「世界一厳しい基準」は根拠無し。
「第二の安全神話」を作っているに過ぎない。
大間原発差し止め訴訟の工藤函館市長が口頭弁論で指摘(函館)
2014年7月17日
函館市長の工藤でございます。
函館市が提起した、大間原子力発電所の建設差止め訴訟に至るまでの経緯や、私たち地域の思いについてお話しさせていただきます。
(第一回口頭弁論:7月3日15:00東京地裁103号法廷)
▼ 福島事故から建設再開まで(訴状第1章「はじめに」)
2011年(平成23年)3月、東京電力福島第一原子力発電所において、世界を震撼させる未曾有の大事故が発生し、
このことによって、原発の安全神話は完全に崩壊し、多くの国民に不安を与えるとともに、これまでの原発政策に大きな不信を抱かせたところであります。
私自身も、福島原発事故が起こる前は、安全神話を信じておりましたが、
福島の事故が、原発の立地地域にとどまらず、広範囲の周辺地域に大きな被害を及ぼすとともに、
国や事業者のずさんな事故対応を目の当たりにし、原発の安全神話に浸かっていたことを大いに反省いたしました。
原発は、一度事故を起こせば、一地域にとどまらず、場合によっては国を崩壊させるリスクがあることを知り、
そして、津軽海峡を挟んで、函館市の目の前で建設されている大間原発で、事故が起きたときの状況を考え、
先行きに対する不安が、一気に高まりました。
事故から1か月半後の4月に、市長に就任し、6月には、北海道とともに、
国や電源開発株式会社に対し、大間原発について不安を抱いている住民へ、説明責任を果たすよう要望をしましたが、
福島の事故直後にも拘わらず、ただひたすら建設継続の必要性を説く、国や事業者の対応に落胆し、
このときはじめて、私の中に、場合によっては訴訟も辞さず、との考えが浮かんだものであります。
福島第一原発事故について、国会事故調の報告書では、
『
何回も対策を打つ機会があったにも拘わらず、歴代の規制当局および東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものである』とし、
それは
『自然災害』ではなく、明らかに『人災』であると断じております。
福島の原発事故では、函館市の主要な産業分野においても、実際に大きな影響を受けました。
観光分野では、国内だけではなく、海外からの観光客も大幅に落ち込み、それによるホテル・旅館業への直接的な影響だけではなく、
水産加工品や農水産物の納品の減少、飲食・物販などの売上減少など、関連する産業全てに影響がありましたし、
風評被害により、海外への水産物の輸出も滞るなど、水産加工業を含む水産業も、多大な損害を受けたところであります。
このようなことから、私は、
少なくとも建設中や計画中の原発は、当分凍結すべきと考え、
その後も、
近隣自治体の首長や議長とともに、国や電源開発株式会社に、大間原発建設の無期限凍結を要請してまいりました。
しかし、
事故発生から1年半後となる2012年(平成24年)10月1日、
電源開発株式会社は、福島の事故を起こした審査基準のまま、突然大間原発の建設を再開しました。
福島の事故では、原発が立地されている地域にとどまらず、広範囲の周辺地域に大きな影響が及んだにも拘わらず
その
現実に目を背け、福島の原発事故以前と同じように、北海道側には何の説明もなく、私たちの意見を聴くこともなく、
また、私たちの意向を一切斟酌することもなく、一方的に再開を通告しに来ただけであります。
原子力施設の事故は,国際的に8段階で評価を行っております。1979年のアメリカのスリーマイルの原発事故はレベル5,福島第一原発事故はレベル7です。アメリカの方が低いレベルだったのですが,それでもアメリカは30年以上原発を新設していません。
福島の原発事故からたった1年半で、大間原発の建設が再開され、
地震や津波対策など、ハード面だけ多少強化すれば、あたかも事故は起こらないがごとく建設が進められており、
また以前の安全神話に戻るのではないか、という疑念さえ抱いております。
▼ 地域防災計画(訴状第2章「本件訴訟の法的根拠」、第9章「大間原発の具体的危険性(その3)シビアアクシデント対策には限界がある」)
大間原発の建設再開後、国は、原子力災害に関わる地域防災計画を策定すべき重点地域を、
福島原発事故前の8ないし10km(EPS)から,30km(UPZ)に拡大し,函館市もその地域に含まれることになりました。
2005年(平成17年)10月に、原子力安全委員会の主催による「大間原発の原子炉の設置に係る公開ヒアリング」が大間町で開催され、
函館市の当時の担当部長が、大間原発で過酷事故が起きた場合の、本市への影響などについて質問いたしました。
それに対し、原子力安全・保安院からは、
*炉心が溶融するようなシビア・アクシデントの発生する可能性は、極めて小さい
*シビア・アクシデント対策により、函館市への影響を及ぼすおそれはない
*8ないし10km(EPS)の外側では、防護措置が必要ではない
などと、住民の不安を一蹴しましたが、それが完全な誤りであったことが、福島原発事故により明らかになりました。
原発事故が起きれば、大きな被害が及ぼされる危険な地域が、原発から半径30km圏内の市町村に拡大し、
避難計画の策定を義務づけられ、住民を安全に避難させる責任を負わされたにも拘わらず、
国や事業者は、30km圏内の市町村には、説明会や意見を言う場を設定しない、
ましてや、建設の同意を求めるということを一切行わず、無視している状況にあります。
私たちには、それが全く理解できません。
そもそも自然災害とは異なり、原因者が明らかである原子力災害では、
避難計画をつくるのは、周辺自治体の同意を得ずに原発を造る事業者、あるいは、それを認めた国がやるべきだ、と私は考えております。
実効性のある避難計画の策定が可能な地域かどうか、原発の立地に適した地域かどうかを、改めて検証することもなく、
また、
原発の建設に関する手続きや手順を、福島の事故を踏まえ、改めて見直すこともなく建設続行するのは、
極めて横暴で強圧的なやり方だとしか、言いようがありません。
アメリカでは、スリーマイル島の原発事故以降、実効性のある避難計画がなければ、原発を動かすことはできません。
事前の計画で、避難先も定め、どの方法でどの道路を通るかも決めており、それらは全て、連邦政府の審査を受けております。
実際,
避難計画を立てることができないという理由で、一度も稼働せずに廃炉となった原発があるといいます。
日本の場合、
実効性のある避難計画の策定を、原発運転の必要条件にしておりません。
緊急時の避難計画の作成は、自治体に丸投げされ、責任をもって実効性をチェックする、国の機関はありません。
政府は、原子力規制委員会の新規制基準を『世界一厳しい基準』と繰り返しておりますが、
その根拠について質されると、『世界最高水準になるよう策定した』と、答えになっていない答弁書が提出されました。
日本の政府が、根拠を示すことができない『世界一厳しい基準』との主張を繰り返す一方、
欧州では、炉心が溶け落ちる大事故に備える、コアキャッチャーの設置や、格納容器の二重化など、
日本にない、新たな安全対策が始まっているといいます。
万が一の事故の際に、安全な避難が可能かどうかというチェックが全く行われず、
審査が、根拠のない『世界一厳しい基準』により行われているということは、
『第二の安全神話』をつくっているに過ぎない、と言っても過言ではありません。
▼大間原発の問題点(訴状第7章「大間原発の具体的危険性(その1)想定地震の問題点」,第8章「大間原発の具体的危険性(その)テロ対策は不可能である」)
大間原発には、他の既存の原発と違う、いくつかの問題点があります。
一つ目は、
福島第一原発事故を招いたずさんな審査基準により許可され、現実に建設が進められていることです。
原子力規制委員会の新規制基準の策定も待たずに、建設を再開したことは、全く理解できるものではありません。
電力需給に関係する既存原発の再稼働でさえ、原子力規制委員会の審査を待っております。
少なくとも、規制委員会の審査をクリアしたうえで、建設を再開するのが筋であったはずです。
建設ありきで、安全は二の次だと言わざるを得ません。
二つ目は、
ウランよりも非常に毒性が強いプルトニウムとウランとの混合燃料を、全炉心で使う、世界初のフルモックスの原子炉だということです。
通常の原発以上に制御が難しく、万が一の事故の場合には、比較にならないほど大きな危険性があることを指摘されておりますが、
実験炉、実証炉による検証をすることもなく、いきなり商業炉として稼働させることとしております。
しかも、
電源開発株式会社は、これまで原発を、建設も稼働もさせたことのない企業であります。
三つ目は、
大間原発の北方海域や西側海域には、巨大な活断層がある可能性が高い、といわれていることであります。
電源開発株式会社では、『耐震設計上考慮しなければならない断層ではない』と断定しておりますが、
福島の事故以前の活断層調査や安全審査においては、活断層が無視されたり、過小評価されてきたことが指摘されており、
電源開発株式会社が行った調査は、信憑性に欠けると言わざるを得ません。
四つ目は、
大間原発が面している津軽海峡は、国際海峡であり、領海が、通常の12海里(22㎞)ではなく、3海里(5.5㎞)しかないことです。
国籍不明船であろうが、どのような船でも自由に航行でき、
時速数十キロの能力のある高速艇であれば、あっという間に原発に突入することができるという、
テロ集団にとって格好の位置に建設されております。
しかも、
フルモックスの原発であり、標的にされやすく、安全保障上、世界で最も大きな危険性を抱えた原発といえます。
五つ目は、
既存原発の再稼働とは異なり、電力需給の問題を全く生じるものではないことです。
企業や家庭の省エネや節電が定着し、現在ある発電所で、電力需要を十分賄ってきたことを踏まえると、
あえて大間原発の建設を、続行する必要性はありません。
このほか、
使用済のモックス燃料は、大間原発では
20年分しか保管できないうえ、処理が難しく、危険性が高いと指摘されていますが、
その
処分の方法については、全く見通しがたっておりません。
こうした多くの問題点について、私たちは一貫して、国や事業者である電源開発株式会社に申し上げてきましたが、
納得できるような説明は、これまで一切ありません。
電源開発株式会社は、函館市側に、説明や情報提供をしてきたと言っておりますが、
それは
建設推進を前提とし、しかも、会社のホームページやパンフレットに記載されている程度のものに過ぎず、
私たちの不安や疑問に応えるものではなく、アリバイ的に行っているにすぎません。
そもそも電源開発株式会社は、福島原発事故以前から、
『立地地点である大間町、その隣接村である佐井村、風間浦村以外で理解活動を行う考えはない』として、住民説明を拒んできました。
そして政府は、
『稼働するにあたっては、立地自治体を始め、関係者の理解を得る最大限の努力をする』と、一方的に建設ありきの発言を繰り返し、
住民の不信感や不安を、払拭しようとする姿勢は感じられません。
▼ 函館と大間の位置関係と避難の困難さ(訴状第10章「大間原発で過酷事故が発生した場合の函館市の損害」)
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建設途中で止まっている大間原発
こちらは、函館市と大間原発の位置関係を示すパネルですが、
函館市は、大間原発から最短で、23kmの位置にあります。
しかも、間は津軽海峡ですから、遮るものはなく、晴天時には、
肉眼で工事現場が見えるほどの至近距離にあります。
函館市は、30km圏内に一部入り、50km圏内にはほぼ全域が入ります。
50km圏内の人口は、青森県側が約9万人に対し、北海道側は約37万人ですが、
北海道側の意見は全く無視されています。
ひとたび原発事故がおきれば、自治体の境界は、全く意味をなしません。
北海道と青森県で対応が異なることは、理解しがたいものがあります。
仮に、大間原発で過酷事故が起きた場合、避難経路は、北へ逃げる国道5号と、国道227号の2本しかありません。
海岸沿いに、東西に向かう道路はありますが、大間原発に面していますので、使うことはできません。
国道227号はカーブが多く、峠を越える山道なので、主要な避難経路としては適しておりません。
唯一使える道路は、札幌に向かう国道5号です。
しかし、この道路も、函館から20kmほどのところに峠があって、トンネルがあります。
ゴールデンウィークや夏休みなどに、大渋滞を起こす道路で、隣接する北斗市と七飯町を合わせた35万人が、逃げられるような道路ではありません。
福島原発のすさまじい事故を見た人々を、放射能の見えない恐怖の中で、
30km圏内の住民と30km圏外の住民を区別して、迅速かつ安全に、そして計画的に避難させることが現実的ではないことは、誰の目にも明らかです。
高齢者や障がいのある方などをはじめ、自家用車を持っていない多くの市民を、避難させるためのバスや、
命をかけて運転してくれる人を大量に確保することは、至難の業であり、人口集積地では事実上不可能です。
ガソリンスタンドは閉鎖され、燃料を確保することもできなくなります。
そして同時に、
地震や津波などの自然災害が起きていたら、さらに、
冬期間で吹雪であったら、避難は一層困難を極めます。
原発の事故は、地震や津波などの自然災害と、全く異なるのです。
これだけ多くの人口を抱え、実効性のある避難計画を立てられない函館市の対岸に、大間原発が建設されているのです。
福島原発事故以前の、『事故は起きるはずがない』という安全神話を前提とした、机上の避難計画であれば、作ることはできます。
福島原発事故を目の当たりにした中で、最悪の事態を想定した、実効性のある避難計画を作るためには、
まず
被害の想定をし、多くの課題について十分な検討をする必要がありますが、
その
前提となる事故の想定が、国や事業者から何一つ示されておりません。
万が一事故が起こった場合、最大でどの程度の放射性物質が放出され、どれぐらいの時間で北海道側に到達し、どのくらいの期間にわたり、どの範囲まで影響が及ぶのか、そして、どの程度の被害が生じるのか。
このようなことが全くない中では、そもそも避難計画の立てようがありません。
▼ 大間原発で事故が起きたとき(訴状第10章「大間原発で過酷事故が発生した場合の函館市の損害」)
函館市は、「歴史」「街並み」「自然」「食」など、一言では語り尽くせないほど、多くの観光資源に恵まれた素晴らしいまちです。
民間のコンサルタント会社が行う「魅力ある市町村ランキング」において、昨年、函館市は全国2位になったほど、観光が主要産業となっているまちです。
2015年度末(平成27年度末)までに予定されている、北海道新幹線の開業もありますし、
観光は、地域活性化の原動力として、市民の大きな期待を担う分野であり、その振興に力を入れて取り組んでまいりたい、と考えております。
大間原発で過酷事故が起きた場合は、
その観光産業をはじめ、津軽海峡を操業の場としている漁業や、食糧基地の一翼を担っている農業を、基幹産業としている道南地域の経済に、壊滅的な打撃を与えるだけではなく、
地域が放射性物質で汚染され、土地は奪われることとなり、住民は散り散りとなって、家族の離散も生じ、
そして、自治体の機能が失われ、崩壊することになります。
過酷事故ではなくても、大間原発でトラブルが生じた場合、風評被害により、地域経済に甚大な打撃を与えます。
さらに、危険な原発が近くにあるというだけで、企業誘致さえも進まなくなります。
避難計画の策定を義務づけられた自治体である、ということは、原発事故によって、そうした事態が起こり得る危険な地域である、ということを意味するのです。
▼ 要請活動等(訴状第1章「はじめに」)
国や事業者に対し、大間原発建設の無期限凍結を求める要請は、大間原発の建設再開前に2度行い、
建設再開後も、渡島管内11市町の全ての首長と議会、経済界、農業漁業団体、さらには町会連合会などの連名で、2度行ってまいりました。
国からは、『安全性に関しては厳しくチェックをする』、
事業者からは、『稼働にあたっては原子力規制委員会が安全性を確認する』などといった、
建設を前提とした発言があった程度で、私たちの不安が解消されるものではありませんでした。
このように、
これまで4回に亘って要請活動を行ってきましたが、国や事業者からは、何の配慮も対応もしていただけませんでした。
▼ 南相馬市と浪江町へ(訴状第5章「福島第一原発事故による自治体の被害」)
2013年(平成25年)7月には、福島第一原発の周辺自治体の状況を、自分の目で確認するため、
私と函館市議会の正副議長、および各会派の代表で、南相馬市と浪江町を訪問しました。
南相馬市へ向かう際、福島第一原発から30km圏外においても、除染作業中の防護服を着た作業員の異様な姿が目につき、
山あいの飯舘村では、津波被害もなく、家々は崩壊はしていませんが、人の気配は全くありませんでした。
飯舘村を少し過ぎたところでは、持参した線量計の数値は、最高の1.26マイクロシーベルトを示しました。
原発事故が及ぼす現実を目の当たりにし、言葉が出ませんでした。
南相馬市では、桜井市長から、
『
事故の対応を判断するための情報が、国や事業者から全く届かなかったのが、一番悲しかった。精神的によく持ちこたえてきた』
『
南相馬市の住民を全て受け入れると、新潟県知事から言っていただき、言葉に表せないほどの安心感があった』
という、事故当時のお話しをお聞きし,住民の命を守るために、大変苦労されたことがよくわかりましたし、
ずさんな安全対策や事故対応をしてきた、東京電力に対する強い怒りと、福島の事故について、国民の意識が薄れていくことへの不安を抱いていると、感じたところであります。
また、南相馬市の小高区を視察しましたが、
放射能に汚染された地域は復興が遅れ、土地は雑草で荒れ果て、廃墟と化した家々やがれきなど、津波の爪痕が生々しく残り、
人影がなく、多くの商店が閉まったままの姿を見て、函館がこの状態になったらと考えると、背筋が凍る思いでありました。
次に私たちは、二本松市にある、浪江町の仮庁舎を訪ねました。
浪江町は、除染もできない帰還困難区域に指定され、事故から2年以上経過しても、バリケードで閉鎖されております。
馬場町長からは、
『
津波で流された方々を、必死で捜索していたが、原発の事故により、中断し避難しなければならなかったことが一番悔しかった』
『
情報提供や避難バスの手配、支援物資の提供などで、立地自治体とは大きな格差があった』など、事故当時のお話しをお伺いし、
また、避難に伴って、役場機能を4回も移転し、住民は散り散りになっている現状についてもお聞きし、
原発事故が起きれば、生まれ育った故郷を無理矢理追われ、多くの住民が犠牲になることを、思い知ったところであります。
私は、この視察により、
原発事故が起きれば、立地自治体のみならず、周辺自治体までも壊滅的な状況になり、
住民の生命、安全を、必死で守らなければならないのは、最終的には、基礎自治体である市町村であることをあらためて認識し、
自治体としても、原発と真剣に向き合う必要があると考え、
大間原発について、様々な疑問や矛盾があるなか、その建設については、『無期限で凍結すべき』との思いを、一層強くしたところであります。
▼ 市長会などの決議、市民等の支援(訴状第1章「はじめに」)
大間原発の建設については、
函館市議会において、無期限凍結を求める決議をしておりますし、
訴訟の提起については、一人の議員の反対もなく、全会一致で可決されたものであります。
従って、
大間原発の建設凍結を求めることは、函館市民の総意であります。
また、
渡島管内11市町の総意として、無期限凍結を求め、共同で行動してきましたし、
35市からなる北海道市長会や、北海道市議会議長会におきましても、大間原発建設工事の中止を求める決議をしております。
さらに、
北海道議会においては、国や事業者に対し、誠意を持った説明責任を果たすよう求める決議がなされ、
北海道知事も、国や事業者へ要請し、全道あげて、私たちを支援していただいております。
そして、
私が公の場で提訴を表明した以降、全国からたくさんの応援メッセージが寄せられており、
また、
訴訟費用につきましても、市内外、法人・個人を問わず、多くの方々からご支援をいただいております。
▼ 結び
安倍首相は、
『
原子力規制委員会が定めた、世界で最も厳しい安全基準を満たさない限り、原発の再稼働はない』と述べる一方、
原子力規制委員会の田中委員長は、
『
規制委は、新基準への適合性を審査するだけで、再稼働の是非の判断はしない』
『
規制委は、”絶対に安全”とは言っていない』と述べております。
原発再稼働の判断をめぐって、政府と原子力規制委員会が責任を押し付け合い、事業者は経済性を優先し、確実な安全安心から目をそらしています。
そもそも、
福島第一原発事故では、誰も責任を取っておりません。
このような無責任体制では、福島のような原発事故が、繰り返されてしまいます。
原発の安全の確保や、万一の事故が起きた場合に、誰が責任を持ってあたるのか。
政府なのか、原子力規制委員会なのか、事業者なのか、その根本のところが極めて曖昧なまま、原発の建設が進められています。
電源開発株式会社という、営利を追求する一民間企業の事業のために、
27万人の人口を擁する函館市の存立そのものが、同意もなく危険に晒され、
そこに住む市民の生命と、平穏な生活、そして貴重な財産が、一方的に奪われかねない、
そんなことが、この民主主義国家において、許されるのでしょうか。
福島第一原発事故を見れば、原発が本質的に危険なものであり、どんな対策を講じてもゼロリスクにはならず、万一の事故があり得ることは明らかでありますので、
司法の場において、自治体の責任者として私が申し上げたいことは、
一つ目は、
福島原発事故を起こした審査基準で許可され、建設が続けられている大間原発は、建設をただちに止めるべきだということであります。
二つ目は、
建設や稼働にあたって、実効性のある有効な避難計画が、策定できるかどうかの確認がなされていない大間原発は、建設を即時中止すべきだということであります。
三つ目は、
避難計画を義務づけられる、30km圏に含まれる函館市に同意権を与え、本市が同意しない限り、建設をするべきではないということであります。
国や電源開発株式会社には、地域の不安になんら配慮をしていただけず、
私たちに残された手段は、訴訟するか泣き寝入りするしかありませんでした。
私は、函館のまちを守り、そして市民の安全安心を守るため、万やむを得ず訴訟を提起いたしました。
福島の原発事故によってはっきり分かったことは、
ひとたび原発の過酷事故が起きると、地方自治体、その地域が、事実上半永久的に消え去る事態に陥るということです。
地方自治体の存立そのものが、将来に亘って奪われる、このようなことは、原発事故以外にはありません。
地震や津波のような自然災害も、大きな被害をもたらしますが、まちを再建することはできます。
人類は昔から、それを経験してきました。
しかし、そのことで、半永久的に住めなくなった地域はありません。
戦争も、まちに壊滅的な打撃を与えますが、復興は可能です。
ある意味で、人間はそれを繰り返してきました。
戦争による最大の悲劇ともいうべき原爆投下を乗り越えてきた、広島・長崎も再生しました。
しかし、
放射能というどうしようもない代物を、広範囲にまき散らす原発の過酷事故は、
これまでの歴史にはない壊滅的な状況を、半永久的に、周辺自治体や住民に与えるのです。
チェルノブイリや福島が、それを証明しています。
函館が、その危機に直面しています。
電気をおこす一手段に過ぎない原発によって、まちの存立そのものが、脅かされることになります。
世界中を見ても、今までの法理論では想定されないような事態が、原発事故によって、今この日本で起き、函館市にふりかかっているのです。
私たち函館市民は、承諾もなく、近隣に原発を建設され、いざというときに、避難もままならない状況の中に置かれることになります。
自分たちのまちの存続と、生命を守るために、この訴訟を起こしたのです。
それ以外に残された道はなかったということを、是非ご理解いただきたいと思います。
私は、反原発、脱原発の立場で、原発を論じたことはありません。
世界を震撼させた福島原発事故を起こした、我々世代の責任として、
最低限、立ち止まって考えるべきだということを、申し上げたいのです。
そのため私が訴えてきたのは、
原発建設の無期限凍結なのです。
福島の事故を目の当たりにし、その後の福島の現実を見て、原発に大きな不安を抱く多くの人たちに対し、
国や事業者は、真摯に向き合い、もっと丁寧な対応をすべきだ、ということを申し上げたいのです。
今は、
その努力、姿勢が、全く欠けていると言わざるを得ません。
いろいろ私の思いを述べさせていただきましたが、市民の生命や財産を守り、函館市という自治体を、将来の世代に引き継いでいくためにも、
大間原発の問題点、そしてその進め方の乱暴さ、また、地域の思いというものを、主張させていただきました。
どうか、私たちの願いをご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031100330/files/260703_iken_genkoku1.pdf