軍の撤退も検討された。
マイケル・マレン氏
「同盟国の支持だけでは済まされなかった。多くの部下も、放射能にさらされる危険がありました」
キャンベル氏
「撤退案は、確かに検討しました。しかし、オバマ大統領と大統領補佐官が、米軍に断固として『撤退するな』と命じたのです」
もし、日本が同盟国でなければ、全米軍が国外退去していた可能性もあったという。
DOEポネマン副長官
「AMSによる最初の調査を行い、情報収集しています。すべて、日本政府と情報共有しながら進めています」
DOEのAMSのデータはこちら▸http://energy.gov/downloads/us-doennsa-response-2011-fukushima-incident-data-and-documentation
日本に留まる事を決めたアメリカは、自国民を守るためにも、日本への情報提供を続けた。
ラスト・デミング氏
「私たちが得た情報は、出来る限り日本に提供していました。アメリカ側としては、まったくダブルスタンダードはありませんでした」
グレゴリー・ヤツコ(元NRC委員長)
「私たちが焦点を当てたのは、出来る限りの情報を提供することです。AMSのデータもありました」
測定前に打診を受けた日本政府の対応が、こう残されている。
「日本政府は、AMSの測定を含む、エネルギー省放射線プログラムチームの支援を受け入れた」
カート・キャンベル氏
「これは、日米共同の決断でした。原発周辺の状況を把握するために専門家が必要だと、日米両政府が判断したのです」
番組が入手した内部文書(3月18日のメール)によると、AMSのデータは、翌日には、外務省を通じて、原子力安全・保安院に送られた。
(メール)
「訪日中のアメリカエネルギー省の行った、モニタリングの結果をまとめた資料が、在京米大使より送付されてきました」
資料は、文科省にも届けられた(3月20日のメール)。
しかし……。
カート・キャンベル氏
「危機レベルが極めて高いのに、日本の対応はすべてを否定するというものでした」
データ提供後も、日本では……。
枝野会見(3月21日)
「大気中の放射性物質の濃度について、詳細も文科省から報告をさせていただいているが、全く人体に影響を与えるようなレベルのものではない」
-汚染マップが、活用されることはなかった……。
田坂広志氏
「実測の技術……航空機で実測していくという技術は、日本に比べて数段進んでいますね。
ですから、これくらい迅速に、データをとるわけです。
堂々と活用するという考え方を、本来ならとるべきだろうと思います」
今中哲二氏
「それに基づいて、その汚染地域の人たちに対して、警告なり避難指示を出したりすることが、もっと早くできたはずだと」
情報を受け取っていた保安院は、こう弁明する。
「データを全部、一元的に管理して公表するのは、文科省の役割……。
こういう海外のところについては、どうするかというのは、必ずしも明確でなかった」
一方の文科省は……。
文科大臣(当時)
「文科省の立場でいくと、地上でのモニタリング担当ということでありまして……保安院の方へ(モニタリング結果は)送られているということですから……」
責任を押し付けあう、保安院と文科省。
官邸に助言をおこなう、原子力安全委員会にもデータが届けられたが……。
Q.(原子力安全委員会の)委員長のお立場で、「なぜこの地図を使って避難しないんだ?」と、一言いうことは出来なかったのか?
班目氏
避難をするかしないかということに関しては、避難指示を出すのは政府の仕事で、安全委員会はそこまでは言えないというか……」
国会事故調査委員会は、縦割り行政の結果、情報が止まったと結論付けた。
“文科省は、このデータを、自らが所管するモニタリングのデータでないとし、官邸に伝達しなかった”
“保安院においても、官邸に送付した形跡は認められない”
(国会事故調査報告書より)
カート・キャンベル氏
「私個人は、そのデータを、駐米日本大使藤崎氏に渡しましたし、大使に渡された情報は、すべて総理に渡ったと思います」
実は、アメリカは、測定直後からホームページで、汚染マップを公開している。
ケビン・メア氏
「おかしいでしょ。
一番重要な問題があった時に、どういう情報があるか(官邸が)知らないという立場であるのは、ちょっとおかしいと思いますよね。
菅政権のやり方、あんまりうまくいってなかったと、はっきり感じました」
しかし……。
枝野氏(議会答弁)
「なぜ、官邸に報告があがらなかったのかについては、厳しく経産省内・保安院に問い正しているところで……」
完全否定する官邸サイド。
だが、国会事故調の元委員は……。
野村修也氏
「どう考えても、この情報というのは、いろんなところから耳に届いていたんじゃないかと思われる。
国というのは、そんなに情報に疎いわけではなくて、やっぱり国家の中枢は、情報はきちっと取れなければいけない」
核特殊部隊のデータは、測定をサポートした防衛省にも入っていた。
Q. その話(AMSの測定について)は、北澤元大臣のもとにも入っていましたか?
北澤俊美(元防衛大臣)
「もちろん入っています。防衛省は(米軍と)一緒に仕事をしてたから、情報を早く入手できる」
Q. 初めて(AMSの)結果をご覧になった時はどういう風に思いました?
北澤氏
「大変な事態だってことは、我々もすぐ認識しました。活用したらどうかというのは、防衛省側の考えだった」
封印された汚染マップ……官邸サイドは、その情報が届かなかった、と主張した。
だが、当時の菅政権の主要閣僚は、こう断言する。
Q.(AMSのデータを)活用したほうがいいと、官邸に伝えたか?
北澤氏「それは、情報として、(官邸の)原子力災害本部へは、どんどん出してましたから……」
Q. モニタリングの結果を、官邸が知らないということは?
北澤氏「ありえない。私はそれはないと思いますよ」
Q. それは早い段階で?
北澤氏「うん」
Q. それくらい重要なデータということ?
北澤氏「そう。……それは官邸が知らないことはないと思う」
番組が、情報開示請求をして入手した、日米首脳の電話会談の記録。
オバマ大統領
「エネルギー省から専門家を派遣している。彼らはアメリカでもっともよい人材であり、日本の対策本部と協力している」
核特殊部隊の派遣は、オバマ氏から菅氏へ、直接伝えられていた。
公表されなかった背景を、関係者たちは、
キャンベル氏
「日本政府は、パニックを引き起こすことを恐れて、アメリカとは少し異なる立場をとったと思います」
北澤氏
「特に放射能の高い所に避難指示を出すとなると、多分混乱を起こすと、その地域に過重な恐怖感を与えると……そういう考えがあったのでは……」
菅元総理とは、数ヶ月に渡り書面や電話で交渉したが、インタビューは実現しなかった。
しかし、官邸の原子力災害対策本部にいた福山氏は、汚染マップの存在を覚えている。
福山哲郎氏
「3月20日前後だったと思いますが、アメリカの航空モニタリングで、こんな結果だというのを、A3版の非常に大きな資料として、
東北全体の地図があって、モニタリングで色分けされているような資料をもらった記憶があります」
Q. それは総理とも共有されていた?
福山氏
「当然です。
当時は、官房長官と総理は、ずっと一緒にいたと言っても過言ではないくらい……まあ、官邸では共有しています」
Q. 国内での公表は出来なかったのか?
福山氏
「アメリカの測定値を日本が公表する……それはアメリカの持っているものですから……」
外務省の内部文書には、こんな記述(3月24日)が記されていた。
“在京米国大使館から外務省に対し、本件モニタリング結果は公開されており、日本側での公開も可能である旨の連絡あり”
アメリカの測定で、高濃度汚染が確認された飯舘村に、5月末まで留まってしまったある親子。
母
「後から子どもたちの部屋の線量を測ったら、高かったんです。分からなくていてしまったので、仕方ないです」
娘の甲状腺に、2センチほどの膿胞がみつかった。
母
「長女には、結局言ってないです……『大丈夫だったよ』としか……。
(汚染マップが)どこで止まってしまったのか、止めたのは誰なのかって言いたいところです。
悔しいというか、怒りというか、ちゃんとご存知の方はいたんですね」
政府が、汚染の激しい福島県北西部の一部を、計画的避難区域に指定したのは、核特殊部隊の測定から1ヶ月以上が経った、4月下旬。
ほぼ、全住民の退去が終ったのが、7月……。
時計の針は、もう巻き戻せない……。