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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「イスラエルが「安全保障上、必要」と言うと、それですべてが許されてしまう」JVC今野泰三氏

2014年07月25日 | 日本とわたし
もう一度、2回に分けて、ガザのことを書きます。
あの地域の問題について考えるには、わたしの知識は足りなさ過ぎます。
なので、とにかく、分かりやすく説明してくださっているものを読めるだけ読んで、まず知ることから始めないとと思っています。
ガザのことばかり考えているのではないのですが、こんなふうに、物事を選んで行動していくしか、わたしには術がありません。
その時その日、選んだことを中心に、考えたり書いたり行動したりしていますが、
わたしの思いは、日本はもちろんのこと、世界中で、さまざまな理由で苦しめられている、命を奪われている子どもたちに向けられています。
あまりにも広範囲であまりにも多い……本当に、世界は変わらなければならないと思います。
そのためには、わたしたちひとりひとりが、変わらないといけないと思います。

この記事も、岩上氏が主催するIWJウェヴジャーナルに掲載されていたものです。
このIWJを応援したくて、わたしは有料会員になったのですが、毎日送られてくるニュースは読み応え満点で、その量もとても多く、完全に読み終えられないまま翌日を迎える、という日も少なくありません。
財政難が続く中、それでも勢力的に、わたしたちが知るべきことをコツコツと取材し、分かりやすくまとめ、伝えてくださる責任者の岩上氏と、彼を支えるスタッフのみなさんを、どうか応援してください!

↓以下、転載はじめ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/155290

パレスチナで支援活動を続ける、JVC今野泰三さんインタビュー
【前編】 ~2年ごとの攻撃、イスラエル政府の狙いとは?

(聞き手:ぎぎまき)
2014年7月21日

イスラエルがガザ空爆を開始したのは、奇しくも日本では七夕にあたる7月7日。
あれからすでに、2週間が経とうとしている。

15日には約200人だったパレスチナ人の死者の数は、イスラエル軍が地上侵攻を始めたことで、19日現在、300人を越え、その数は激増した。
イスラエル側の民間人の死者は2人、兵士の死亡者数も増え続け、軍が手を緩める気配はない。
これ以上、被害が拡大しないよう、一日も早い停戦を願うばかりだが、解決策はどこにあるのか。

7月18日、イスラエルの大学で政治学を学び、2年前からパレスチナ現地で支援活動を続けている、日本国際ボランティアセンター(JVC)の今野泰三さんに、
ニュースからは伝わってこない、普段のパレスチナ人とイスラエル人の、素顔についてうかがった。
前編では、中東問題に興味を持ったきっかけから、今野さんが知るガザの日常と、イスラエル社会についてお伝えする。

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記事目次
汚染された水を飲んで命をつなぐガザの人々
世界はガザの暮らしを想像することはできない
イスラエル政府とイスラエル社会
反ユダヤ主義とヨーロッパの責任

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Q. 日本国際ボランティアセンター(JVC)とはどんな活動をしているNGO団体ですか


▲日本国際ボランティアセンター(JVC)、パレスチナ現地代表の今野泰三さん。
インタビューを行なったのは7月18日。
今野さんは3日前に帰国したばかり。


1980年、当時、カンボジアからタイの国境に難民が押し寄せていて、彼らを支援しようと集まったボランティアが作ったネットワークが、元々の始まりです。
カンボジアから逃れてくる難民をいくら助けても、そもそも、何で難民になるのかが分からないと問題の解決にはならないと考え、
当時、日本政府は反対していましたが、難民たちが暮らしていた農村に入り、根本的な問題解決に取り組み始めました。


Q. 今野さんがJVCに努めることになったきっかけは

大学生の頃に、バックパッカーとして、パレスチナ、イスラエル、レバノン、シリアを訪ねていた年に、9.11同時多発テロが起きました。
ニュースで報道されている中東のイメージと、自分が見てきた中東のイメージが、あまりにもかけ離れていたことに驚き、中東問題に興味を持ちました。

2007年に、イスラエルのヘブライ大学に留学する機会を得て、2年弱留学し、ヘブライ語、アラビア語と、イスラエル政治を勉強しました。

パレスチナにNGOスタッフとして駐在し、働き始めたのは、2年前の6月です。
それから現在に至るまで、パレスチナ担当として、現地代表を努めています。
イスラエルがガザを空爆した今月7日は、ちょうど、JVCのエルサレム事務所にいて、ガザに入る許可証を申請している最中でした。その間に空爆が始まったので、今回はガザには入れず、現地の友人や同僚に、状況を聞いていました。


■汚染された水を飲んで命をつなぐガザの人々

Q. ガザの人たちからはどんな話を聞いていましたか

「怖い、本当に怖い」と。
イスラエル軍が、どこでも構わず攻撃してくると。
自分が住んでいるのは町の中心部だから、周辺部よりは安全だが、周辺部に住む親族や兄弟の地域は、今回の攻撃で、4、5回攻撃されている。
親族が2家族殺されて、いとこの女性と、女性の息子と娘が殺された、と言っていました。
もう1つの家族は、自宅にいたところを、6人家族全員、家ごと爆破されたそうです。

ガザは、23区より狭い面積に、180万人のパレスチナ人が住む、人口密集地帯です。
停電が続き、1日8時間しか電気が通ってないことから、下水施設が稼働せず、水道水が汚染されている
それでも、外に出て水を買いに行くのも危ないので、仕方なくその水を飲まないといけないと言っていました。


Q. 今回の空爆は、イスラエルの3人の入植者が行方不明になったことが発端だ、と言われています。
その事件について教えて下さい


パレスチナのヨルダン川西岸(以下、西岸)には、国際法に違反する形で、イスラエル人入植者が、60万人近く暮らしています
今回は、3人の男子生徒が、ヘブロン近郊にある入植地の学校から、ヒッチハイクで帰る途中、行方不明になりました。

イスラエル軍は、捜索活動と呼ばれるものを展開しましたが、
実際にやっていたことと言うのは、夜中に突然家に入り、バスタブやベッドを倒し、何百人ものパレスチナ人を裁判なしで連れていき、要するに誘拐して、監禁しました
その人たちが、事件に関わっているかもどうかも分かりません
そもそも、それは問題にもされません
それに対して、パレスチナ人の青年たちが、投石して抵抗し、軍は、ゴム弾や手榴弾を使って、鎮圧しました。
何人も死者、負傷者が出ました



Q. 軍のこうした強行的なやり方は、イスラエルでは報道されていたのですか

報道されていました
個人的に、イスラエルのメディアは、そこまで酷いとは思っていません。
右派の新聞もあれば、左派の新聞もある。
報道の自由は、ある程度保たれています
左派の中には、軍の強引なやり方に反対する人たちや、そもそも入植地に住んでいる人たちが悪い、という意見もありました。

※【ハアレツ紙】
A crisis explained: The kidnapping that sparked the latest round in the Israeli-Palestinian conflict


Q. なぜ刑事事件として扱わず、軍が介入するのでしょう

占領下であるから、というのはあります。
軍が好きな時に入って、好きなようにできるのは、過去40年間の、パレスチナの西岸とガザの現状です。
それは根本的に変わっていません。
その延長線上で、今回の強引なやり方も起きたと思います。
イスラエル政府は、3人が行方不明になった時点で、これは政治的目的による誘拐なんだと、しかもハマースがやったんだと決めつけましたが、未だにその証拠は出てきていません
犯人も逮捕されたのか、暗殺されたのか分からないまま、犯人の家とされた2軒が爆破されて、それでなんとなく終わってしまっている

法律で云々、証拠はこうで、この人たちが犯人ですという裁判は、全く行なわれないまま、今に至っています


Q.3人の遺体が見つかってから、イスラエル右派の市民が、報復として、パレスチナ人の男の子を生きたまま焼き殺すという事件も起きました

これについて、イスラエル政府は、殺人事件として扱っています。
そのうち6人がこれまでに捕まって、3人が現在裁判にかけられています。


Q. しかし、これだけでは終わらない。
なぜ、イスラエル政府は、ガザを空爆したのでしょうか


今回、イスラエル政府は、欧米社会に対し、イスラエル国民が誘拐されたのに、なぜ声をあげないんだという圧力を相当かけていたみたいで、
それで結局、欧米社会が折れて、一方的に、誘拐事件だけを扱って非難するということになりました
西岸で死者や逮捕者が出たり、家がぶっ壊されたりしたことについては、欧米社会は黙って見ていました

イスラエルが、「安全保障上、必要」と言うと、それですべてが許されてしまう
ヨーロッパでも、国によって対応は違いますが、ドイツはホロコーストの歴史があり、イスラエルに厳しいことを言うのは避けています。
他の国も少なからず、言い過ぎれば、逆に「反ユダヤ主義」と言われてしまう可能性があるということと、
アメリカが親イスラエルなので、アメリカ寄りのヨーロッパの国々は気を使って、悪いことは言わない、という両方の側面があるのではないでしょうか。


■世界はガザの暮らしを想像することはできない


パレスチナ周辺地図―著作者:現代企画室『占領ノート』編集班/遠山なぎ/パレスチナ情報センター"


Q. ガザと西岸における、普段の生活とはどんなものですか

東エルサレムの人たちは、イスラエルに併合されてしまっているので、ある意味どこにも行ける。
西岸にもいけるし、イスラエル側にも行けます。
仕事も西岸でもできるし、イスラエル側でもできるので、イスラエルに比べると経済レベルは低く、住宅建設の厳しい制限や分離壁による社会的・文化的な疲弊も深刻ですが、
それでも、経済的には、西岸やガザよりも全然いい


その次に、西岸には、国際援助が入ってきているので、入植地や分離壁によって一方的に土地が奪われ、占領による精神的プレッシャーはとても大きいですが、それでもそれなりに生活はできています。
ガザに関しては、完全に封鎖されて、7年が経ちます
ガソリンもほとんど入ってこない、物資も入ってこない、そもそも働く場所もない
農業が重要な産業でしたが、イスラエルは、建設した壁から内側にさらに2km、ガザの人々の立ち入りを禁止しました。
そこに農地があるので、今は使えなくなっています。

面積率で言うと約30%、さらに狭くなったことになります。


Q. 何を根拠に境界線を移動させたのですか

安全保障が目的、という主張ですね。
つまり、テロリストがやってくるから、自分の国の安全を守るためだと。
でも、立ち入り禁止区域を、一方的にガザの中に作るというのは、ガザをもはや占領していないというイスラエルの主張とは、矛盾するようにも思います。

1993年のオスロ合意にまで、話は戻ります。
オスロ合意は交わされましたが、ハマースや、イスラミック・ジハードと呼ばれる勢力が、これに反対しました
その理由は、国際法で保証されたパレスチナ難民の権利のほか、
違法な入植地や、イスラエルが一方的に併合した、東エルサレムに関する交渉を全て棚上げにし、占領の終結をもたらさない合意内容だったからです。
反対勢力は、イスラエル人やパレスチナ自治政府を、攻撃するようになりました
その対抗手段として、イスラエルは、ガザを封鎖し始めました
当時から、封鎖はすでに始まっていたんです。

ガザから、一日何十万人という労働者が、イスラエル側に行っていたので、
その人たちが入れないようにしようと、検問所を作り、イスラエルはガザを切り離した

そこから段々、切り離しが強化されていき、ガザや西岸からの自爆攻撃が激化したこともあり、2002年に壁の建設が始まりました

なお、西岸内での分離壁の建設は、国際法違反であり、建設された壁は全て撤去されなければならないと、
ちょうど10年前に、国際司法裁判所が、意見勧告を出しました


▲ガザ地区からの人の出入域を管理するエレズ検問所と、ガザ側のパレスチナ自治政府検問所をつなぐ、イスラエル軍による一方的な「緩衝地帯(Buffer zone)」に設置された通路。
2013年11月20日―写真:今野泰三



Q. ガザの暮らしは今野さんの目にどう映りましたか

ガザの人たちの暮らしは、何もないです。
仕事もない、食料もない、希望もない、水もない。

人間がこういう状況で生きていたら、どうなってしまうのか…。
日本人はもちろん、世界の多くの人には、想像はできないと思います。
もちろん、それでも笑顔はあります。

【関連記事】
2014/06/07 【京都】「ユダヤ国家建設『66年前の不正義』の影響が、今なお」 ~岡真理氏、封鎖下のガザ地区を報告


Q. ガザに住む人たちの顔をしっている今野さんですが、イスラエル軍による地上侵攻も始まりましたが、今、どういう思いを抱いていますか

自分の知り合い、同僚、友人が、誰がいつ殺されるか分からない。
ニュースを見る度に、名前を確認します。
苗字を見れば、誰々の親族ということが分かる。
自分の問題として、身近に感じるということです。

死者のうち、民間人が、7~8割を占めます。
イスラエル軍は「逃げろ」といいますが、ガザには逃げ場がありません
誰がいつ、殺されるか分からない。
そういう恐怖の中で、実際にそこで一緒に働いてきた人たち、ボランティアでいいから、一生懸命ガザを変えていきたいという思いでがんばって来た人たちが、
本人が悪いかどうか関係なく、無差別に、恐怖のどん底に落とされている
状況は、本当に見ていて辛いです。


【関連記事】
【京都】繰り返されるジェノサイド ~攻撃の続くパレスチナ・ガザ地区の置かれた状況と背景~ 講師 京都大学教授・岡真理氏(動画)


■イスラエル政府とイスラエル社会

Q. 今野さんは、イスラエル政府の真の目的は何だと思いますか。
中には、パレスチナ人がいなくなるまで虐殺するのがイスラエルの目的だとする、極端な見方も存在しています


イスラエル政府が、パレスチナ人を皆殺しにしようとしているとは、私は思えません
そういう意見は、あまりにも歴史を知らないというか。
イスラエル側が、パレスチナ人を間化している、という指摘はありますが、イスラエル人だって、パレスチナ人を殺したくて殺しているわけではないと、私は思います。
自分たちが悪いことをしていると思っている人たちもいれば、反対している人もいる。
イスラエル政府も、そんなことをしたら世界中から非難を受けて、自分たちの国の存続が危うくなるということは、十分分かっているはずです。

イスラエルを批判する人たちの中には、イスラエルが巨大な国だというイメージを持っている人がいるようですが、
たかだか人口800万人で、その内ユダヤ人口は600万人、アメリカ、ヨーロッパや日本と比べたら、本当に小さな国です。
そういう国がそういうことをしてしまったら、後がないんですよ。
今、欧米、特にアメリカの支援があってこそ、かろうじて成立している国ですから、
そんなことをしてしまったら行くことがないというか、自ら自分の首を占めるだけなので、皆殺しにしようとかは考えてないと思います

ただ、常に、パレスチナ人を追い出そうという政策を、政府や軍が取ってきたことは、証拠として書かれています
建国前からずっと今に至るまで、政策としてやってきたし、そういう発言もしてきました。

西岸の場合は、右派が、自分たちが祖先から受け取った場所である、それを譲るわけには行かない、だからできれば併合したいけど、
併合すると、そこに住んでいる住民に、市民権を与えないといけない、
市民権をあげてしまうと、自分たちがマイノリティであって、民主的という論理が破綻してしまう。
土地もあきらめたくない、市民権もあげたくない、一つの解決策としてパレスチナ人を追い出そう、という声も常に出てきているという事実はある。



Q. イスラエル政府は、ガザを徹底的に攻撃して、ハマースを降伏させるのが目的なのでしょうか

数年間黙ってくれていたらいい、という考えだと思います。
10年、20年先は見てない。
ガザに関しては、4年前に約1500人が殺され、2年前には約170人が殺され、今は約230人くらいがすでに殺されています
2年に1回のペースで起っているんですよ。
だから、2~3年大人しくしてくれていたらとりあえずいい、という感じの作戦でしかなくて、長期的に問題を解決しようというのではおそらくないと思います。


Q. 先日、イスラエルの極右議員が「パレスチナの母親は皆殺しにすべき」という発言をしたと報道されました

今、イスラエル政府は、右派の連立政権ですけど、右派の人たちは、そういう発言はちょこちょこしますよね。
ガザが海に沈んでしまえばいい」と発言した議員もいました。
ガザはなかったことにしたいんだ、と思いますよ。
常に、自分たちのいる国に戻りたい、と要求してくるわけですよ。
切り離して自分たちの問題にしたくない、という本音はあるのでしょう。

ガザからは、入植地も軍も撤収した。占領もしてないのに、なんで攻撃してくるのか意味がわからない」、というのが、イスラエル人の本音なのではないでしょうか。
多くの市民は、ガザに行ったこともないので、一般市民とハマースの区別も難しい、ガザの状況を知らないと思います。


Q. 空爆を開始してからイスラエルの一般市民は、ガザの現状を理解していると思いますか

今、ちょうどヘブライ語のニュースを読んでいますけど、ガザの中が今どうなっているか、報道を控えているような印象もあります。
知ってしまうと、世論が変わってしまうかもしれない
自分たちの権利、正当性に関わってくる問題なので、読者も触れたくないのでは。


Q. もし正確に知っていたら、イスラエルの世論は変わるでしょうか

基本的に「選択肢がない」、と思っている人が多数です。
やっていることがいいと思っていないイスラエル市民は、沢山いますし、入植地、占領が良くない、と思っている人たちもいる
けれど、それよりも恐怖心が先行してしまうのは、ユダヤ人の歴史があって、ホロコーストの歴史があり、反ユダヤ主義の歴史がある
私が会ったイスラエル人が、よく言うことですが、
ガザから撤収したのに、あいつらはロケットを撃ってくる。
自分たちがどんなに妥協をしようが、アラブ世界の反ユダヤ主義はなくならないし、反イスラエル感情もなくならない
そこで妥協してしまったら、自分たちの安全は危うくなるから妥協できない
と。

悪いことしているのは分かっているし、民間人と武装勢力は区別したいけれど、
そういうことをしている余裕がないというか、仕方ないんだという考え方ですね。
対パレスチナというよりは、対アラブ諸国。
そこにイランとか、全部入ってきてしまうので。


■反ユダヤ主義とヨーロッパの責任

難しいと思うのは、実際、「イスラエル」と「ユダヤ人」とを、本人たちも区別してないし、世界も区別していない人があまりにも多い
イスラエル政府とユダヤ人が、同一視されていますね。
イスラエル人が、パレスチナ人に対して暴力をふるうと、ヨーロッパやアメリカで、反ユダヤ主義が盛り上がるという、とてもいびつな状況にある。
パレスチナ人より、イスラエル人を嫌いになっては駄目だと思います。
反ユダヤ主義が盛り上がれば盛り上がるほど、イスラエル国内では、国の正当性が高まる

※イスラエルによるガザ空爆後、フランス国内で高まる反ユダヤ主義ー
【ibtimes】Israeli-Palestine Conflict: French Synagogues Attacked as Jews Lament Anti-Semitism Rise

やっぱりイスラエルは必要なんだと。
どんな手段を使っても、イスラエルという国がなければ、我々は、全世界から同じような目にあう時に、避難所が必要になるという世論になる。
そういう意味で、イスラエルを批判するのであれば、同時に、反ユダヤ主義も、徹底的に批判する義務があるし、闘う義務がある

それを、ヨーロッパはちゃんとやってきてないですよね。
ヨーロッパは、自分たちの反ユダヤ主義という歴史を、パレスチナという土地に押し付けて、
イスラエルという国を作らせて、すべては解決したと言ってしまっている

そんなわけはないだろう、と。
ヨーロッパの責任は大きい、と思いますよ。…【後編へ続く】
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愚かな人間が作った愚かな兵器と屁理屈で、あっという間に破壊される日常を、今なお持てることの奇跡

2014年07月25日 | ひとりごと
一年のうち、夏はゆっくりしよう。
あるいは、いつもより、楽しむ機会をたくさん持とう。
そういう原則が、アメリカンの旦那の心の遺伝子には、深く深くインプットされている。
金曜日の夕方はバタバタしない、働かない、というのと同じように。

極小自営の夫婦にはだから、夏という季節は、恐ろしくもあり楽しくもある。
こちらがフル開業してても、患者さんや生徒が、家族もろともどこかへ行って、そこで長~いバカンスを楽しんだりするし、
町に居るとしても、夏休みモードで、心がどこか上の空で、キャンプなんかもちょこちょこ入ったりして、スケジュールを組み立てるのに一苦労する。

けれども今年の7月は、ほんの数人の生徒たちが休んでいるだけで、なかなかの盛況振り。
なのでけっこう、ゆっくりしたり、よけいに楽しんだりするのは難しくて、相方の夏モードに合わせるのが、ちょいとしんどかったりする。

うちから電車でもバスでも車でも、ほんの30分弱で、ヒョイッと直行で行けるマンハッタン。
用事がてらではあるけれども、偶然にどちらも仕事が入ってなかったので、ぶらぶら回ることにした。

ニューヨーク・ペンシルバニア駅からの出口。


全然スッスと歩いてくれない妻に、かなり嫌気が差している夫の後ろ姿。


げげっ!


聖フランシス・アッシジ教会の一角でした。




出掛けに慌てて、沸騰させたミルクがいっぱい入っていたコーヒーを、テーブルの上にぶっちゃけてしまい、
けれども電車の時間が迫っていて、ろくに拭き取る間も、もちろんなにか食べる間も、さらにもちろんコーヒーを作り直して飲む間もなく来たので、

通りの簡易屋台のサンドウィッチ屋さんで腹ごしらえ!

 
ひと昔前、旦那が開業したての時に、間借りして治療していた懐かしのビルディング。


ブルームバーグ元市長が、任期最後に取り付けた、貸し自転車。平日だからか、この地域だからか、ほとんど使用されていない。


我々ふたりの一番のお気に入り、ル・パン・コティディアン(日々の糧という意味)に入り、


 



わたしのカメラを見て「写真家?」と聞いてきたウェイターさん。
「いえいえ、ただの写真を撮るのが好きな人です」とわたし。
「ボクはね、休みとかに結婚式の撮影をしてんだ。それを編集するのにどえりゃ~時間がかかるんだけど、けっこういい収入にはなるね」
それから延々と、カメラのこと、編集するのに使っているウェブサイト、どういう撮り方をしてるのかなどなど、熱く語ってくれた。

窓の外を見ると、あ、使ってる人がいる!


ル・パン・コティディアンのすぐ隣の、きちんとした物を売っていそうなキッチン(←シャレのつもり)用具店。
これまでに何回も買い直してきた胡椒挽き。もういい加減、長持ちするのを買おう。
ということで、なんと37ドルも払ったプジョーの胡椒ひき……でも、故障した時の対応が、めちゃくちゃしっかりしている会社らしい。


外に出ると……エンパイア・ステートビルディングの背が、いつもより低く見える……なんで?


アイアン・ビルがこんなド近所だったとは……。


旦那推薦のビルのコントラスト。


旦那が、次の行き先を探索している隙に。


8月の第二週目はまるまる、旦那家族総動員で、ニュージャージーの南端にある海辺で過ごす。
その1週間の間は、食事当番と洗いもの当番の日を除くと、小さな子がいない旦那とわたしは、ほぼ自由にしていられるので、
寝そべることができる所ならどこでも、海辺でもソファでも床でも、好きな場所に本を何冊か持ってって、ダラダラと読みふける。
なのに、まだ読んでいない本が無くなってしまった!
なので、BOOK OFFに行くことにした。

店に向かってテクテク歩いていると、図書館が見えてきた。
今まで何回もこの前を通ったり、階段で休憩したり、前のテラスで食事したりしたけど、まだ入ったことなかったやん……。
入ってみよう!


外からでも充分デカいのは分かってたけど、中もデカい!ほんでもって大理石がふんだんに使われていて、重厚で美しい。
二階に上がると、図書館の歴史が展示されていて、


さらに三階に上がると、


図書館というより美術館?


三階の閲覧室。『The Day After Tomorrow』という映画では、ここが冷凍庫のようになってしまっていたような……。


けどさ~……本はどこ?図書館やのに……。
ということで、近くに居た係員さんに尋ねてみた。

「このニューヨーク公共図書館は、世界屈指の規模を持っていますが、総合的な教育と研究機関として機能していていて、
なので、「公共図書館」と名付けられてはいるけれども、設置主体は独立の法人で、
だから「公共」というのは、一般公衆に対して開かれたという意味からつけられたのであって、
誰でも本が借りられる普通の図書館、というのではないのです」とのこと。
なるほど……しかも、ここの財政的基盤は、民間の寄付によって成り立っていると聞いてさらにびっくり!

本はあきらめて(というか、もともと借りられるとも思ってなかったけれども)、見学終了。




図書館前のテラスで。けっこうふられ続けているのにも関わらず粘っていた鳩(♂)さん。


BOOK OFFに到着。1ドル均一から数冊、ちょっと張り込んで5ドルのを数冊。これで海辺の1週間は完ぺき!


ずっと歩き続けている上に、重い荷物がじょじょに増えてきて……それでも写真を撮りたいわたし……。






大好きな公園『ブライアン・パーク』


ここでお弁当を半分こして。



家に戻り、シャワーを浴びて、歩美ちゃんから教えてもらっていた『ガザ攻撃抗議集会』に。




歩美ちゃんは、イラクの子どもたちの寄せ書きを刺繍したキルトを掲げ、静かに立っていた。


ここは、今の家に引っ越すまでの9年間、息子たちと4人で暮らしていた町の本通。


通り過ぎる車の窓から手を伸ばし、あるいはクラクションを鳴らして、あんたたちに賛同してるよ!という気持ちを伝えてくれる人たち。


そうだよ、愛だよ、武器なんか捨てて話し合おう。


パキスタンからの人たち。
近くを、3匹の犬の散歩で通りかかった男性が、急に声を荒げて何かを言い始めた。
その彼に、大声で返事するパキスタンの女性。
わたしの背後では、拡声器を使ってスピーチが行われていて、その会話をきちんと聞くことができなかった。


彼は家族に会えないでいる。電話の向こうで、幼い子どもたちが、帰ってきてと泣き叫んでいるのを聞くしかできないでいる。
パキスタン人だから。
その不条理、不幸を訴えていた。
パキスタン人もイスラエル人も、和平を願っている人はたくさんいる。
けれども一方で、ネットなどで伝えられているように、小高い丘の上に飲み食いできる物を持参して、ガザの爆撃を見物しているイスラエル人がいて、
自衛などという理由で、途方もない量の兵器を使うチャンスを、イスラエルに与える手伝いをしているパキスタン人がいる。
権力とカネを持っていれば、愚かさに数などは必要ではない。
その愚かさは、大きな破壊力と影響力を持っているので、愚かではない人たちにまで、愚かだというレッテルが貼られてしまう。




彼女は最後の最後まで、ピースサインを掲げながら、メッセージを送っていた。


歩美ちゃんが、彼(Ayuman)のスピーチの内容を、Facebookに載せてくれていた。
ここに転載させてもらう。

『昨日のVigilには、ガザから留学しているAyumanが参加してくれました。
ガザに残した妻子と、36時間連絡がつかない状況で、憔悴して、スピーチも用意していませんでした。
だからその場で、彼の訴えた言葉のひとつひとつは、心からの叫びなのでした。
わたしはそれを聞いて、涙をこぼしました。

「ニュースで皆さん、ガザの攻撃を聞いています。
ここの通りを過ぎる人たちにとって、犠牲者はただの統計、数にしか感じられないのでしょうが、
私たちにとっては家族、友だち、一人一人の顔なのです。
パレスチナ人と言うだけで、どこへ行ってもテロリスト扱いされるのです。
最後に家族に電話したときは、子たちが、電話口で、恐怖で叫んでいるのが聞こえました。
どんな子どもも、平和に生きるように、この世に生まれたはずです。
私は、家族のもとに今すぐ帰りたい、家族を守りたい!
でも、私が飛行機で行っても、エジプト政府は私を通過させません。
私は収容所に入れられてしまう。
それは、私が、パレスチナ人だからです。
私は、イラクにも住んでいたことがあります。
しかし、アラブ社会でさえ、”パレスチナ人”を、テロリストだと差別します。
私は、West Bankに親戚がいます。
ガザ地区からたった20分のその場所に、私は30年間行けない、親戚に会うことができないのです。
イスラエルの検問を、通ることが出来ない。
それはわたしが、パレスチナ人だからです。
私はガザで、イラクで、戦争の恐怖を何度も味わい、トラウマになっています。
私の子どもたちには、そのような恐怖を味わってほしくないのです。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、皆一緒です。
私たちは、平和のうちに生きたい。自由に生きたい。
ただそれだけです」

Ayumanの奥様と子どもたちが、無事でありますように。
攻撃が無くなり、多くの人たちが、暴力から和平という、本当の勇気に目覚めますように。
皆さんも、自分の選挙区の議員に電話を掛け、イスラエルの攻撃支持を辞め、今すぐ和平に取り組むよう、
イスラエルへの軍事支援を辞めるよう、要求してください』

↑以上、転載おわり


近くで待っていた旦那と合流。
なにやら近所の公園で、ずっと延期されていた『独立記念日』の花火が上がるらしいという情報を、フェイスブックでゲットした旦那。




あの日は、ショーティが逝って、花火どころではなかった。
いろんな町のいろんな場所で上げられている、花火のにぎやかな音を聞きながら、ずっとメソメソ泣いていた。
これはだから、ショーティからの贈り物『花火』だ。

一旦家に戻り、蚊対策の長袖長ズボンに着替え、いざいざ出発!
5年前までしょっちゅう散歩していた通りに車を停め、公園の中にぐんぐん入って行くと……うわっ!いっぱい人がいる。


花火は多分、この野外コンサートが終ってから、だと思っていたら、上がった!


我々は、人ごみを避けて、空き空きの芝生の丘に寝そべって観た。








彼女が居なくなってしまってから、3週間経った。
まだ3週間なのか、もう3週間なのか、
いずれにせよ、淋しいことにはかわりがない。
コメント (2)
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