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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「電気の代わりはあるけど琵琶湖の代わりはない。そして命の代わりも」滋賀県新知事・三日月氏

2014年07月14日 | 日本とわたし
無所属新人の元民主党衆院議員三日月大造氏が、無所属2新人を破り、初当選されたんですね。
その無所属2新人の中のひとりは、自民、公明両党推薦の、元経済産業省官僚小鑓隆史氏やったんですね。
そして投票率は、50%を、わずかとはいえ、上回ったんですね。

八百長は、50%を超えると、しにくくなるのかな。

だったら、最低でも50%以上の、有権者のせめて半数の大人たちが投票したら、とりあえずはまともな、世論が反映された結果が出るのかな。

いずれにせよ、自民党の好き放題の悪行に辟易している大人が、滋賀県には他の県よりたくさんおられるのだと、
そしてその思いを投票という行為で示す、主権者としての義務をきちんと果たした方が、ふたりにひとりはおられたのだと、
元滋賀県の住民としては、とても嬉しいニュースとなりました。

ありがとう滋賀県民さん!
他の県のみなさんも、滋賀県に続いて欲しい!
特に、次に選挙を控えている長野県、香川県、福島県、新潟市、愛媛県、福岡市、沖縄県、和歌山県の主権者のみなさん、ぜひぜひ滋賀県に続いて欲しい!

長野県知事選(8月)
香川県知事選(9月)
福島県知事選(11月)
新潟市長選(11月)
愛媛県知事選(11月)
福岡市長選(12月)
沖縄県知事選(12月)
和歌山県知事選(12月)

心からそう願います。

「電気の代わりはあるけど琵琶湖の代わりはない。そして命の代わりも」
と、三日月氏はおっしゃったそうです。

卒原発&集団的自衛権反対をはっきりと打ち出した上での当選。
自民党の名の通った議員が、100名近く滋賀県に送り込まれ、おなじみの経済活性化&インフラ整備などをエサにしたバラマキ戦略を展開しました。
それでも負けた。勝てなかった。
民意を投票という形で示した滋賀県の有権者のみなさんに、権力やカネが勝てなかった。

日本を地方から変える。
そのはじめの一歩!
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『正常化』を“偽装”する政府に不信感⇒川内村の避難指示解除見送り⇒なんとお粗末で安易な『正常化』

2014年07月14日 | 日本とわたし
福島県川内村、26日の避難解除見送り 住民の反対相次ぎ、再検討へ 
「正常化」を”偽装”する政府に不信感(各紙)

2014年7月14日

各紙の報道によると、
政府は13日、東京電力福島第一原発事故後に避難指示解除準備区域としている川内村の避難指示解除を当初、26日としていたが、
住民の間に不安が強いことから、26日の解除を見送ることにした。

13日、川内村と郡山市内で開いた住民向け説明会で、住民からは、
村の生活環境の整備が不十分である、放射能汚線量が高い地域があるなど、不安意見が、相次いで出された。



村内の懇談会には約60人、郡山市には約20人が参加した。
政府は説明会で、区域内の放射線量の一定程度の低減を踏まえて、「解除の条件はおおむね整った」と説明、
26日の解除に理解を求めたが、こうした政府の「正常化」強調に対して住民たちは、
実感としての不安と、政府の「帰還促進」姿勢に、不信感を示した形だ。

また住民の間からは、「帰っても仕事がなく、生活が不安定になる」などの不満の声もでた。
放射能除染で表面的な線量を低減できたとしても、「正常化」はそれだけでは実現しない。
普通に暮らすためには、働く場が必要だし、子どもたちが安心して遊び学べる場、家族や友人と語らい、談笑できる環境の回復が必要である。

避難指示解除準備区域の、年間被ばく線量20ミリシーベルト以下を一時的に確保するだけでは、生活の復興につながらないことを、住民たちは肌感覚で感じているといえる。
霞ヶ関、永田町で報告されてくるデータだけをみて判断しているようでは、住民との差は埋まらないだろう。

遠藤雄幸村長は、懇談会最後のあいさつで、解除に向けた村の検証委員会が、28日にも中間答申をする予定とした上で、
「検証委の答申を踏まえて、解除時期を判断したい。26日の解除は政府に再考してもらい、もう一度協議する時間が必要と感じた」と述べた。
復興庁の熊谷敬統括官も、解除しない方針を示した。
区域内では、4月26日から3カ月間、帰還のための準備宿泊(長期宿泊)が行われており、
25日で期限が切れるため、期間を延長した上で解除時期を再協議する
見通し。

以上、転載おわり


この、帰還のための準備宿泊というのが行われる、というニュースを聞いた時からずっと、
いったいどこの誰が、どういう確証でもって、この避難指示解除というものを行い、帰還のための準備などといって、3ヵ月もの長期宿泊を提案したのか。
ということについて考えていました。

報道によると、
長泥地区では、故郷の景観を守ろうと、年に数回、住民らが集まって、桜並木や道路の手入れを行っているのだそうです。
生業、そして何世代もかけて受け継がれてきた農地や集落。
それらをすべて、一瞬にして奪い取られてしまった住民の方々の気持ち。
過疎の農村で、13年だけとはいうものの、嫁として暮らしたことがあります。
強いつながり、しがらみ、良くも悪くも深い絆が、小さな村には存在しています。

どうやったら、あの事故の直前まで、活き活きと生きていた地域を継続し得るのか。
国や県は、地域内で決めろと言う。
だから自分たちでやっていくしかない。
そんなふうに思い詰めている年配の方々。

国は、原発事故の直後は、『積算線量』(将来どれだけ被ばくするかの目安)を知ることが重要だ、と言っていました。
なので、この帰還解除を言い出した時、政府が発表した被爆線量は積算などではなく、帰還後たった1年の被爆線量だけです。

避難指示を解除すると、解除後1年で、賠償が打ち切られます。
原発事故の処理費用を抑える為には、強引にでも、避難指示を解除する必要があるのですね。


「道路の復旧も終わっていない」
「自宅前の道路の放射線量が下っていない」
「(商店や病院などがある)他町村が帰還できなければ、インフラが戻ったとは言えない」
「除染土の仮置き場が撤去されていない」

懇談会では、市民の方々からの、そんな苦情や指摘が相次いだそうです。

政府の出した避難指示解除は、なんとお粗末で安易なものだったか……。
そんなことをする政府を、いったい誰が信じられるのか……。

年間被ばく線量20ミリシーベルト以下を一時的に確保するだけでは、生活の復興につながらない

そういうことを我が事のように捉え、考えることができるまともな人が、決議の権利を持てないまま、月日だけがどんどん過ぎていってしまう……。
こんな現状にどうやったら終止符が打てるのか。
そのことを考えています。

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13th Annual Master Jou Tai Chi Festival

2014年07月14日 | 世界とわたし
気功瞑想の先生ミリアムとクラスメイトのマリアン、そしてわたしの3人で、ニュージャージー州の最北にある町で行われるワークショップに行ってきた。

早起きが超~苦手のわたしだけども、ほんでもって、なんだかイヤ~な疲れがどんどん増してきた感じがする週末だったけれども、
さらにさらに、もしショーティが生きてくれてたら、キャンセルする気まんまんだった行事だったけれども、
ずいぶん前から計画していたことだし、泊まるモーテルの予約もしてくれてあったし、なにより大好きな友だちと一緒に行くのだからと、
うじゃうじゃ考えてる自分の背中をエイッと押して、5時に目覚ましをセットして寝た。
でも、興奮してるのか、ほとんどちゃんと眠れぬままに朝になり、シャワーを浴び、車の中で食べる朝食用に、3人分の梅干しおにぎりを作った。

まずはマリアンの住むアパートに到着(写真は、彼女のアパートのお向かえにある教会。数年前の夏に、バイトで演奏した)。


彼女の荷物といったら……コーヒーメーカーにミントの葉っぱ一束、クッキー各種にスイカ、山奥に1週間キャンプしに行くような勢いである……。
次にミリアムを拾って、ひたすら北に向かう。

会場は、森の中の一軒家。


レジスター待ち。


太極拳、気功、そして瞑想の世界。






こんな素晴らしい自然を目の前にして、この檻は気の毒過ぎる……と思ったけれど……。


大好きな友だち、ミリアム&マリアン♡


再び、太極拳、気功、そして瞑想の世界の数々。






ここのテントの中では、講師たちが書いた本やCD、DVDやTシャツ、その他もろもろの関係グッズが売られていた。


チャイニーズ・ヨガ(すご~くおもしろかった)のJianye先生。


どうやって自分で自分の整体をするか、を教えてくれたJohn先生。


太極拳パフォーマンス。










関節をリラックスさせるクラス。


5分でできる、簡単自己治癒力を向上させるマッサージを教えてくれたSiobhan先生。


この丘を下りていった所に、めちゃくちゃきれいな川が流れてた。


マスター・ジョーの遺影が飾られている一角。
まだまだ長生きするはずだった彼は、スーパーから出てきたところでトラックに轢かれて亡くなったらしい。


このセミナーの講師はみな、マスター・ジョーのお弟子さん。

その中でもとりわけ彼女の講座は、どれもこれもとても分かりやすくて興味深かった。


足裏のマッサージの説明中。








ここが食堂。1700年代に建てられた家。




ちょいとベンチに寝そべる。


お泊まりのモーテルに行く途中の信号待ちに、突如現れた消防車。
サイレンとクラクションの合間に、若者の歓声が聞こえる。
なにかで優勝したお祝いだね。子どもたちがニコニコ笑いながら、トロフィーを高く掲げている。


モーテルまで、迷いに迷った。
一緒のモーテルに泊まる、ミリアムの水曜日のクラスの生徒ジョーは、あまりに迷い過ぎている我々の後を付いて来るのに嫌気が差して、
「これからはボクが先導するから付いてきて」と行って先を走ったけれどもやっぱり迷い……、
結局は、丘の上にあるモーテルから、グルグルと同じ所を走っている我々を見下ろしていた従業員さんの誘導に従って、無事到着……やれやれ……。

その夜の目的だったお月見。
直前に、真っ黒な分厚い雲に覆われたかと思うと大雨が降り、そのあとみるみる雲が散っていって……。


プッシュハンズの講座で、見知らぬ人とペアになり、ただただその人の目を見つめるという練習をした時の混乱と居心地の悪さを話すと、
そこからどんどん話が広がっていき、アメリカ人のマリアン(両親はアイルランドからの移民)、イスラエル人のミリアム、黒人のジョー、そして日本人のわたしの、
それぞれの国のこと、世界のこと、そして自分自身のことなど、満月の光の中に、いろんな言葉が飛び交った。
そして突如、マリアンが、椅子ごと倒れた!
ちょっとだけ傾斜があった所に彼女は座っていたのだけれども、彼女が持っていたマグカップが、コロコロと丘を転げていったのを見た直後、
ケラケラと笑う彼女の声が聞こえて、よく見ると彼女は、芝生の上で仰向けになったまま笑っていたのだった。
それを見た我々も、助け起こしに行きながらも、ゲラゲラを大笑い。
もちろん彼女は、体の左側を、椅子の腕とアスファルトでしこたま打ったわけで、笑い事ではないのだけれども、
彼女があまりにも楽しそうに笑うので、我々もそれにつられて大笑いした。
ミリアムがボソッと、
「実は、今日のクラスの途中で、サンドラも椅子ごと倒れたのよ。二度あることは三度ある、ってなことにならなければよいのだけれど……」
と、ちょっと不吉なことを言った。

翌朝も早起き。
近くのダイナーで朝食を食べる。
この建物もめっちゃアンティーク。


店は、バイクのライダーたちで混み合っていた。近くで祭りが行われているらしい。

ブルース&ビリー先生による、太極拳と気功の合体講座。


ボブ先生の、プッシュハンズの初心者向け講座。




そして、関節を広げる講座を教えるスティーブ先生が、なにやら漢字を書き始めた。




この後、一大事が起こった。

どういう経路でその動きをすることになったか、それがどうも思い出せないのだけど、
近くに居る人とペアを組み、向かえ合わせに立ち、ひとりは胸の辺りでクロスし、あとのひとりがそのクロスした腕の部分を押す、という練習をすることになった。
ほとんどの人が、もともとの友だちとペアになり、わたしはひとり残っていた、赤いTシャツを着た男性とペアを組んだ。
わたしが胸の辺りで腕をクロスし、真向かえに立ったその男性が、わたしの腕を押すことになった。
彼はほとんどうつむいていて、何も話さなかったけれど、押す直前にわたしを見つめ、「Are you ready?」と一言聞いた。
「I'm ready」とわたしが言った瞬間、彼は両手を突き出してわたしを押したのだけども、その力があまりに強かったので、わたしは腕を前で組んだまま吹っ飛んでしまった。
そしてそのまま、地面に倒れ、背中と後頭部を強く打った。

ゴツンという鈍い音がして、少しの間何も見えなくなった。
気がつくとわたしは地面の上に仰向けに寝ていて、おでこの辺りが滅茶苦茶に痛み、前歯の付け根がビンビンと痺れて話せなかった。
しばらくまともに答えられなかったので、医者と看護士がやってきて、眼球や首の辺りをチェックしてくれた。
30分ほど寝たままでいて、その間に、さまざまな資格を持つ人が、あれこれと世話を焼いてくれた。
恥ずかしいやら申し訳ないやら……。
あんなふうに、まるで木偶の坊みたいに、手を胸の前で組んだまま立っているべきではなかった。
クラスを台無しにしてしまった……などなど、後悔ばかりが頭に浮かんできた。
だんだんと、寝た状態から上半身だけ起き上がった状態、そこから椅子に座り、そして立つまでに、充分に時間をとってくれた。

最後まで付き添ってくれた、催眠療法や気功治療のドクター、ジョナサン先生の手が、背中を温めてくれていた時、突然泣きたくなってしまった。
「我慢してはだめ」という彼の声を聞いた途端、おいおいと泣き始めた自分に戸惑ったけれども、ここはもう泣きたいだけ泣こうと思い直した。
押した彼だってびっくりしただろう。
だから、わたしはもう大丈夫だと言いに行きたかったけれども、
事態を知ったミリアムが、彼があの後その場から逃げ去ってしまったこと、落ち着いてからも、一度もわたしの様子を確かめに来ないことに怒って、
「誰?どこに居るの?わたしが一発パンチをお見舞いしてやる!」と言ったので、とりあえず誰が彼なのか言わないでおくことにした。

会場のスタッフは皆、とても親切で、いろんな講師の人たちも、それぞれにできる簡単な治療を施してくれた。
痛みや凝りをやわらげるクリームやオイルもくれた。
昼食を、一番に、取らせてくれた。
いっぺんに、どちらかというとあまり格好よくない事情で、すっかり有名になってしまった。

最後の講義(痛みをやわらげるための太極拳と気功)も、とりあえずゆっくりと、座ったまんまで受けた。 


帰りの車は、わたしが運転をした。
車中、ミリアムの親友の旦那さんが、12才の娘と一緒に旅行中に、突如、脳梗塞で亡くなってしまったという話を聞いた。
さらに、ミリアムの家族や親族がたくさん暮らしている、ガザのことも話した。
避難できた家族もいる。
仕事を放り出したら、家族を食べさせていけないからと、今だに、ガザにある会社に通勤している家族もいる。
ただの爆弾ならまだいいけれども、攻撃してくるミサイルを追撃するミサイルが空中で爆破した時の爆音は、耐えられないほどうるさい。
そんな話を淡々とするミリアム。
イスラエルが抱えた問題や苦難は、あまりにも複雑で、一言では説明できない。
それを、報道機関は、知った顔をして、善悪、白黒、勝手に口々にしゃべっている。
際限のない愚か者による、際限のない愚行。
もうどうにもならないという絶望と、それでも希望を捨てずに生きることへの渇望が、彼女の心の中で渦巻いている。


家に戻ってから、旦那に事情を話し、治療をしてもらった。
どんどんと悪化しそうだった首の付け根のつっぱりや痛み、それから頭痛が、ずいぶん軽減した。
フェスティバルのスタッフも、旦那が鍼灸師であることを告げると、心からホッとしたような顔をした。
ありがたやありがたや。

とまあ、かなり痛いハプニングに遭ったけれども、そしてそれは、わたしだけではなくて、サンドラもマリアンも遭ってしまったのだけれど、
朝から夕方まで、森の緑に包まれて、いろんな体験をさせてもらった。
ミリアムの水曜日のクラスの、サンドラとデラ、そしてジョーの3人はみな、数年~10年前に脳梗塞を患い、リハビリをしながら暮らしている。
サンドラの症状は、3人の中でも一番重く、言葉が少し不自由で、杖がないと歩けないし、体が常に揺れている。
わたしはどの講義よりも、その3人から、とても大切なことを学んだような気がする。

また来年も行こう。
そして、同じような動作の練習があった際には、少々強く押されても大丈夫なように、ちゃんと後ろ足を踏ん張るように気をつけよう。
まだまだ学ぶことはたくさんあるのだ。
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誕生日初体験『平成中村屋・怪談乳房榎』

2014年07月14日 | 家族とわたし
7月10日は、旦那の誕生日だった。
ついに40代最後、50代へリーチをかける年になった。
といっても、別になにがどうこうというわけでもない。
わたしが、まるで特別な感慨を持たなかったのと同様に。

こちらでは、大人も子どもも一様に、誕生日を盛大に祝う。
電話がたくさんかかってきたり、レストランでは従業員のみなさんによる、オリジナルでハッピーなお祝いがあったり、
プレゼントがあちらこちらから送られてきたり手渡されたり、それは年令に関係なく起こる。

朝起きた時から寝る直前まで、誕生日であることが嬉しいように。


息子たちはそれぞれに、父親との会話の中からヒントを得た物をネットで注文し、それを送ってくる。
それって、普段からそういう思いやりがなければ見つけられないことだから、余計に嬉しかったりする。
そしてまなっちゃんは、『平成中村屋』の公演のチケットを、旦那とわたしにプレゼントしてくれた。
きゃ~!!
旦那は歌舞伎が初めて。わたしはこの『平成中村屋』の前回の公演が初めてで、だからこれが二回目。

チケットをバッグに入れて、いざ出発。
リンカーンセンターのすぐ側にあるレストランで、軽く腹ごしらえ。


時間が30分弱しか無いけれど、小腹を満たしたい我々に、めっちゃ協力してくれたウェイトレスさん。
窓が取り払われた店内に、爽やか~な風が流れ込んでくる。


よっしゃ、あと5分強で開演。間に合った!と意気込んでセンターに向かったが……。


前回は、このお店を一通り見学してから、すぐ後ろの建物に入っていった覚えがあるのだけれども……。




どうも様子がおかしい……。


「ちょっと、チケット見せて」と旦那。
ゴソゴソとカバンの中から取り出して見せたら……。
「JAZZ AT LINCOLN CENTERって書いてあるやん!?」
うげげっ!!

焦りまくってコロンバス・サークルにあるJass at Lincoln Centerまで走り、とりあえず開演2分前に到着。


席は3階で、しかも翻訳器無しでは訳が分かるまいということで、それを獲得するのにさらに時間がかかり……、
焦りまくりながらも、とりあえず幕が開く前に着席。ふぅ~。


演目は『怪談 乳房榎』。
中村勘三郎さんが生前、3度目のNY公演はコレでいこう、とおっしゃっていたものだそうな。
それを息子の勘九郎さんが引き継ぎ、見事なひとり三役を見せてくれた。

もちろん撮影禁止なのだけども、最上段の我々の席には見張りの人がおらず、それをよいことにパチリ。
ニューヨーク公演に合わせて、英語の達者な役者がふたり、面白おかしく会場を沸かせる。
これは、次の幕では、あなた方は多分水浸しになるのでと、客に簡易レインコートを渡して着させているところ。


これがこの演目のクライマックス、角筈十二社大滝の場。


ここで、勘九郎さんが演じる3人が、すべて出てくるのだけども、
殺す殺されるで格闘をする正助と三次、その様子を見る、すでに殺された重信と、
その3人をひとりで演じる勘九郎さんの、いったいどこでどうやって入れ替わっているのかがさっぱりわからない、
というか、入れ替わることなど不可能で、まるで信じられないというような変身ぶりに、頭の中が?マークだらけ……。
しかも、キャラクターがまるで違うので、姿形が変わったら良い、というわけでもない。
本人はもちろんのこと、それを支えているスタッフのみなさんの心意気と奮闘ぶりが、ひしひしと伝わってくる舞台だった。

↓これは勘三郎さんのもの。


カーテンコール。
極悪人浪江役の中村獅童さんと勘九郎さん、そして重信の美しい妻お関役の中村七之助さんが真ん中に。


ロビーには、会場側の計らいで、勘三郎さんの遺影が掲げられていた。


翻訳器の返還にめっちゃ時間がかかった。


実はこの翻訳器、もしもの場合を考えてわたしも借りてみた。

今回は、役者さんたちの言葉が分かりやすくて、話もシンプルだったので、翻訳など必要が無かったのだけども、
訳する男性の声が大き過ぎて、結局役者さんたちの声色や表情、歌舞伎独特の雰囲気などが聞き取れず、これはちょっといかがなものか、と思った。

なにはともあれ、歌舞伎のことをろくに知らないわたしだけども、この『怪談乳房榎』は超~お勧めです!

Jazz Centerならではの雰囲気。




会場に来ていたまなっちゃんと一緒に、電車で家に戻る。
夏になると現れる、駅名物の巨大扇風機。


すっかり遅くなった。
玄関ドアのむこうに、こんな遅くまでわたしを放っといて……とばかりに、ちょっと拗ねてるショーティがいない。
お墓に、「ただいま」と声をかけた。
ショーティがいない、はじめての誕生日。
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