ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『カナダ記』その5&6

2011年07月27日 | 友達とわたし
7月25日

湖での最終日。かなり気温が低め。曇り時々小雨。
旦那の鍼とわたしのマッサージで、少し好転反応が出てきたイライザ。デッキでスケッチをする。


カヌーで近くの小島まで探検に出かけたルーと旦那。サギを見つけたらしい。


さっそくイライザとわたしも出発。
イライザは子供の頃から深刻な糖尿病にかかっている。
今はどんどん医療が進んできて、毎日の処置も随分楽になったけど、一日中チェックしなければならないことには変わりがない。
彼女はカヌーを漕ぐのがとてもうまい。子供の頃、糖尿病の子供ばかりを集めたカヌーキャンプがあって、そこに8年間通ったのだそうだ。
いろんな話をしながら漕いでいると、あっ!いたいた!
わたしがカメラを構え、イライザが音をたてないようにそぉっとカヌーを近づけていってくれる。


あっという間に向こう岸まで飛んでってしまった。


もっちろん、追っかけをしたわたし達。
またきたんかいな……しつっこいな……。


なぜか今回は、10メートルずつぐらい離れた所に止まってはまた飛び、また止まっては飛ぶサギさん。
写真、撮ってほしかったんかなあ……。


岸に着いてしばらく岩に座っていたイライザに、「まうみ、ちょっと、来て来て!」と、またまた呼ばれた。怒らせんよう、そぉっとパチリ!


岩の近くには天然のブルーベリーの木がある。


気温はこの通り75℉。摂氏に換算すると23℃ちょっと。


マーケットまでの道ばたの花。


スーパーマーケット『IGA』?!IGAって……伊賀やん……懐かしいやん……。


近くの山は、冬はスキーのコースになる。


コッテージの掃除をして、ゴミや再生ゴミをまとめ、次に来るルーのお姉さん家族のための冷蔵庫の申し送りをし、いよいよ湖とさよなら。
モントリオールのルーとイライザの家に向かう。
この車線は名物。


彼らの家。三階と地下のお家。各階にキッチンとバスルームがある。


今夜は今回の旅行では初めてのプチ贅沢な夕食を、彼らのお勧めのフレンチレストランでとることにした。
ダウンタウンの中心の通りを歩いていると、


なんでカミカゼが下着屋さんやねぇ~ん?!

築百年は超えている家並み。モントリオールの街中の家は、こんなふうにぴっちりとくっついているのが特徴。


フレンチレストランは満員。人の話し声で店は大にぎわい。こんな感じがフランスっぽいのだそうな。


必ずついてくるちっちゃなピクルス。


海老好きのわたしはもちろん、ロブスターのスープと海老のリゾット。めちゃくちゃ美味しゅうございました!


ここモントリオールが起源だったという貸し自転車システム。
30分走ったら最寄りの所で乗り換えるのだそうな。そうすることで、ひとりの人間が一台の自転車を独占することを防げる。


かなりヨーロッパな町並み。


パパとママの帰りをひたすら待つバートの頭のてっぺん。



7月26日

曇りのち大荒れ。雷と豪雨。そして晴れ。
最後の最後まで、カフェ巡りに執念を燃やすわたし。今朝は早くからアーモンドクロワッサンとカフェラテを目指して散歩に出かける。

モントリオールの下町特有の、階段付きの家。上階に住む人達は、この階段から家の中に入る。
便利だけど、冬場は寒いやら滑るやらで、すごく困るそうな……。


カフェはどこもみんなすてき。それぞれのスタイルで楽しませてくれる。


名残惜しいけれど、そろそろ日常に帰らねばならない。
もともと気持ちが進まない我々の行く手には……あかん……もっと帰りとうなくなるがな……。


UNITED STATES OF AMERICA!


日本やと、「右手に見えますのが有名な屏風岩でございます」、とか言うて、バスガイドさんが紹介しはるんやろな。


とか言うてたらみるみる雲が広がって……見えへんがな……。周りではピカピカと、めちゃくちゃな数の稲光が落ちてきて、恐いったらもう!


そんなこんなを数回繰り返しながら、戻ってまいりましたニュージャージー!
いきなりの快晴!暑い!
ここ最近、100℉を超えてて、お気の毒なことに、熱中症で何人もの方達がお亡くなりになったらしい。


家に着いたら、庭にはちゃんと水撒きをしてくれたあとが残ってて、家猫も無事に、それほど拗ねてもなくて、世話をしてくれた息子と息子のガールフレンドに感謝!
ありがとう!おかげさまで、心の洗濯させてもらいました。

さあまた、明日からがんばるぞ~!
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『カナダ記』その3&4

2011年07月27日 | 友達とわたし
7月23日

快晴。けれどもかなりカナダ的。
起きる。朝食を食べる。泳ぐ。本を読む。昼食を食べる。また泳ぐ。本を読んだり昼寝したりする。
もちろんこれをやりたくてここに来たんやけど、ちょっと違うこともやりとうなる。
それで、長年ここにやって来てるこの二人が、まだ一度もまともに行ったことがないという近所の観光地に連れてった。
この観光地は、去年、あさこと旦那と3人で来た時に、偶然めちゃくちゃ美味しいカフェを見つけたとこ。


カフェにはうるさいこのふたり。少し前までフランスに滞在してたし、今住んでるとこもフランス文化が根付いてる。


旦那が珍しく頼んだアイスクリームと、わたしが頼んだ温かなチョコレートトルテ。この生クリームが絶品!


お店の中にはコーヒーの香りがむんむん。


あさこちゃん、懐かしい?


カフェの隣にある市場。大好きなキッシュがずらり!う~んたまらん……。


アメリカのカップケーキとついつい比べてしまう……。


チーズを物色するチーズオタクの三人。


奥の野菜市場にずんずん入っていくと、「ボンジュール」と挨拶されてしまった。
練習していた「ボンジュール」を張り切って言うと、いきなりフランス語の嵐!?ひぇ~!!「ボンジュール」しか知らんねん!!


これまた近所の教会。ちょっと天気が怪しい。去年とは違い、塔がこんなふうに銀色に塗られてしまってて残念!


3日目の夕飯は、市場で買った、超こだわり派の職人のおじさんが作ったソーセージと野菜のソテー。


読書にいそしむ二人と一緒にくつろぐバート。あんたの顔見てたら眠となったわ。おやすみ。



7月24日

快晴。気温はかなり低め。
外が騒がしいのでテラスに出て行くと……やっぱり……リスってどこのんでもこんな調子でいたぶるんやね、ワンちゃんやニャンちゃんを。


すっかりバカにされたバート君。旦那になぐさめられるの図。


わたしの寝室の窓から見える景色。


まだもうちょっと落ち込んでるバート。


雲がポカンぽかんと湖の上で漂ってる。背泳ぎして空を眺めてると、地球がほんまに美しい星なんやとわかって泣けてきた。


かんかん照りの太陽。


我々の無事を見守るバート君。


今日もまたいっぱい泳いだ。ありがとう湖。


今日のおかずは冷蔵庫の掃除。アルモンデスパゲティ。


明日ここを出るんやから、しっかり掃除掃除!
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『カナダ記』その1&2

2011年07月26日 | 友達とわたし
7月21日

快晴。というより晴れ過ぎやねん!朝っぱらからムシムシと気色悪いねん!
渋滞に巻き込まれるのが、拗ねて黙りこくる女よりも嫌いな旦那。
なので、巻き込まれたくない一心で、必死で考えて旅行の予定を組む。
今回は朝6時に出発し、ニュージャージーでも、カナダとの国境でも、モントリオールの市街でも、渋滞を避けられる予定やった。
ところが……、
いきなりやってきた猛暑で熱帯夜。そこにきてとうとう旅行や!というので嬉し過ぎて、ふたりとも揃いも揃って全く眠れず……、
夜中に鉢合わせした時に、「こんなんでは6時なんて到底無理やから7時半に変更」と、クタクタに疲れた様子の旦那から変更のお達しがあった。
ふむ……。
わたしはわたしで、眠れへんばかりか大汗かいてしもたので、それやったら7時に起きてシャワーを浴びようと決めて少し寝た。
7時半には出られたけど、やっぱりちょっと渋滞が始まってた。
それでもまあまあ車の流れはあったので、まあええやんと助手席の窓から外を眺めてたら……、
「あ……」
なんでか知らんけど突然、ほんまに突然に、あることを思い出した。
「わたしってもしかしたら、ちょっと前に、財布になんでも入れといたら落とした時に困るからって……」
グリーンカードを他のケースに入れ替えたんと違たっけか?!
ぞぉ~っとするようなサッブイ記憶がいきなり甦ってきて、一瞬どないしょうかと迷ったけど、一分迷てる間に車は何マイルも進んでしまう。
えぇ~い!ここは覚悟を決めて、めちゃくちゃ怒られるやろけど真実を告白するしかあらへんやん!
「あのぉ~……」
「え?」
「めっちゃ悪いねんけど……」
「なに?」
「めっちゃ言いにくいねんけど、最寄りの出口で降りてくれへん?」
「なんでやねん?」
「わたしだけカナダに入国できひん」
「パスポート?」
「グリーンカード」
「……ったく……」
とりあえず、思い出した地点は家から30分ほど走った所で、まだ戻るにはマシな距離やったけど、渋滞真っ盛りに突入することになったから、もちろん旦那のご機嫌は斜めにどんどん傾いてった。
で、遅れついでに、旦那が最近ハマってるダンキンドーナツに行って、アイスコーヒーとホットサンドを調達。ちょっと機嫌が戻る。ホッ。

ニュージャージー州からニューヨーク州にどんどん北上してってるのに、気温が全然下がらんばかりか、100℉に近づいていくではないか?!
そんなアホな……。
ここがアメリカ最後の出口でっせ~!


こんなガラガラの入国は初めてかも……平日の中途半端時間恐るべし。


カナダに入ると電話はBell会社。ケベックの州旗。


しばらくは真っっっっっすぐの道が延々と続く。


標識がマイルからキロに変わってるのはわかってたけど、どうしてか車のスピード表示の数字を換算せずに走ってしまってて、ビュンビュンと気分よく無邪気に、めちゃくちゃなスピード違反をしていたわたし……捕まらんでよかった……。

カナダのことやったらなんでも聞いとくれやっしゃ~のおうち。めちゃくちゃきれいな森の中にある。


さて、まずはモントリオールに向かう。


マンハッタン同様、島の街モントリオール。橋の上から眺める運河は広々として美しい。


我々の車の前をかなり長いこと走っていたトラック。荷台のブツがブツだけに、ちょっと生きた心地がせんかった。


めちゃくちゃ長い貨物電車。とうとう先っちょもシッポも見えんかった。


なんでやねぇ~ん!カナダに来てなんでこの暑さやねぇ~ん!


どんどん山の奥深くに入り、期待していた気温の落下も無く……しくしく……けれども到着した湖はやっぱり泣けてくるほど美しかった。


まずはひと泳ぎ。


明日はここで本を読もう。


ご飯の前にもう一枚。


一緒に滞在する、このコッテージの持ち主家族の息子で旦那の幼馴染みのルー。我々の夕食のためのバーベキュー係を担当してくれている。


ルーの奥さんイライザ。カナダでは有名な画家さん。


マリネチキンと野菜のバーベキュー。うまかったぁ~!



7月22日

心配していた熱波がシュルシュルと去り、気温はかなり過ごしやすいものになった。
湖面に風がスウッと通り、水面にたくさんのキラキラができていた。


「まうみ、早く早く!ダックがいる!カメラ持っておいで!」と、ルーがえらい勢いでやってきた。
一緒について行くと……。


ちょっとお顔が珍しいダックの夫婦。旦那さんの頭がツンツン尖っててパンクっぽい。気に入ってしまった……。


この方、バート君8才。ルーとイライザの大切な家族。ダック夫妻の方にそろ~りそろ~りと……もちろん呆気なく逃げられた。


潜水艦バート君、頭とシッポが可愛いすぎ!


いったいなにをそんなに熱心に覗き込んでいるのやら……。旦那のおっさんシャツがイカしてまっしゃろ?


バート君、いっつもなんか困ったチャンっぽい顔がチャーミング。気持ちの優しい表情豊かなワンちゃん。


この日の夕食は、旦那が作ったミートボールと、ルーがジャガイモとブロッコリーをバーベキューしてくれたのをいただいた。


湖の周りには、ぽつりぽつりとコッテージが建っている。
夕方涼しくなったからか、年配のグループがそれぞれのボートに乗って井戸端会議ならぬ、湖の真ん中談議。もちろんフランス語。めっちゃ楽しそう。


夕暮れが近づいてきた湖。おやすみなさーい。 
 
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静かな湖畔の森のかげから

2011年07月20日 | ひとりごと
もう起きちゃいかがとカッコウが鳴く~♪

ええと、明日の朝6時起床(多分旦那に叩き起こされて)、カナダを目指して出発します。
乗って5分も経たへんうちに喧嘩が始まる旦那とわたしが、とりあえず協力し合うて、まずモントリオールを目指し、そっからまた2時間ちょっと離れた山奥の湖畔まで運転します。

さて、6日間も家を離れるので、留守を頼むべく、息子にいろいろとお願いをしました。
野菜の水やりと家猫の世話。
どちらも言葉を口にできない生き物ばかり。
なので、気を抜かないで、しっかりとやって欲しい、と頼みました。

毎日1~2本、みるみるおっきくなるキュウリくん。


おぉ~、ナスビちゃんのほっぺがちょっぴり見えてきましたぞ!


「わたしに触ったらあかんで~痛い目に遭うで~」と言わんばかりの、花が終わったナスビちゃんの立派なトゲトゲ。誰が触りますかいな!


あ~あ、とうとう食べんと咲かせてしもた……キクナの花……。


わてらのんきなシュガースナップ~♪風に吹かれてぶ~らぶら♪


謎のつぼみを持つ花が、こんなになってました。さらに謎やがな~!


隅っこでこっそり咲いてたガク紫陽花。可憐とはこ~ゆ~姿を言ふ。え?なに?わたしもって?


まだ咲いてないけれど、この花も好き。



今夜は、こないだ買った野菜セットの残り(トマト、ピーマン、オクラ、かぼちゃ)を海老と炒めたのと、塩もみしただけのキュウリくんのざく切りを、豪快にいただきました。
これで冷蔵庫の掃除も完了。
キュウリくんとシュガースナップの食事&消化は、息子にバトンタッチ。

さてと、これからちょいとパッキングして、息子への伝言メモを書いて、家猫にちょっとサービスして……、

「またどっか行くんやろ。ちゃ~んと知ってんねんから。拗ねたるねんから」



それではみなさん、6日間、山奥にこもって修行してまいります。
インターネットもテレビも電話もつながらない山の奥で、自分をしっかり見つめ直してきます。
そしてリフレッシュして戻って来たら……またうるさいで~!覚悟して待っててや~!忘れんといてや~!
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日本が世界をぐいっと動かすねん!

2011年07月20日 | 日本とわたし
先日、ツィッターでつぶやいていると、ある人がこういうメッセージを送ってきた。

『精米された米の含有量から計算してません?
土壌中の濃度で対比しないと……。
日本国中どこにでもセシウムなんてゴロゴロしてますよ、
残念でした。
あのさ、危険危険だとばかり煽ってても意味ないの。
もうどうすればより安全になるかを考えてよ』


煽ってへんねん。今の今まで、無知決め込んで、なんも学ぼうとせんかったことを反省してるねん。
けど、反省してるだけではなんも前に進まんから、今こそ、なにかこの日本の町や村の、でかいこと言うたら国の、もっとでかいこというたら地球のために善かれと思うことをしたいと思てんねん。
そうせな、うんと婆ちゃんになって、そろそろこの世とさいならしょうかっていう時に、
「かんにんな、こんなことになってしもて」言うて、謝らなあかんやん。
そんなんイヤやねん!
「あんときゃ滅茶苦茶やったなあ。けど、みんな必死で踏ん張ったさかい、とりあえずマシになったな。ありがとう。ほなさいなら」
言うてあの世に行きたいねん。

核実験があっちゃこっちゃで好きなように行われてた時、ビキニ島の被曝事件の後、ひとりの女性が新聞に投稿した、
『「原爆の灰がいつ何時降ってくるかわからない世の中だもの。なにが起きたって仕方ないよ」
夫は新聞を読みながらそう言う。
「原爆をつくることをやめれば」
わたしがそう言う­と、夫はあきれかえったようにわたしをながめていた』

っちゅう文章を読んだ人達が、少しずつ少しずつ署名の運動を始めて、ついには三千万もの署名を集めた。
その運動が世界にまで広がり、大気圏の核実験に終止符を打たせた。
わたしはその2年後に生まれたから、その当時のことは全く知らん。
けど、その頃の地球は、それはそれは汚染されてたんやろと思う。
それがやっと、大気圏での実験だけでも無くなって(中国が止めへんかったから完全にではないけど)、案の定、汚染もみるみる低なり始めた頃にチェルノブイリがドッカーン!

ほんまはあの時、世界がハッと目覚めて、よっしゃ、うちも一基ずつ止めていくわ!と、各国の首長が賢い選択をするべきやった。
首長がアホやったら、しゃあないから、市民が目覚めて、原発止めんかい!60億人の署名運動するべきやった。

けど、あれはしゃあないわ、ソビエトやもん。そやなあ。えらい気の毒やけど、ソビエトやもんなあ……。

自分とこは大丈夫。

どこの国もそう思てたやろと思う。
そやかて、原発狂団の洗脳はすごかったもん。
学校の教室にまで入り込んで、子供に見学させて、コマーシャル流して、パンフレット配って、「安全でクリーンで安い!」言うてたし。
「絶対事故起きません!」言うてたし。
あんなヤクザみたいな連中使て工事したり、夜中に奇襲突貫工事したり、札束で住民のほっぺた叩いてたりしてたやなんて……、
ほんの数ヶ月前まで知らんかってん。恥ずかしいけど。

なんも、原発が憎い言うてんのとちゃうねん。
原発に関わってきた人は、世の中のためにええことやと思て、それぞれに誇りを持ってやってきはったと思うねん。
けど、理想と現実はちゃう。
高速炉もまだまだ実現にはほど遠い。っていうか、多分、この先なんぼ頑張っても、無事故で成功までにこぎ着けへん。
やっぱたかが電気のために、こんな危険なもんを手段として使うのはやめなあかん。
全く地震も津波も起こらんとこにある原発でも、事故は起こってる。
隠してるから無いみたいに見えるけど、そこらでちっちゃい事故はいっぱい起こってて、ちっちゃい放射能漏れは数えきれへん。

わたしや、他の大勢の人が、危険や危険や言い続けてるのは、危険を煽ろうとしてるんと違て、実際に起きたことを、今までのわたしみたいに、知らんと過ごしてる人達に知ってもらいたいだけやねん。
知らな、自分で自分のこと考えることもできひん。
知ってもなんもせん人もいる。
知ったら絶望する人もいる。
知って怒り出す人もいる。
上の人みたいに、どうすればより安全になるか考えてよ、とか言うてくる人もいる。

どうすればより安全になるか……。
それにはまず、どこがどう不安全なんか、それをとことん知って、それをまずひとつずつ対処していくしかないやん。
けど、対処するにも、相手が大き過ぎるし範囲が広すぎる。
そやからこその国やねんけど、その国は知らんぷりで、つまらん言い合いを空調の効いた部屋でやってるだけ。
どこがどんだけ汚れてるか。
なにがどんだけ汚染されてるか。
それをちゃんと測れる方法と道具を揃えてくれさえしたら、あとはみんなでなんとかするわ言うてんねん。
もうしゃあないやん。
こんなダダ漏れの放射能が、もう140日近くも、空気やら土やら水やら海水にしみ込んでるんやから。

汚染は今までにもあった。
福島第一の事故前でも、ほんの微量ではあったけど、空気の中には人工の放射能汚染が含まれてた。
けど、そやからこれもまあ、今までの歴史の中のひとつの事象に過ぎひんと、いつか振り返って思うんちゃう?なんて絶対に思えへん!
これは、57年前に投書した、ひとりの日本女性が世界を動かしたように、今度は何人もの日本人が世界を動かせ!っていうことやねん!
そやし、これからも「危ないで!あかんで!目ぇ覚ましや!」って叫び続けるねん。


参考までに。
日本は今までにも、こんな感じ↓で汚れてました。

『わが国の米、小麦および土壌におけるストロンチウム90とセシウム137濃度の長期モニタリングと変動解析』

農環研報24、10.21.2006 (駒村美佐子、津村昭人、山口紀子、藤原英司、木方展治、小平潔)

はじめに

地球環境には天然と人工の放射性核種が混在している。
人工放射性核種の大部分は、米国、旧ソ連、英国、フランスおよび中国が1945~80年に行った、約1200回の大気圏および地下核爆発実験により放出された。
このうち、グローバルな環境汚染をもたらしたのは、423回に及ぶ大気圏内核爆発実験である。

研究の進展と核実験や原子力施設の展開とを考慮しつつ、時代を区分すると、
1)1950年代の黎明期
2)1960年代の米ソなどの大型核実験期および
3)1960年代中後期以降の中・仏の核実験期
4)1970年代以降の中・仏の核実験期
5)1980年代半ばのチェルノブイリ原発事故をはさむ時期
6)1990年代以降の時期
7)2000年代~最近
となる。


*白米の放射能汚染形態

玄米から白米への精白は、通常9~11%の糠を除去する。
白米のストロンチウム90(以降90Sr)とセシウム137(以降137Cs)濃度は、核爆発実験の規模と回数を反映し、フォールアウト(放射性降下物)量にほぼ比例している。

大気から降下して穂先に沈着した90Srは、一部が糠層に浸透するが、大部分は糠層に留まるため、白米への移行は極めて少ない。
一方、137Csは、穂先→糠層→白米へと、比較的容易に移行する。

*玄麦の放射能汚染形態

わが国の玄麦で、チェルノブイリ事故の年に137Csの高い汚染が生じたのは、137Cs降下量の多かった時期に出穂日が重なったためと推定される。

*直接汚染と間接汚染の割合の変化

90Sr、137Csともに、降下量が多いほど茎葉などから取り込まれ(直接汚染)、1963年頃では70~95%を占める。
しかし、降下量が激減した1990年以降は、経根吸収による汚染(間接汚染)が主である。

*90Srと137Csの、水田および畑作土内における滞留半減時間

水田作土の滞留半減時間…90Sr:6~13年、137Cs:9~24年
畑作土の滞留半減時間…90Sr:6~15年、137Cs:8~26年
畑より水田の方が短いのは、水田の方が年間容脱量が多いことによる。

栽培期間中に降下した90Srと137Csの量を知ることにより、米および小麦の放射能濃度の推定が可能である。 

チェルノブイリ原発事故の放射能降下物が、核実験の降下物と比べて特徴的だったのは、
放射性ヨウ素(Fig. 11)をはじめとする揮発性核種に加えて、安定体の放射化生成物134Csが含まれていたことであった。
つまり、核実験ではごく短時間に核分裂が生ずるが、原子炉事故では長期に亘る核燃料の燃焼で蓄積している核種が放出されるため、検出される核種組成が異なっていた。

世界規模のプルトニウムの汚染は、1964年、原子力電池を搭載した衛星が、南半球の上層大気で燃え尽きたことから起った。
この時、0.63PBqの238Puが大気中に放出された。
一方、局地的なプルトニウム汚染も多く存在している。
公表されている例の中には、
水爆搭載航空機の落下事故(スペインのパロマレス(1966年1月16日)
グリーンランドのチューレ(1968年1月21日))
プルトニウム工場(米国、ロッキーフラッツ)の火災事故に伴い発生したこと等がある。
さらにチェルノブイリ原子力発電所事故に伴い、かなりの量のプルトニウムが環境を汚染した。

チェルノブイリ事故は、ロシア・ヨーロッパに深刻な137Csの汚染をもたらしたが、
日本では、時系列データに明らかだが、核実験による137Cs降下量に比べて、わずか数%にしかならない。いかに核実験による全球フォールアウトが、大規模な放射能汚染事象であったかが、よくわかる』
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おめでとう日本!マンハッタンが心よりお祝いします!

2011年07月18日 | 日本とわたし



普段、この彼女達の手は、レジ打ちを、お茶碗運びを、農作業を、事務作業を、生活を成り立たせるために働いている。


逆境に耐え、不遇を忍び、それでも夢を追いかけて歯を食いしばってきた女達。

To Our Friends Around The World
Thank You for Your Support


感謝をしたいのはこちらの方だ!ありがとう!
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月と真珠

2011年07月18日 | ひとりごと

 
『昔々、ひとりの老人が森の中に入って行った。
小径をてくてく歩いて行くと、小さな池があった。
池の淵に立った老人は、とても美しい、大きな真珠を見つけた。
彼は喜び勇んで、両手でその真珠を抱えようと、手を水の中に入れた。
ところが、どうしても抱えられず、彼の手は水を左右に掻き出すばかり。
水面が揺れると、真珠のまぁるい線もゆらゆらとうごめいた。
老人は空を見上げた。
するとそこに、見事な満月が浮かんでいた。

老人は、その美しさに心を満たされた。
と同時に、大きな真珠が手に入らなかったことにがっかりした』

という物語をもとにした、気功の自己治癒のための動作を学びました。

老人が興奮して、水面を掻いている動作では腎臓を、
こぶしを軽く握り、上を見上げ、あぁ~と言いながら腕を腰の辺りまで下げる時は心臓を肺を、
うつむいて、がっかりとした表情で、はぁ~と言いながら肘を曲げて後ろに引く時は腸と肝臓を、
それぞれの臓器を意識しながら、そこに感情も加えての動作をくり返します。

いつもより少し、物語性があって楽しかったのですが、ひとつだけ疑問に思ったので、クラスが終わってからミリアムに尋ねました。
「がっかりしているままで終わるって珍しいね。たいていは、いいエネルギーを取り入れて、体の中にたまっているイライラや問題、負の感情を外に出す練習をしているでしょ?」
「なるほどね。でも、人間の感情はそれぞれで、自然でいる限り、楽しさや嬉しさと同時に戸惑いや失望や哀しみがあるでしょう?」
「確かに」
「いつもプラスばかりがいいとは限らない。マイナスの中にもきっと意味や意義がある。そういうことだと思う」
「その、真珠と思ったものがただの幻影だった。けれども実際には、本当に美しい月が空に浮かんでいて、それを見て老人は癒されたってことかなあ」
「そして、がっかりした。あんなおっきな真珠が手に入ったらと、とても興奮したんだものね。
でも、それが自然の心の動きだと思う。そんな時に無理矢理聖人みたいに物事の在り方を分析したり、正しい大人としての思考はどういうものか、なんて考えたりする必要なんて無いと思う。
けれども、だからといって、がっかりしたことをいつまでもグズグズとため込まないこと。
感情の正直な現れを抑え込んではいけないし、それを長い時間同じ所に留めるのもよくない。そういうことだと思うの。
がっかりしたり悲しかったり辛かったり、そういうことは生きていると必ずやってくる。
けれども、いいことが起こるのは必ず、そういうことの後なのね。
そういうことを経験することなく、そして、そういうことを心の中にため込んでいたりしたら、幸せや喜びや癒しは得られない」
「そっか、プラスもマイナスも、多過ぎたり沈滞したりすると、どちらも問題になるってことか」
「そうね、心をあるがままに、けれども過剰は禁物、ため込むのはもっと禁物。楽しい一週間になりますように!」


クラスの終わりに、皆が、「昨日はおめでとう!」と拍手をしてくれました。
「あの粘りとあきらめない気持ち、日本の女性はなんてすごいんだと思ったよ」
「今の日本には、本当に必要だった力強さだったよね」
「あんなちっちゃい人ばかりで……。でも、目に見えることだけで物事の勝負はつかないと教わったよ」
「まうみもきっと、もの静かに見えるけど、やっぱ強いんだろうなあ」

えへへ。
わたしはよく猫を被っているのと、パッと見、地味で目立たない外見のため、すご~く大人しいと思っている人がいっぱいいます。
なので、応援で三軒向こうまで聞こえるぐらいギャーギャー叫んでいた、だなんて言えません、もちろん。
でも、皆の言葉はとても嬉しくて、心からお礼を言いながら、
(そやで、日本のこれからの復興は、日本の女が主になってやっていくんやで!そやし男はしっかり支えたってや!)と叫んでいたのでした。

(↑上に掲載した写真は、わたしが撮ったものではありません。今日のお話に合うものをGoogleの画像から拝借させていただいたものです)
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日の丸は、やっぱり美しいとわたしは思う

2011年07月17日 | 日本とわたし



明日、エンパイアー・ステートビルディングが、なでしこカラーになるそうです。
そういうのっていいな。

 
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献体20110311号 文部科学省・福島県

2011年07月17日 | 日本とわたし


またこんなことしたい。


大地震 地割れ直下を襲ふ時 壊れぬ原発 あると想定?


選択の自由


核の年 ゴミは


 
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深呼吸も出来やしねぇ

2011年07月17日 | 日本とわたし
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