ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

やんばるの森が、4000種以上の野生動物が、1000種類の魚と400種類のサンゴが泣いている

2016年07月27日 | 日本とわたし
『竜宮城も顔負けの、この絶景。
1000種類の魚と、400種類のサンゴの暮らしを、人間の都合で終わらせるのか。
沖縄本島北部一帯は、深い森に覆われている。
数百万年前に、大陸から切り離されて以来、固有の歴史を歩んできた山々は、『やんばる』と呼ばれる。
4000種以上の野生生物が、途方もない年月をかけて、この島で独自の進化を遂げた。
地球上で、ここにしかいない生き物。
その歴史が、今でも続いている。
海とつながる沖縄の、豊かさの源だ。
この島のあらゆる生命体は、やんばるによって結ばれている、と言ってもいい。
やんばるに暮らし、森の生き物の代表として、頑張る。
人間には、それができる』
(アーサー・ビナード 日本人探訪#5沖縄県 伊佐家/ナレーションより)

この特集は、今からちょうど一年ほど前に、放送されたものです。
だからまだ、ビデオの中の、やんばるの森を守る人たちは、ヘリパッド建設工事の開始を一日でも遅らせたい、という気持ちを強く持って、座り込みを続けていました。
でも…あの22日の、権力側による凄まじい暴力。

「辛いです、苦しいです、悲しいです。もうこれ以上は限界だ」

今さらもう、どうにもならないのではないか。
いや、どうにもならないでは済まされない。
やんばるの森を、どうにかして守らなければならない。
やんばるの森を守りたい!

県道を封鎖され、県の職員でさえ入れないまま、トイレに行くこともできなくし、他県からの物資調達も不可能にした、沖縄県警と防衛局。
何年にも渡り、高江の住民をはじめ、彼らの支援者たちが、毎日交代で座り込んできたテントも、支援物資もろとも撤去されてしまいました…。


<米軍ヘリパッド>
「悲しいです。もう限界だ」立ち尽くす市民

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=179714

沖縄県東村高江周辺の、ヘリパッド建設の再開に着手した政府は、
22日、反対の市民を圧倒する、約500人の機動隊員らを投入し、専門家から「法の乱用」と指摘される、県道封鎖まで実行した。
なりふりかまわずに、市民を退けた場面は、戦前の「戒厳令」をほうふつさせた。

「落ちる!」
「危ない!」

N1表ゲート前の車上でもみ合う、屈強な機動隊員らの帽子は落ち、抵抗する市民の足は、がくがく震えていた。

「排除!」

炎天下に、号令が響いた。
22日午前8時55分。
機動隊員らが、一斉に、N1表ゲート前の街宣車2台によじ登り、車上に座り込む市民を、引きずり降ろしにかかった。

車上の激しいもみ合い。
小さな街宣車の不安定な足場に、機動隊員らが次々押し寄せ、あわや「死者が出かねない」(車上にいた市民)事態に。
街宣車周辺には、市民の怒号や悲鳴、おえつがごちゃまぜになって響いた。
引きずり降ろされたり、余りの激しい「排除」にショックを受けて、気を失い、救急搬送されたりする女性も。
9時10分、警察側から、「ストップ!」の号令がかかり、市民も車上から降りた。

その1時間半後-。
「いったん退くことを判断した」と、市民を率いる、沖縄平和運動センターの山城博治議長が、一時撤退を宣言。

「2日間で、5人の救急搬送を出した。
辛いです、苦しいです、悲しいです。
もうこれ以上は限界だ」。

袖の破れた洋服が、緊迫の事態を物語っていた。

市民には、“秘策”もあった。
機動隊が、到着前の午前3時、月明かりを頼りに、南北約1キロ、県道70号の両脇に駐車する、市民の車160台余りを、中央線に寄せる作戦をスタート。
「レッカー車や作業車が通れない」幅員にし、多数の機動隊に挑む計画だった。

南北それぞれから挟み込む機動隊員らに、約200人の市民は、すし詰め状態の車両の合間に入ったり、傾斜地の草むらに回り込んだり、道ばたに寝転んだりと、
「弱い市民の精いっぱいのゲリラ戦」(山城議長)であらがった。
それでも、牛歩ながら、6時間以上の攻防の末、機動隊は表ゲート前にたどり着いた。

午後0時35分、突然降り始めたどしゃぶりの中で、静かに始まった市民テントの撤去。
残った市民十数名は、立ち尽くすしかなかった。



今日も、N1地区、表側出入り口から、トラックが何度も砂利を積んで、搬出入する様子が確認されています。
トラックの搬出入時には、警察が、周辺の県道70号を規制しています。
トラックの前後は、沖縄の警察車両が警備しているのです。
さらに、市民らが抗議行動するN1地区表側出入り口付近では、機動隊が一時増員され、100人以上で県道脇に立って警備をしています。

彼らが破壊しようとしているものが、どれほど貴重で尊いものなのか、その存在の素晴らしさに胸を打たれるとともに、新たな怒りがフツフツと湧き上がってきました。
小さな集落を狙った、大きな権力を持つ組織。
この米軍と日本政府の関係を、わたしたちはよく学び、知った上で、どういった行動が必要なのかを考えなければなりません。
あの、他県から派遣されてきた機動隊、警官、防衛局の、凄まじい暴力。
法の乱用を平然とやってのける政府。
それもこれもみんな、安保条約とそれに関する取り決めがまだ、厳然と、分厚い鎧のように立ちはだかっているからです。
これをなんとかしなければ、この先どんなに抵抗しても、どうにもならないのです。
伝えて伝えて伝えまくる。
全国、どこに暮らしている人にも、この問題を我が身のように感じ、考えてもらう。
そうして、大きな世論のうねりを作り、議員を動かし、日米を歪んだ形で結びつけている、この呪いのような条約の鎖をキッパリと切る。
それ以外に、日本が米国の属国どころか、最後の州のように扱われている関係を、改善する道はありませんし、
日本から、米軍基地や、時間かまわず低空飛行する軍用機や、原子力発電所が、姿を消す可能性はありません。

伝えましょう!
考えましょう!
協力し合いましょう!


↓以下、文字起こしはじめ



「やんばるの森を守る人々」


BS11 ウィークリーニュースONZE 2015年8月9日特集
==========================
スタジオ:

沖縄本島北部、やんばる(山原)にある東村高江区で、
トートーメー(内地でいう位牌)をつくる木工職人一家、伊佐家の皆さんを訪ねました。

「やんばるというのは、なかなか行きにくいところではあるんですけれども、ほんとに自然がいっぱいのところですよね」

「地図の、オレンジ色の部分が、アメリカ軍が管理している土地です」


「日本にある、アメリカ軍関連施設の7割が、沖縄に集中しています。
そんな中、一時中断をしているものの、普天間飛行場が今、辺野古に移転する計画があります。
海を埋め立てて、滑走路を設置するということで、県民の多くが反対しています。
これと同時並行する形で、北部訓練場というところの敷地内に、輸送機オスプレイの離発着場を整備する、という計画もあるんです。
ただ、この辺が、やんばると呼ばれる、とっても森林が発達しているところ、
このやんばるを切り拓いて開発するということで、自然が守られないということで、反対の声が上がっているんです。
基地負担がなかなか減らないという中で、沖縄の本島の中でのやりとりというのは、本当に大変ですよね。
今回、アーサーさんが訪ねた伊佐さん一家は、やんばるの中にある東村、高江区、この北部訓練場の境目で暮らしています。
やんばるの森の恵みで生きる彼らは、現実でどう向き合っているんでしょうか」



2015年の、梅雨明け宣言が出た日の沖縄。
僕は、泊めてもらった民宿の主(民宿「てるや」照屋林一さん)と連れ立って、海に出た。




照屋林一さん:
オレンジの水平線て、沖縄だけじゃないかね…。





人間が、海を埋め立てようとしている。


しかも、巨大な軍港と基地を造るためだ。


竜宮城も顔負けの、この絶景。


1000種類の魚と、400種類のサンゴの暮らしを、人間の都合で終わらせるのか。





この、小さな大村湾の、大きな生態系の豊かさは、何が支えているのか。








それは、山の豊かさ、森の恵みが川を伝って、海へ運ばれてくるのだ。


沖縄本島北部一帯は、深い森に覆われている。




数百万年前に、大陸から切り離されて以来、固有の歴史を歩んできた山々は、『やんばる』と呼ばれる。


やんばるには、どのような暮らしがあるのか。

僕は、去年からそこに住む友人(田丸正幸さん)の案内で、ある家族を訪ねることにした。



田丸さん:
ここが1番の、高江の中の集落(住宅)密集地。
その売店が、メインで。


ここが伊佐さんの工房。



やんばるの村、東村高江の伊佐工房は、あいにくの留守。
それなら森に入ろうと思ったが…。


田丸さん:
こっから一回出てきたこともあるらしいから、米兵が。
だから、どっからでも入っていけるし…。


アーサー:
じゃ、そこをこう、渡ったらもう違法なの?


田丸さん:
いや、まあ、厳密に言えば違法だし。
だからもう、この黄色い杭が、基地ですよって表してるからコレが。


アーサー:
そういうことだ。

田丸さん:
USMCが。

アーサー:
United States Marine Corps(米国海兵隊)。
あらー、コンクリートじゃない。ちゃっちいわ。


田丸さん:
あははは!


高江の集落の周りの森は、立入禁止だらけ。
米軍基地なのだ。




アメリカ海兵隊が、1957年に、やんばるの東側を強制接収して、国境線を引き使い始めた、ジャングル戦闘訓練センター。


広大な森の中で、秘密のジャングル訓練を行う。




その基地と向き合う、伊佐工房だ。




沖縄の家々で、先祖を祀る『トートーメー』。


内地の日本語で言うなら、『位牌』が最も近いか。


伊佐工房は、そのトートーメーを専門に作る。
伊佐真次さん(1962年 沖縄県生まれ)が二代目だ。



真次さん:
だいたい奇数になっているんです。
1人、3人、5人、7人、9人、どんどんどんどん大きくなっていくんです。


で、ちゃんとこの札の後に、こうやって取れるわけなんですけど、


アーサー:
え、2枚になっているのは?

真次さん:
これはね、だから本当はいっぱいになったら、今度後ろにして、(表に)また新しい人の入れていくっていう…。




真次さんの長男、伊佐弓弦(ゆづる)さん(1990年 沖縄県生まれ)も、去年から、一緒にトートーメーを作る。



真次さん:
トートーメーがあるっていうことで、家に集うわけ。


清明祭っていって。
沖縄ではシーミーって言うんですけど、お彼岸みたいなものだ。


親戚が集まって、お互いの意見交換情報交換をするわけ。
あー、君のところの長男は、今どうしてますかねーとかね。
お嫁さん見つかった?とかさ。
だからね、うちの父親がよく言うんですよ。
例えば、酒場で酒飲んで、喧嘩なんかできないよって言うんですよ。
それは、その人の、また親戚の親戚は、きっとつながっている。
確かに、どこそこの伊佐ですって言ったら、あ、じゃあ、誰々知ってる?とか、
だいたい言えば、あーってつながっていくんですよね。
そういうことを信じていたらね、ほんと、戦争なんかできないと思うんですよ。



米軍の占領下で、伊佐工房を一から立ち上げたのは、真次さんの父、今年85歳になった、伊佐真三郎さんだ。



真三郎さん:
うちの兄貴、わしは三男、次男兄さん。
長男は、中国で死んだ、兵隊。
次男兄さんは、南洋。


真三郎さんは、沖縄地上戦を生き抜き、伊佐家の男として、1人残った。


真三郎さん:
あのときからわし、これやった(つくった)よ。
まず一番大事なのは、たくさん死んだ、だからあの、お祈りに使う位牌とか、ね、
これやらんとみんなかわいそう、と言って。


1945年4月に始まった地上戦で亡くなった人は、沖縄県民の4人に1人とも、3人に1人とも言われる。
みんな、家族の誰かをなくしているのだ。


真次さん:
これ(トートーメー作り)は、誰かがしなければいけないんだろうと思っているんですよね。
まぁ、特殊な仕事だといえば特殊だし。
ある意味、やりがいはあるんじゃないかなと思う。
変化はないけれど、それをきちっと作っていくっていう、大切さがありますよね。


3代目として、家業を引き継ぐことを決めた弓弦さんは、やんばる生まれ、やんばる育ち。


アーサー:
ここは遊び場?


弓弦さん:
そうですね、夏はよく遊んでましたね。

アーサー:
子供の頃、入っちゃいけない森がいっぱいあったわけでしょ?
入りたいなぁって思った?


弓弦さん:
入ってはいました。
なんかいろいろ、ガラクタとか、集めたりはしてましたね。

アーサー:
どんなガラクタ?

弓弦さん:
え、あれはなんだろ?
訓練用の弾のやつ(薬っきょう)とか。
入ってはいけないっていうのはわかっていたけれども、ハラハラしながらですよね


アーサー:
(森を)返してほしいって考えたりした?

弓弦さん:
うーん、そうですね、やっぱ、自然は…うーん…どうなんですかね。
ちゃんと守れる状態には、したいなとは思いますね。


弓弦さんにとっての森は、最初から軍事基地だ。


入ることが禁じられている。


でも、人間の決め事など他の生き物たちは知る由もない。
彼らの森のために何ができるのか?

ここはやんばる。


4000種以上の野生生物が、途方もない年月をかけて、この島で独自の進化を遂げた。




地球上で、ここにしかいない生き物。


その歴史が、今でも続いている。


海とつながる沖縄の豊かさの源だ。


この島のあらゆる生命体はやんばるによって結ばれていると言ってもいい。


そんな沖縄で、人々はトートーメーを作り、亡くなった家族の名前を記した札を、集めて並べ、1つの位牌に収め奉る。


この世とあの世をつなぐもの、沖縄ならではの、生者と死者の交流の文化だ。

伊佐家の人々は、そのトートーメーを作ってきた。
ここ、やんばるで。
お向かえに、米軍基地を感じながら。



アーサー:
高江に来たのは、何がきっかけ?


真次さん:
高江はですね、木工所の移転ということ。
こんな僕みたいなシティーボーイがさ、やんばるに来ていいのかなぁと思ったんですけど、
ここまで、この北部訓練場(北部訓練場=ジャングル戦闘訓練センターの別称)が、激しい訓練をしてるっていうのは、わからなかったですね。


アーサー:
じゃあ、来てから、いろいろ…。

真次さん:
来てからですね。
あー、こんなところに、こういう基地があるなんておかしい、と思ったですね。
だから、今、辺野古で作ろうとしているのと、全く同じで、うん。


アーサー:
その時は、まだ結婚してない?

伊佐育子さん:
してましたよ。
上の子ができて、そしてコレ(弓弦さん)は、(国頭村の)安田(アダ)で生まれてんですよ。

真次さん:
コレはやんばるの人。

アーサー:
ほんとのやんばる男。
ヤンバルクイナよりも、生息数が少ないんじゃない?

弓弦さん:
貴重種ですね。


京都生まれの石原育子さん(1960年 京都府生まれ)は、旅行できた沖縄で真次さんに出会った。
1986年に結婚。沖縄へ移住した。



育子さん:
(まだ)お付き合いしていない友だちの時に、彼のお家に行ったら、(真嗣さんの)母親がいたんですよ。
で、初対面であった途端に、京都から来たんだよーっていう紹介を、真嗣さんがしてくれたら、
「そうなん、こんなとこにお嫁に来るなよ」って言われた。


「沖縄には、お嫁に来るなよ」って言われたの。

続けてね、
「嘉手納基地見てきたか?」って。
「あそこには、広島長崎のピカドンの、あれの何倍も大きなのが、地下にあるのよ」って。


その時は意味がわからない。
もうわたしは、平和ボケしてるから。
で、しばらくそのまま忘れてて、お嫁に来てしまって。
沖縄で暮らしている間に、米軍の、毎日のように起こる事件事故。


そういう中で、1995年の、少女暴行事件の、あのときの集会に行ったら、年配の女性は、みんな泣いていたのね。
あ、沖縄の人は、基地を受け入れてなかったんだ。


どうして自分たちは、あの少女さえ、1人守れなかったのか…。


日米両政府は、辺野古だけでなく、ここやんばるにも、さらなる米軍施設を、建設しようとしている。


オスプレイ専用に、森を新たに切り開いて、直径75メートルの着陸帯を、6つも建設すると言う。



真次さん:
ここは亜熱帯の森ですから、適度な湿度で守られてるんだけど、この直径75メートルの円形を作るわけです。
そうすると、その周りの切られたところから、風が入っていく、日光が入っていく。
乾燥化が進んでいって、生態系が変わるって言われているんですよね。



2007年夏、工事が始まった。


高江に住む人々は、国に対して話し合いを求め、座り込みを始めた。








「うちのねぇ、山全部壊してさ、こんなことで沖縄の宝を壊して」



育子さん:
この基地を受け入れて、オスプレイが飛び交うところになってしまったら、母親の「嫁に来るなよ」という言葉が、そのまま自分に返ってくるんですよ。
「こんな危ないところに住まんでよ、外に行って住みなさい」っていうね。


そういうことを、自分が、今度は子供に言わないといけなくなってしまう。

真次さん:
まず、私たちと、話し合いの場を持つ。
そうじゃないとですね、いつまでたっても平行線なんですよ。



六つのうち、二つの着陸帯は、去年完成してしまった。


オスプレイの訓練も、もう開始されている。

けれど残り4つの工事はちっとも進んでいない。


住民と支援者が交代で座り込みを行い、今年の夏で丸8年、休まず続いている。




郁子さんは土曜日の座り込み当番だ



育子さん:
一日でもいいんです、うん、遅らせたいっていう気持ちでね。


それが積み重なって、何年も暮らすことになるのかもしれないしね。
お金いっぱいもらってご馳走食べるよりも、平和な暮らしの中で芋の方がいいっていう、沖縄の人の言葉があるのね。
人を傷つけて、ね、贅沢しなくていい。
便利にならなくていい。


アーサー:
芋でいい。

育子さん
うん、ね、一番体にいい。
おじいは長生きしてる。


毎日、お互いを思いやりながら生活する、家族の、これからのための座り込み。
やんばるに暮らし、森の生き物の代表として、頑張る。
人間には、それができる。



育子さん:
やっぱり、そういう自然を生かして、自分たちもその自然で生きていきたいと思うので、
ある程度はやっぱり、恵みをもらわないといけないし。
そこで。人間の知恵がいるんじゃないかなと。
戦争する知恵じゃなくて。


真次さん:
「知は力なり」ですから、暴力では解決できないと思うんですね。


アーサー:
伊佐さんは、非暴力主義者?

真次さん:
僕、ガンジー言われてますけど、あ、誰も言わないか、ははは!
話し合えばわかるのにって思う。
愛だよ愛、世の中を変えるのは。


アーサー:
グイアームストロングも、昔そう言ってた。

真次さん:
ああ、そうか。

アーサー:
でも、なんかむかつくときは?

真次さん:
ありますよ、むかつくけど、それは一瞬だね

アーサー:
トートーメーって、手を合わせてちょっとこう、落ち着いた気持ちで向き合うでしょう?

真次さん:
会う人会う人にみんな、こうやればいいんだよ、手を合わせればいいんだよ。

アーサー:
そしたら、本当にガンジーって呼ばれる。


やんばるの、自然界の多様性が、これからも続くために、座り込む。




沖縄の、この世とあの世をつなぐ、トートーメーの文化を、ずっと作り続ける。


伊佐家は、それを選んだんだ。










やんばるの森が存在していること自体、奇跡だなぁと思いますね。
ヤンバルクイナも、ヤンバルホホヒゲコウモリも、ヤンバルテナガコガネも、みんなやんばるにしかいない生き物で、
彼らがそもそも、誕生したことも奇跡だし、彼らの生態系が今も続いていることも、奇跡だと思います。
その奇跡の背景には、やんばるの森をずっと、守ろうとしている人々の活躍もあって、今回、伊佐家のみなさんにお会いしました。
やんばるの森を守ろうとすると、ある種のもどかしさを、味わうことになります。
というのは、その、やんばるの森に分け入って行こうとすると、それが違法行為になるんですね。
でも、その入れない森、そのもどかしさも含めて、みなさんがその、戦いの原動力にしてて、それもとっても力強いなっていうふうに思いました。


スタジオ:
「戦場取材で、これまでいろんな戦地に行きましたけど、そこには米軍の海兵隊の姿があったりして、
一見、その戦争は、日本とは関係ないように見えるけど、実は、その海兵隊は、沖縄から来てる場合が多いんですよ。
そういった意味では、すごくその、日本が戦争とつながってるということを感じて、ため息が出たり、
また、そうした米軍が、やっぱり自然環境の中で、破壊をしながら存在していくという、
こういうことをやっぱり、我々としてもしっかりこれ、考えていかなきゃいけないな、と思いますね」

「子供の頃、小学生の時に、ヤンバルクイナを教科書で知って、見てみたいなーって思った気持ちを、今まさに思い出しました」

「伊佐さんが住んでいる、高江という村。
これは、あの数年前に、ドキュメンタリー映画で有名になった、『標的の村』というところの舞台なんですけれども、
ベトナム戦争の時代、アメリカが、高江の村、集落を、ベトナムの民家に見立てて訓練をしていたという、
もう50年60年の歴史を持っている、辺野古に比べてなかなか報道量も少なくて、注目されることが少ないんですけれども、
こうした、森と生きる人たちの息遣いも含めて、今日、知ることができましたね」

「なんか、普遍的なテーマですよね。
そういう自然環境の中で、我々人間も生かされているわけだし、そこを、その戦争をする人たちが、破壊しているというね…うーん…」

「ということでした」
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『海街diary』と『しばしのお別れ会』と『カヤック漕ぎ』と『沖縄』と

2016年07月27日 | 友達とわたし
のりこ&ジャン夫妻のまぁるいお家に、初めて遊びに行かせてもらったのは、6月のはじめの、空一面が薄い雲に覆われていた日だった。


水がとにかくきれいで、美味しくて、だからウォータークレスが野生ですくすく育っているような町で、
わたしはいっぺんに惚れてしまい、また行きたくてウズウズしていたのだけど、こちらからお邪魔ばかりはできない(←夫のポリシー)からと、
なんの変哲もない、ありふれたニューヨーク郊外の小さな町の我が家に、遊びに来てくださいと誘った。
それも前日のギリギリに。
友だちの仲といえど、予定を決めるのに最低でも3日以上は必要だからと、事前に都合を聞いたりするのが夫の常識なんだから、思いっきり非常識だった。
すると、カヤックに乗る約束してたんだから、こっちにおいでよ!、とのりこ。
きゃっ!とばかりに舞い上がり、行く行く!と答えていた。

そんな会話をしていたのは土曜日で、のりことジャンは、セントラルパークのストロベリーフィールドで、沖縄の基地問題に苦しむ住民の人たちに心を寄せながら、抗議活動をしていた。
わたしは、アスファルトの熱に猛烈に弱い上に、連日の寝不足で体力に自信が無かったので、参加しないと決めてはいたものの、
実は夫もわたしも、その週末は月曜日までの3連休になっていて、遠出はできなくても何かしら楽しめないかとあれこれ探していたら、
是枝監督の『海街diary』が、マンハッタンのリンカーンセンター・シネマでやっているというので、映画館の中なら大丈夫だろうと行ってみた。
この映画は去年のもので、今年の誕生日に届いた弟からの『お楽しみ箱』の中に、この映画のDVDが入っていた。
是枝監督作品の中の日本の風景は、あるある!と頷いたり、思い出されたりすることが多くて、だからしみじみと懐かしくなる。
人々の暮らしや仕事っぷりはもちろんのこと、出てくる人たちの話し方までが、とても自然なので、妙に可笑しかったり馴染みやすかったりする。
だから、4人姉妹それぞれの言葉や動きの中に、小さかった頃の、少しマセていた頃の、そしてすっかり大人になった頃の自分の、
その時々に感じていた可笑しさや辛さ、恐れや怒りや悲しみが、細い水の糸になって絡み合い、わたしの心の中に静かにしみ込んできて、
気がつけば、圧倒的な悲しみに、わたしはすっぽりと覆われていた。
だからぎゅうっと唇を閉じていないと、場所を構わず、小さな子どものように、オイオイと泣いてしまいそうだった。

その後すぐに、クィーンズに住む次男くんたちのアパートに行き、ガールフレンドのまなっちゃんの誕生日祝い&しばしのお別れ会をした。
そんなこんなの、けっこうバタバタしている間に、のりこが誘ったレイチェルと彼女の娘っ子のジェイン、そしてわたしたちの4人がお邪魔する、という計画ができていた。

庭がずいぶんと進化していた。


カヤックがもう既に準備完了。大変だったろうなあ…。


のりこの庭は、わたしが目指す大きな岩と緑のコラボ。


なんて美味しそうな土だこと!


シーサーが見守る庭。


でっかい花。隣のジョウロと見比べてほしい。


これまた元気いっぱい。


花も元気。





さあ出発!
カヤックの先端がにょっきり…こういう光景はなかなか見れない。


4つのカヤックを積んだジャンの車。カヤックはびくともしない。


着いた!前回の湖より何倍もでっかい。


なんか、カナダを思い出す。




レイチェルが持参したカヤックは、彼女の娘たちからの贈り物。今日は初乗り。


順々にカヤックを湖に浮かべる。






オールを組み立てるのりこ。ベテランさんです♪




カヤックの中にカメラを持ち込むのはやめた方がいいと言われ、しぶしぶ諦めた。
だからここからは、レイチェルが携帯で撮ってくれた写真をお借りして。






ジャンのカヤックには帆が付いている。
彼は小さな頃からカヤックに乗っていて、だから帆が受ける風の強さや向きを見極めることができる。
この日はほとんど無風に近かったから、ちょっと大変そうだった。




暑いけれども、水の上なので気にならない。だけど念のために木陰で休憩。


カヤックに乗りながらいっぱい話をした。やっぱりのりこは、出会うべくして出会った人だと思った。


ジェインはピューっとどこかに行ってしまう。漕ぎ方がうまい。


そして、木陰でゆっくりと涼んでいる。


水がきれいで、だからマジで泳ぎたかったのだけど、泳いだ後にもう一度カヤックに乗り込めないのはわかっていたので諦めた。


もうどこにでも生えている野生のラズベリー。超〜うま!



今度はみんなで手伝って、カヤックを積み直し、


サンルーフからカヤックを見上げながら走っていると、


「あ、卵!」とのりこが指差す方を見ると、看板が出ていた。
このお家はご近所で、だからまずは家に戻り、財布を片手に歩いて行ってみると、残念ながら売り切れていた。


ジェインとジャンが、カヤックの片付けをしてくれている。



さあ、夕食の時間だ!
わたしたちが台所で野菜料理をせっせと作っている間に、






ジャンは、秘伝のバーベキューソースをたっぷりかけたそれはそれは美味しいチキンや野菜を、焼いてくれていた。


蚊対策はバッチリ。




小川のせせらぎの音が、耳に心地よい。


この平和を、静けさを、そして自然との共生を、凄まじい騒音と恐怖によって奪われてしまった沖縄の人たちの無念と怒りに想いを馳せる。



わたしのドリームハウス?蚊帳つきの部屋!


美味そ過ぎ!




さあ、食べよう!


レイチェルの娘ちゃんのジェインは、とても聡明でチャーミングな女性で、けれども時々、コトンとレイチェルの肩に頭を乗っける可愛い仕草をする。
いいな〜やっぱり…うちの息子たちなんて、わたしが近寄っていくと後ずさりするんだもんな…。





楽しい時間、美味しい時間は、あっという間に過ぎていく。
気がついたらまた、夜の10時を過ぎてしまっていた。
ジャンとのりこが製作中の、沖縄のドキュメント映画の一部を見せてもらった。
のりこは沖縄のやんばる出身で、だから彼女の沖縄への想いは、わたしの想いなどとは比べ物にならないほどに強い。
そんな愛しいのりこの想いに共感したジャンは、沖縄を学び、沖縄に足を運び、沖縄を自分の心と体で感じ、それを映像に残したいと願っている。
映像とともに流れる三線の響きが、胸に響いた。
映像を見つめているうちに、わたしの頭の中で音符が踊りだした。

さて、居心地が良すぎるからと、長居していてはいけない。
ジャンは明日、務めがあるのだ。
それに、空と海はきっと、連日の置いてけぼりにムシャクシャして、拗ねているにちがいない。
などと自分に言い聞かせなければならないほどに、離れがたい友だちと場所に出会えた。
ほんとにありがとうジャン、ありがとうのりこ。
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